第8話 ククリ様

 初めて聞く単語に、俺は首を傾げる。横にいるツヨシやノブの顔を覗くが、ふたりも同じ様子だった。


「初耳だろうね。ククリ様は信仰の対象になっている神じゃない。むしろ、その逆。厄神、物の怪の類だ」


「そ、その、ククリ様って、どんな神様なんですか」


「そうだね。一言でたとえるなら……付喪神つくもがみの一種だと、私は父から聞いている」


 付喪神。それは耳にしたことがある。確か、生物ではない人形や物に魂が宿った妖怪、だった気がする。それがなぜ、九句里山に存在し、ククリの名を与えられているのだろうか。


「順を追って話そうか。これは数百年前の江戸時代、いや、もっと前の時代からの話だ。あの九句里山は……罪人の処刑場に使われていたんだよ」


「えっ」


 唐突に告げられた事実に、俺たちは間抜けな声を放つ。

 九句里山が、処刑場。当然、そんなことは初耳だ。


「処刑と言っても、様々な種類がある。火あぶり、はりつけ、串刺し、釜茹で、切腹、斬首……ただ、この地域は昔から貧しくてね、そこまで大々的な処刑道具がなかったんだ。だから、手っ取り早く、人を殺せるあるものが採用された」


 白井さんの言葉よりも先に、すべてを察してしまった。

 そう、確かに俺はあの山で、処刑道具と呼べるべき物品をひとつだけ目撃している。つまり、あの“縄”は──っ。


「首吊りだ。縄を使って、罪人の首を括り、窒息させる」


 ツヨシとヒサは顔を真っ青に染めていた。当然、俺も同じ表情をしているだろう。

 祠の中にあった縄。あれは処刑用の縄だったのだ。これまで何十人、何百人を絞め殺した縄が、あの祠に納められていた。


「当時、あの山はただの名もなき山だったんだよ。でも、処刑場として使われるようになって、こう呼ばれるようになる。首括り山、それが語源となり、略されて九句里山になったんだ」


 俺たちは言葉を失ってしまった。まさか、これまで住んできた地元にそんな逸話があるなんて、想像もしていなかった。


「ククリ様の正体はこの処刑道具に使われた縄だと伝えられている。よくある話だ。人を多く斬った刀は妖刀と呼ばれ、魂が宿る。九句里山で罪人の命を吸ってきたあの縄も、同じ現象が起こった。そして、あやかしになってしまったんだね」


 今更、妖怪という超常的な存在に疑問は持たない。この寺で和尚をしている白井さんが言うことだ。すべて事実なのだろう。


「妖になってしまった縄は罪人だけではなく、周辺の村の人間を襲ったと伝えられている。これが私の知っているククリ様伝説、君たちが見た縄の正体は恐らくこれだね」


「あ、あの! そのククリ様って、今もいるんですか!」


 ツヨシは声を荒げながら、白井さんに質問する。そうだ。一番気になる点はそこだ。

 この伝承が事実だとするならば、今もあの九句里山にはククリ様と呼ばれている人を殺す異形の怪が巣食っていることになる。地元の人々に愛され、子どもたちも多く訪れているあの山に、だ。とてもではないが、常軌を逸している。


「いや、そんなことはないよ。ククリ様自体は偶然この地を訪れた名高い僧によって隔離の世に封印されたと伝えられている。だから、今は一応、安全と言えるね」


「で、でも、八月に死んでる人がいるじゃないですか」


「そう、そこが一番の問題点だ。さっきは安全だと言ったが、ククリ様は完全に封印されたわけじゃない。何十年かの周期に、一年のうちの八月にだけ、僅かに力が漏れ出ることがある。そのククリ様に影響されて、死者が出てしまうケースが極々、まれに発生してしまう。これが八月に死者が出る原因なんだ」


「…………」


「私の父や、祖父も市には抗議していたんだ。いくら確率が低いとは言っても、あの山にはまだ人を殺す妖が封印されているから、閉鎖した方がいいとね。でも、聞き入れてはくれなかったみたいだ。時代が流れて、ククリ様の存在を知るのはもう私の身内と君たちしかいなくなってしまった」


 そういう、ことだったのか。八月に死者が出るのは。

 確かに、ククリ様は完全に封印されたわけではない。だが、ここ十数年間の死者は俺が見た首吊り死体と、去年亡くなった中学生のみ。この九句里山には毎年何万人もの人が訪れることを考えると、ククリ様の呪いだか祟りに遭遇して死ぬのは何十万に一つの確率だ。恐らく、交通事故に遭う可能性より低い。

 そう考えると、一応、ククリ様は完全に封印されたと言ってもいいかもしれない。納得はしたくないが、理解はできてしまう。だが、白井さんの話を聞いても、まだひとつだけ、不可解な点がある。

 正直、答えを知りたくはないが、見過ごすわけにもいかない。これは俺の、俺たちの生命にもかかわる問題なのだから。


「あの、いいですか」


 俺は小さく挙手をして、白井さんに尋ねる。


「結局、俺たちは……どうなるんですか。さっき、俺たちは魅入られたって言ってたじゃないですか。つまり、死ぬんですか、俺たち」


「…………」


 俺の質問に、白井さんは僅かに眉をひそめた。

 どのような返答が来るのか恐ろしい。だが、死の恐怖に勝るものはない。俺だけじゃない、ツヨシとヒサも全身を汗で濡らしながら、白井さんの言葉を待つ。


「その件に関しては安心していい。君たちが死ぬことはないよ」


「……え?」


 白井さんから発せられた答えは意外なものだった。


「ど、どういうことですか。俺たち、去年亡くなった中学生みたいに、首を吊って死んじゃうんじゃないですか」


「いや、その可能性はないと思っている。まず、君たちを見ても、何かの呪いがかかっているとは思えない」


「で、でも、ここ数日、変な気配を感じるんですよ」


「そうだね。実際に、何も憑いていないと言ったら嘘になる。でも、それは君たちに害を与える存在じゃない。むしろ、その逆だ」


「ぎゃ、逆?」


「さっきも言っただろう。“魅入られた”と。言葉通り、ククリ様は君たちに惚れているんだよ。気に入られたと言ってもいい」


 白井さんが何を言っているのか、俺はよく分からなかった。理解の範疇を超えている。気に入られたとはどういうことだ。


「考えてみてくれ。前例を考えると、おかしいじゃないか。なぜ、君たちはククリ様によって山の中に閉じ込められたのに、脱出できたのか」


 俺はツヨシやヒサと視線を合わせる。確かに、奇妙だ。


「その答えは野村くん。君が開けた戸にある」


「お、俺ですか」


 名指しで白井さんに名を呼ばれ、俺は困惑しながら自身を指差す。


「あぁ、君はククリ様の封印を解いたんだよ。だから、ククリ様は君たちに危害を加えることなく、逃がした」


「……は?」


 今、白井さんは何と言った。

 封印を、解いた。俺が──ククリ様の封印を。いいのか、それ。


「そ、それって……本当ですか」


「だって、戸を開けたんだろう? 君たちが遭遇した祠はククリ様を封印する際に使用され、一緒に隔離の世に送られた物と見て間違いない。その戸を開けてしまったということはククリ様の封印は解かれたとみて、間違いないよ」


 ──俺はなぜ、白井さんがここまで冷静でいられるのか分からなかった。

 だって、今まで人を何人も殺してきた悪霊じゃないのか、ククリ様という存在は。それが再びこの世に解き放たれた。これは緊急事態じゃないのか。普通、もっと焦るだろ。


「どうして、私がここまで冷静でいられるのか不思議といった顔をしているね」


 俺の心境を言い当てるように、白井さんは指摘した。


「まあ、簡単な話だ。今の時代、そこまでククリ様は脅威になる存在ではないと、私は考えている」


「どういう、ことですか」


「ククリ様が存在したのは今から何百年も前の話だ。当時と比較すれば、この国の人口は数倍近くまで膨れ上がっている。この人口というのが肝でね、幽霊とか、霊的存在は人が多く暮らす場所を嫌うんだ。彼らにとって生気は毒になる。最近、その手の怪談話が廃れた理由も、実はこれが関係しているんだ」


 霊的存在が生気を嫌う。どこかで聞いたような話だったが、その手の専門家とも言える寺の和尚である白井さんが言うなら確かなのだろう。

 つまり、今の時代はククリ様にとって、そこら中に毒が舞っている環境ということか。


「私の考えではククリ様はそう遠くないうちに、人間の生気に当てられて、自然消滅すると思っている。だから、安心していい」


「ほ、本当……ですかっ」


 ここで、俺はこの寺に来て初めて明るい表情を見せた。俺が封印を解いてしまったと告げられた時はどうなるかと思ったが、そのククリ様が自然消滅するなら話は別だ。


「あぁ、今、君たちが感じている気配も後遺症のようなものだから、心配いらない。でも一応、お祓いはしておこうか」


「あ、ありがとうございます! お願いします!」


 俺たちは白井さんに感謝の意を伝える。それから、俺たちは白井さんによるお祓いを受けて、終わる頃にはもう時刻は夕方になっていた。



「あの、今日はありがとうございました!」


 すべてのお祓いが終わった俺たちは白井さんに深く礼をした。これですべてが終わったんだ。そう思うと、重荷がなくなったように、すっきりとした気分になっていた。やっぱり、ここに来てよかった。心からそう言える。


「そうそう。野村くん。ちょっといいかな」


「え? は、はい」


 車に乗り込む寸前に、俺は白井さんに呼び止められた。何か、伝え忘れたことでもあるのだろうかと思い、彼の元に駆け寄る。

 白井さんは口に手を添え、内緒話をする仕草を取った。それにつられて、俺も耳を彼の口元へと寄せる。


「────」


「……えっ?」


「他のふたりには内緒にしてね。それじゃあ、さようなら」


「え、あ、は、はい」


 彼から告げられた衝撃の事実に困惑しながら、俺はツヨシの車へと戻った。


「ノブ。白井さんからなんて言われたんだ?」


 後部座席に座り、シートベルトを締める俺に、助手席に座っているヒサが尋ねてきた。


「あ、あぁ……財布を部屋に忘れたから、届けてもらったんだ」


「ははっ、ドジだな。ノブは」


「ははは……」


 こうして、俺の盆休みは終わりを告げた。その日以来、お祓いを受けた影響なのか、祠の夢や背後に気配を感じることはなく、翌日、両親とツヨシやヒサに見送られて、俺は東京へと帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る