桜、散る

 その日、僕は税務課の徴収係として、やってはならないことをやらかした。滞納者を逃がしてしまったのだ。


 逃げたのはとある老夫婦だ。場末の飲み屋を経営していた夫婦は、固定資産税等々あらゆる税金の支払いを渋り、銀行口座さえ持たずにすべての財産を現物で保有するという、時代錯誤な真似をしていた。


 僕らは彼らの自宅兼店舗に乗り込み、仕事道具や生活必需品でない差し押さえの対象物品を捜査した。


 そしてその最中、僕は厨房で地下室に通じる扉を見つけた。降りてみると、そこにいたのは一体の人型ロボットだった。事前調査にはなかった隠し財産だ。確かロビイという最初期の家庭用ロボットだ。


「役人さん! それだけは持っていかないで!」


 老婦人の声に振り向くと、夫とともに地下室に降りてきていた。ロビイの状態を確認しながら僕は言う。


「そう言われましてもね。我々も仕事ですから、持っていけるものは持っていきますよ。見たところ、長い間使われてないみたいだ。ということは仕事道具でもない。それなら、差し押さえて構いませんよね?」


「そんな古いタイプじゃ金にもならんでしょう! それにそのロボット、いいえその子は、子どものいない私たちにとっては息子のようなもの! 家族同然なんです!」


 家族同然。


 この時、僕の脳裏にチェリーの顔が浮かんだのは不覚だった。胸にチクッと何かが刺さった。動揺した気配を察したに違いない夫婦は、畳みかけるように懇願した。


「お願いです! 息子を! 家族を連れて行かないで!」


 普段の僕なら、そんな願いなど一蹴してロビイを持っていくだろう。しかし僕の中に起こりつつあった変化によって、彼らの話を半ば聞き入れてしまっていた。


「スルガ! ちょっと来てくれ!」


 同僚が呼ぶ声が聞こえた。僕は夫婦の横を通り過ぎ、無言でその場をあとにした。


 最終的に、差し押さえてもよさそうな物品の金額を合計しても、滞納した分には満たなかった。僕はそのままロボットの存在を忘れたふりをした。どうせ公売に出しても買い手のつかなそうなほどの旧型。見逃したところで大した損失はないだろうと、自分に言い訳をして。


 夫婦は僕に「残りのお金は必ず工面いたしますので」と約束をした。彼らのほがらかな笑顔には、息子を見逃してくれた感謝が込められているようだった。


 だが結局のところ、それは僕の思い込みにすぎなかった。


 次の日の朝。二人は行方をくらました。家に残っていたものを一切合切持って。もちろんあのロビイも一緒に。


 老いた二人があれだけの荷物を持って逃走できた理由は明らかだ。ロビイがいたおかげだ。あの純朴なロボットは夫婦に命令されるがままに荷物を運び、軽トラックにでも積み込んで二人とともに逃げたのだろう。きっと夜逃げではなく、引っ越しをするのだと言われたに違いない。


 僕らは大慌てで彼らを探し出し、今度こそロビイを差し押さえた。夫婦は二度とロビイを家族と呼ばなかった。むしろ青筋を立てた僕らに生け贄のように差し出した。


 僕は部長の前に呼び出され、配属以来最大の叱責を受けた。なぜロボットを発見できなかった。あんな大きなものなら、最初の差し押さえの時に見つけられたはずだと。


 そして僕は嘘をついた。あの時は確かにロボットはいなかったと。おそらく家とは別の場所に隠されていたのだろうと。


 こうして僕は自分の落ち度を隠蔽し、老夫婦と同じ嘘つきとなったのだった。



 ※※※



 身も心も摩耗した僕は、フラフラになりながら帰宅した。


「おかえりなさいませ、スルガ様!」


 チェリーは主人の帰りを待っていた子犬みたいに、愛嬌を振りまきながら出迎えた。


「ただいま……」


 チェリーの笑顔はまったく屈託がない。優しさにあふれて、ほがらかで――


 老夫婦の仮面の笑顔に似ていた。


「なに笑ってるんだ」


 無意識にとげを含ませた口調で、僕は言った。


「あっ……失礼いたしました」


 チェリーはすぐに笑顔をひっこめ、まじめな顔つきになると、恒例の質問をしてきた。


「夕食にしますか? それともマッサージでもしてさしあげ――」


「夕食」


「はい、何を作りま――」


「それくらい自分で考えろ! いちいち言わなきゃわからないのか!」


 まったく、人間の命令通りにしか動けない機械め。だから夜逃げにだって平然と加担するんだ。


「……でしたら、ハートセンサーをお使いください。スルガ様の脳波を分析して、最適なお食事を作ります」


 僕は舌打ちしながら、リビングのテーブルに置いてあったハートセンサーをつけた。


「ほら、これでいいか」


「……スルガ様の脳波を受信。肉料理をご希望のようですね。それではハンバーグにいたします」


 チェリーはキッチンに立つと、淡々と料理を始めた。僕は乱暴にソファに座ると、テレビのバラエティ番組をぼんやりと眺めていた。


 そして画面はコマーシャルに移り、親子が食卓を囲んでいる場面に変わった。彼らはおいしそうにサバの味噌煮をつついていた。


 ふと、ある試みを思いついた。


 チェリーが僕に向ける笑顔は、なのだろうか。それを確かめる実験だ。


 僕は料理にいそしむチェリーに言った。


「チェリー、ハンバーグはやめて魚料理にしてくれ」


「えっ?」


 彼女の手が止まった。


「あの、スルガ様? 失礼ながらハートセンサーによれば、スルガ様の脳波は肉類を欲したときに出るパターンで検出――」


「脳波だけで僕の心がわかるもんか!」


 僕は立ち上がると、チェリーに詰め寄っていった。彼女は戸惑いの表情をしている。いや騙されるな、彼女はAIだ。戸惑ったをしているだけだ。ぜんぶ見せかけの感情で、こういう状況ではこういう表情をするものだと学習ラーニングしているだけなんだ。


「いいか! 心と理性は別物なんだ! 心が読めるだって? 心を持たないロボットが人間の心を理解できるもんか! 人間は思ってもないことを平気で言えるんだ! 今の僕みたいにな! そうさ、僕は嘘つきなんだよ、チェリー!」


 人間はあの老夫婦みたいに、自分勝手な理由で嘘をつける。見せかけの笑顔を作れる。僕はそんな人間たちを散々見てきた。そして僕自身も同じ穴のむじなだ。


「なっ、なら肉料理も魚料理も、両方とも作ります。だからどうか落ち着いて……」


 まだ怯えたふりをするのか。心もない空っぽのロボットのくせに!


「僕はどちらか一方を食べたいんだ! さぁどっちを作るんだ? 僕の心が命じるままに肉料理をか? それとも言葉で命令されたとおり魚料理をか? さぁ選べ! チェリー!」


 どうだ、お手伝いロボット。君に心があるならこの理不尽に怒ってみせろ! 逆らってみせろ!


 嘘つきの最低野郎の僕を殴ってみせろ!


「ごめんなさい……スルガ様……ごめんなさい……」


 チェリーは顔を手で覆うと、か細い声でつぶやいた。そしてフラフラと後ろに下がり、小さく震えだした。ここに至って、僕はようやく尋常でないことが彼女に起こりつつあると悟った。


「おっ、おいチェリー……?」


「私には……私には……」


 チェリーは天井を仰ぐと、この世の終わりとばかりに叫んだ。


「私にはわからない!」


 プツンと、何かが切れる音がした。そうして魂が抜け出たみたいに、チェリーは倒れてしまった。



 ※※※



「またお前か、コマツ」


 次の日。キャルヴィン社から派遣された保守点検エンジニアを出迎えて僕は言った。


「なんだ、俺じゃ不服か? 前回の背中の傷だって、直してやったのは俺だろうが。いいからとっととあがらせろ」


 コマツは僕の地元の同級生だった。社会人になってからは会う機会がなかったが、ドローンに付けられたチェリーの傷を直してもらうためにキャルヴィン社からやってきたエンジニアが、偶然にも彼だった。そうして再会を祝した乾杯をして以来、互いに軽口を叩き合う仲となっている。


「んで、こいつはどうしちまったんだ?」


 リビングのソファに寝かせたチェリーを見てコマツは聞いた。


「そのう、昨日の夜にバッタリと動かなくなってしまったんだ。できる限りの手は尽くしたんだけど……」


 昨夜のおのれの醜態を思い出す。ありのままを伝えられるほど、僕はできた人間ではなかった。


「ふぅん。まっ、検査させてもらえば全部わかるけどな」


 コマツは持ってきたショルダーバッグを開けると、中からいくつかの工具を取り出した。そうしてあれよあれよという間に、チェリーの頭部パーツが外されていく。


 数分後には、チェリーの頭頂部は開口され、内部の電脳が丸見えになっていた。一見すると黒くて四角いプラスチックの箱だが、この中には精密な小型量子コンピューターが収められている、とコマツが説明してくれた。


 コマツは頑丈そうな分厚いタブレットを持つと、タブレットからコードを伸ばしてチェリーの電脳につないだ。


「さぁて、お前さんの脳みそをチェックさせてもらうぞ……」


 コマツがタブレットを操作すると、画面に複雑なコードがいくつも表示された。素人の僕には、どのコードが何を意味するのかさっぱりわからない。


「ふんふん、量子コンピューターユニットに異常はないな。基本プログラムにもおかしな部分はない。となると……のエラーかぁ。このケースは久々だな」


 またもや三原則システム。詳細を知る機会を幾度も逃し、その度に忘れてしまっていたやつだ。


「コマツ、その三原則システムというのはなんだ?」


「はぁ? んなもん購入する前に送られた電子マニュアルに書いてあるだろ? マニュアルは隅々まで読めって母ちゃんに教わってないのか?」


 教わるわけないだろと悪態を返し、僕は携帯端末にダウンロードしておいたHQR-710の電子マニュアルを開いた。


 あった。よりにもよって最初のページに。



【ロボット工学三原則】

 1.第一条

 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 2.第二条

 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 3.第三条

 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。



 三原則というのは、どうやらこのロボット工学三原則のことを指しているようだ。


「なぁ、今回のチェリーの機能停止と、この三原則はどんな関連があるんだ?」


 僕の再三の質問に、コマツは呆れたようにため息を吐いた。


「そもそもだな。俺たちが使っているロボットやAIというのは、深層学習ディープラーニングを重ねた末にたどり着いた技術的特異点シンギュラリティを超えて、なおも進化を続けている高次元知性体グレート・インテリジェンスなんだよ。はっきり言って、その思考のプロセスは俺たち人類には容易に解明できない仕組みになっている。いわばブラックボックスだ。三原則システムというのは、そんなブラックボックス化したAIが人類に害を与えないように課した行動原則で、昔のSF作家のアイデアを拝借して実現した安全装置セーフティープログラムなんだよ」


「お前、なんかさらっと恐ろしいこと言ってないか?」


「牛や馬に手綱を付けるのと同じだよ。とにかく三原則システムがある限り、ロボットが自発的に人間を傷つけることはありえないってわけさ。まぁちょいと待ってろ、もうすぐ結果が出るから」


 解説しながらも、コマツの手は休むことなく画面をタッチし続け、そしてひとしきり頷いて僕に振り向いた。


「こいつの思考シンキングログをチェックさせてもらった。お前、彼女に話してることと思ってることの乖離がひどすぎるんだよ。言語化された命令と脳波による命令、両方に従わないと第二条違反になるし、かといってどちらかの命令に優先順位をつけたらお前が気分を害する、つまり精神的に傷つけて第一条違反。そのジレンマで電脳に過負荷がかかって、中枢部の熱暴走オーバーヒートを防ぐために第三条を適用してわざと強制終了シークエンスを――」


「待て待て! 専門的なことを一度に話すな! もっと噛み砕いて説明してくれ!」


「そうだなぁ……」


 コマツはチラッとチェリーを見ると、不敵な笑みを浮かべた。


「なら、に直接話してもらうとするか」

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