第9話 駅前映画館(後編)


●児童書コーナー

 児童書の少年探偵団シリーズの棚の前で、樹は何冊かを見比べていた。父から2~3冊にしておけと言われ、迷ったあげく、『透明怪人』と『怪奇四十面相』を選んだ。



●怪奇四十面相

 ニチイに向かう車内、瀞は、Qの従兄の家で以前「怪奇四十面相」を少し読んだと話した。


「従兄ってまこちゃん?」

「そうそう。面白いで。まこちゃんに『ゆんでゆんで』って何って聞かれたん覚えてるわ」

 樹は本のページをめくりながら、「ゆんでって?」と尋ねた。

「左手のことや。弓持つ手ぇで『ゆみて』・ゆんでなんや」


「へぇ」と樹は弓を引く仕草をしてみた。右手を前に出し、左手で矢をつがえている。


「弓は右手で持つで」


「あんたはぎっちょやからな。ややこしいなぁ」

 樹は、左手と右手を交互に使って、弓を引き、首をかしげている。瀞は笑いながらニチイの駐車場に車を停めた。




●すれ違い

 買い物帰りの堺屋の軽トラックが踏切を越えて商店街に向かって走っていく。昼下がりの道には、車や自転車、そして人が行き交っていた。座席には瀞と千鶴子、荷台には樹とさと子が座って、車の動きに連れて揺れている。少し道が登りになったところで軽トラックは、紺の着流しの男性とすれ違った。遠ざかる男性は、振り向くと樹に軽く手を振った。


「あ」と、樹も少しだけ手を上げて振って見せた。


「なにしてんのん」と、さと子が怪訝な顔をする。


「今、知ってる人おってん」「誰?」


 軽トラックが店の前に停まって、母が助手席から降りた。


「ラジオ持って行った時にいた人や」と言う樹に母は、


「下宮の奥さんなら、すれ違ごうたなぁ」と返した。




●駅前映画館

 房子は、電気屋の軽トラックとすれ違ったことなど気付きもせず、駅に向かって歩いていった。駅前の川を渡った先の映画館では、池田が待っていた。でっぷりとした脂気のある四十代の男で、


「券は買うてあるで。次が始まるわ」と、挨拶をしようとする房子を急かして中に入った。館内は空席が多くもちろん暗い。顔をささずに話すには都合が良いと池田は考えていた。


「池田部長、すいません急に」

 房子は、池田に促されるまま一番後ろの席に座った。


「下宮君から連絡は?」


「全然です」


「君らほんまに別れたんか。まだ二年くらいやろ」

 池田はスクリーンに顔を向けたまま喋っている。


「それが、結婚してみたらほんまに愛想のない人で、なんの楽しいこともあらへんのです。ぶすっとして帰って来て寝て起きて、あたしには節約ばっかり言いつけて」

 房子は、池田に体ごと向けて話している。


「そら君、新婚やねんから我慢もせなあかんで」


「してました。けど、お金はなんぼかかかるんです。せやのに『足らん』って言うたら、『何が足らん、どうして足らん』って細かい細かい・・。部長が『あいつと結婚しといたら苦労はせん』って言いはったから」

 房子は、肘掛けに置いた池田の袖を両手で掴んだ。そして、一瞬頬を膨らませ、上目遣いに、


「これやったら、信用金庫で部長にお世話になってた頃の方が良かったわって思いましてん」と言った。


 池田は、自尊心がくすぐられていた。自分が二人に結婚を勧めた時にはちょっとした厄介を手放した気持ちになっていたものの、若く有望な大学卒の下宮に、池田は卑屈な感情を持っていた。自分が遊んできた若く美しい女が、その下宮よりも自分が良かったと言ったからだ。池田は唇の隅で笑った。房子は、それを見逃さなかった。手を放し、顔をスクリーンに向けると、


「あたしも一人で食べていかなあかんかなぁって思うんですけど、部長にはもう甘えられませんやろか」と引いてみせた。


「なに言うてんねん。そんなもん」


「ほんまですか。いやぁ嬉しいわぁ」と、房子はもう一度袖を掴んだ。


 スクリーンでは、寅次郎がマドンナの花子に働き口を世話していた。映画を見る池田と房子の後ろに着流しの下宮が無表情で立っていた。




 映画が終わり、館内が明るくなる。


「それでね、部長、下宮が大事にしてたもんとか知りません?」


「なんやそれ」と、池田は立ちかけたまま聞き返した。


「私に節約させてた割に貯金もあんまりあらへんし、何かにお金つぎ込んでるもんでもあるんちゃうかって思うんですけど」


「そんなん特に聞いたことないなぁ。下宮君は戦争で両親とも死んでるし。高橋はなんか言うてへんかったんか」


「なんにも聞いてへんみたいでしたわ。それに昨日も子供にでもできることくらいしか頼まれへんし。小学二年生の方がよっぽど仕事できますわ」

 房子は先に立って映画館を出た。


「なんやそれ」

 池田も出ていく。二人は駅前で別れた。



 池田は房子と別れた足で、駅の反対側にある喫茶店「モリ」に入った。高橋がコーヒーを片手に待っている。高橋の向いの席に池田が座る。ウェイトレスが水を二つ運んできた。「あら。失礼しました」と言って一つを盆に戻した。注文もそこそこに池田は話し出す。


「おまえ、どうなっとんねや。おまえに目ぇかけたってるから下宮の後の担当地域やらしてるねんぞ。房子のこともうまいことやってると思てたら、ちょっとちゃうみたいやな」


 高橋はバツの悪そうな顔で、

「昨日まではええ雰囲気やったんですけど、いきなりなんか最悪でしてん」と言った。一旦うつむいた高橋は顔をあげる。


「せやけど、庭中の草むしらせる上に『なんか変なもんない?』とか『埋まってそうなとこある?』とか、妙なこと聞くんですよ」


「なんやそりゃ」

 二人は顔を見合わせてしまった。



●下宮の逡巡

 樹は夕食前の時間、子供部屋で借りて来た本を読んでいた。さと子は台所で母の手伝いをしている。樹は、ぼんやりとした表情になり穏やかな笑顔を浮かべながら、声に出して「怪奇四十面相」を読んでいた。


 樹の部屋は、店の真上にあたっていて、部屋の窓は店の看板の裏の物干し台になっていた。やがて、物干し台に下宮が現れた。部屋には窓越しに、樹と樹よりさらに小柄な影が映っていた。楽し気に代わる代わる数行ずつを読んでいる。下宮は、室内の雰囲気に何かを感じると、諦めたようにその場に座り、


「頼み事なんかまた迷惑かけるかも知れんしなぁ」とつぶやいた。

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