第6話 紅い夢

また、この夢だ。

噴水のように吹き出す血。有らぬ方向へと曲がる四肢。形状を保てぬ頭部。切り裂かれた腹から飛び出す臓器。

肉を敷き詰めたような赤い空はそのままに龍はその影を伸ばす。怒りをも孕んだ視線は双子に向けられていた。

双子の背筋に冷や汗がなぞる。母親以外から自身の命を脅かすほどの恐怖を感じたことがなかった。突き付けられた殺意の剣先から身を守る術を持ってはいなかった。

龍はゆっくりとこうべを上げてそのままその巨体を進める。


──逃げないと


どちらかがそう言った。頭はとっくに現状を理解してここから退避しようとしているのに固まった身体は鉛のように動かない。


逃げないと、逃げないと、逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと逃げないと!


頭の中で警報が鳴る。身体は言うことを聞かない。龍は更に近づいてくる。脳に空気が回らず、視界が霞がかってくる。酸欠に近い状態だった。肺に水銀が溜まっているように重い。視力も聴力も使い物にならない。双子は暗転する世界に身を任せて意識を失った。


           ◇


「────はっ──!」


咄嗟に飛び起きたアルトリウスは尋常ではないほどの汗を流していた。ベッドのスーツも水を溢したかのように濡れている。アルトリウスは今までできなかった分を取り戻すかのように激しく呼吸を繰り返した。


「姉ちゃん……」


隣で弟の声が聞こえる。テオディウスも目覚めたのか震える声で姉を呼んでいた。泣きそうな顔を浮かべ、自身の顔を上目遣いで見るテオディウスを安心させるためにアルトリウスは一呼吸おいて笑う。


「──大丈夫、大丈夫だよ。きっと疲れてるからあんな夢見ちゃうんだ。不安だから夢も怖くなるんだよ」


アルトリウスはテオディウスの手を握るとまたベッドに横になる。テオディウスもそれにならう。外はまだ暗く、時間帯で言えば3時くらいだろう。


「手、繋いでるから大丈夫だよ。それにまたあのでかいの出てきたら姉ちゃんが吹っ飛ばしたげる」


にっと歯を見せて笑うとテオディウスも真似して歯を出して無理矢理口角をあげる。だがそれだけでも気分が少し楽になった。

双子は笑いあうとまた目を閉じ、眠りについた。


───だが結局朝になって侍女等が起こしても一向に起きる気配を見せず、アンデルセンの授業に遅刻したことは黙っておこう。


           ◇


「さて今日は基礎体力を身につけていただこうと思いましたが、十分に休めたでしょうか?」


爽やかな笑み。銀髪美男子にこのような笑みを向けられれば相手は確実に恋の弓兵に心臓を射ぬかれているだろう。だが双子から見た今のアンデルセンは人を落とす笑みなどではなく、物理的に突き落としそうな笑みであった。そんな崖から子供を突き落とす獅子の笑みにアルトリウスもテオディウスも正座せざるをおえない。王族が正座など前代未聞であろうが。


「いや、ほんと、すみませんでした……」


「お恥ずかしい限りです……」


双子は両膝に手をついて申し訳なさそうに頭を下げていた。アンデルセンの気迫に夢の時とは違う冷や汗が流れる。


「まあ、反省していらっしゃるのならいいですが。王として君臨する際に朝寝で遅刻など笑えませんからね」


ため息交じりの言葉に双子の身体も申し訳なさから小さくなっていく。そんな双子を見てアンデルセンもそれ以上は何も言わなかった。


「ではもう昼時ですが早速基礎体力の訓練を始めましょう」


アンデルセンの言葉が聞こえると同時に複数の服を持った侍女が双子を囲み始めた。戸惑う双子を尻目に侍女達によって双子は部屋へと連れていかれてしまった。そのまま双子は簡素な服へと着替えていた。簡素といっても色がベージュや白など落ち着いているだけで生地は肌触りの良い絹が使われている。だが動きやすく通気性も備わった一着であり、汗をかく運動をする際にはもってこいであった。


「は、早着替えをさせられてしまった……」


「侍女の方々凄すぎない?」


いつの間にか色違いの服装を身に纏った双子は侍女達のあまりの可能性に思考がとまる。心なしか侍女達も双子の様子を見て誇らしげであった。アンデルセンも着替えたのかいつものローブのような服装から一転伸縮性のある布生地で作られた服に変わっていた。


「それではまずは走りこみから参りましょう!張り切っていきますよ!」


「走り……て、どこでです?」


テオディウスの問いにアンデルセンはきょとんとした表情で首を傾げていた。


「どこってここで、ですが? まずは二周いってみましょう!」


そう言うと同時に双子よりも気合いの入ったアンデルセンが走り出したため、双子は慌てて後を追った。


・・・


「なんだ、あれ?」


双子とアンデルセンが走る訓練所を一望できる城の廊下で10代後半の鳥の頭をした青年が物珍しそうに覗いていた。その声に連られて前を歩いていた鳥人と同じ年齢であろう二人も鳥人の方を振り向き、その視線の先に興味を向ける。だが訓練所の様子を見て馬の耳を持ち、髪を一つ結びにした少女は自嘲気味に笑う。


「走り込み、なんじゃない?今時は王族も兵器になるのね」


世も末だ、と吐き捨てる。

だが、特に特徴のないもう一人の青年とは意見が違うようだ。


「そう? 僕にはどうにもただ遊んでるようにしか見えないけど。僕達みたいな訓練をさせるのはまだ早いだろうから」


「あの二人、アルトリウス様とテオディウス様だろ? なんだってそんな二人がやってるんだ? 」


鳥人の言葉に青年はさあ、と単調に答えた。一兵士という身である三人からすれば疑問に思うのも不思議ではない。


「……もう行かないとまずいんじゃない」


馬の獣人である少女がため息交じりで呼び掛ける。国王直々の呼び出しのため三人のなかで密かに緊張が走る。元々ほとんど面識のない三人がこぞって呼び出されているこの状況事態もおかしな話だ。双子への疑問はありながらも自身が遣える王の元へと三人は半ば何かを諦めたように向かった。


・・・


「いやぁ、いい運動になりましたね!お二人ともいかがですか?」


「思ったより体力がなくてつらいです……」


「同じく……」


激しく呼吸を繰り返す双子にアンデルセンは苦笑を浮かべた。これから授業を始める前には今回のように走らせた方がいいな、と心の中で呟く。


「では水分補給をしたあと、また授業を開始しますね」


アンデルセンは木の影になる場所に置かれていたバスケットから硝子状の水筒とコップを取り出すと双子にコップを渡し、水筒に入っていた水を注ぐ。少しずつ飲むというアンデルセンの言葉に素直に従って双子はゆっくりとコップの中の水を飲み干した。すると先ほどまで双子から離れていたアンデルセンが二本の棒を持って休む双子に近づいてきた。


「さて、では早速こちらを」


アンデルセンが二本の木刀を双子に手渡した。木刀はそれなりの強度があり、まだ幼い二人でも簡単に振れるほど軽いものでもあった。


「ラアズと呼ばれる木でできた木刀です。お二方はこれからこの木刀を使って武器の訓練をしていただきます。ということでどうぞこちらへ」


アンデルセンが双子に簡単に説明した後、城の影になっていたところから先日会ったばかりの騎士団長、イージス・エルトラムが現れた。


「あ、昨日の……!」


「先日はどうも、アルトリウス様、テオディウス様」


年を重ねた故の柔らかい笑みを浮かべ、エルトラム氏は頭を下げた。つられて双子も頭を下げるとテオディウスは申し訳なさそうにエルトラム氏に尋ねた。


「ルカ君、あの後どうでしたか?後から痛くなってきた、とかありませんでしたか?」


「えぇ、怪我はどこにもありませんでしたよ。家に帰ってケーキを食べたあとは何事もなかったように過ごしていました」


エルトラム氏の言葉にテオディウスは安堵のため息をついた。アルトリウスも良かった、と言葉を溢している。


「だけど今日はどうして……?」


「国王直々にお二人の稽古の師範となるよう仰せつかりまして。アンデルセン殿の代わりに今から私めが先生として勤めさせていただきます」


「私よりも適任でございますからね。何せその道のプロフェッショナルですから」


アンデルセンの言葉にエルトラム氏は謙遜するが、満更でもないようだ。


「ではあとはよろしくお願いします、騎士団長殿」


「お任せを」


アンデルセンは双子とエルトラム氏に頭を下げたあと一度離席していった。


「お二人とも、今回は最初ですので気楽にしていただいて結構ですよ」


優しい笑みに双子は騎士団長直々に手解きされることに緊張していた表情を少しほぐした。今回も楽しい授業になるだろう、と心の底で安堵していた。



──実際には「気楽」などと程遠い大人も涙目になるほどの初回にしては容赦のないハードレッスンにより、次の日激しい筋肉痛に悩まされ、二度とあの笑顔を信用するかと誓った双子がいたというのはまた別の話となる。

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