第2話
夕食前に、男はひとまず風呂に入った。湯は非常に柔らかく、「名湯」と呼んでもおかしくないものだった。男は身体中に染み入ってくるようなその湯に驚いた。
「こんな温泉があるなんてな。もっと有名になっても良いだろうに」
身体は芯から温まり、湯上りの肌はさらりとしている。
さらに男が驚いたのが食事だ。華やかさはなかったが、この辺りで採れたものなのだろう。鹿と猪の肉に、新鮮な茸や山菜が並ぶ。蒟蒻や豆腐も手作りの物のようで、どれも都会では味わえないものばかりだった。
話のネタに、と考えていたにもかかわらず、男はその料理を写真に収めることも忘れ、夢中になって箸を運んだ。
男は食事を済ませると、もう一度湯船に浸かった。山に囲まれていて、決して広いとはいえない星空だったが、
布団に入った男は、これまでに経験したことのない深い眠りについた。翌朝の目覚めは、まるで新しい身体に新しい命を吹き込んだかのようにすがすがしいものだった。
「いやあ、驚きました。こんな所があるなんて。絶対にまた来ますよ」
財布から代金の三千円を取り出しながら男がそう言うと、女性は変わらず微笑みを浮かべていたが、そこから出た言葉は、男が予想していなかった言葉だった。
「もうお越しになれませんよ。この宿は一泊しかできないと申したじゃありませんか」
男は昨日言われたことを思い出した。確かに一泊しかできないとは言われたが、もう二度と泊れないという意味だとは思わなかった。
「え? もしかして、この宿はもう閉めちゃうんですか?」
「そうではありません。この宿に泊まれるのは、一生のうち一度きり。お客様はここに何しに来られたか憶えてらっしゃらないですか?」
何をしにこの地に来たのか。男はそれを訊かれて、この地を訪れた目的を思い出した。
「そうでした。おかしなもんですね。すっかり忘れていました」
男はそう言って頭を掻いた。
「私は自殺したんだった」
男のその様子に、女性はやはり柔らかく笑った。
「思い出されて良かったです。本日は温泉宿、
夕刻 西野ゆう @ukizm
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