遅咲きの桜
チェリーが僕の元へやってきたのは、三年前の初夏の頃だった。
「マツシタさん、お届け物です」
僕の暮らすアパートの一室。その玄関前に宅配用人型ロボットたちがやってきた。彼らはちょうど一メートル四方の大きさの段ボール箱を、二体がかりで抱えている。
「ご苦労さん。荷物はリビングまで運んでくれ」
「かしこまりました」
宅配ロボットたちはいそいそと段ボール箱を室内へ運ぶと、箱の上部を開け、発泡スチロールのクッションを取り除いていく。
そして最後に取り出されたのは、新進気鋭のベンチャー企業、キャルヴィン社の開発した新型ロボットだった。その名もHCR-710。
宅配ロボットたちが去るのを見送ってから、僕はリビングに置かれた荷物をしげしげと眺めた。
HCR-710は、家庭用に開発された汎用女性型ロボットだ。桜をモチーフにデザインされたそれは、桜色のシリコン製人工皮膚で覆ったボディと、雪のように真っ白で整った顔、そして桜の花びらをかたどったアンテナが頭に備えられていた。目を閉じて体育座りをしているその姿は、母親のおなかの中にいる胎児を想起させた。
「さて、さっそく起動させてみるか」
僕はロボットの首筋を見る。メーカーから事前に送られてきた電子マニュアルによれば、ここにセットアップスイッチがあるらしいが……
「あった、これか」
右側の首筋にわずかな突起があった。そこを押すと、本体の内側からブゥーンという音が聞こえてきた。さらに複数の機械音がすると、ロボットがゆっくりと立ち上がり、まぶたが開かれてゆく。
目覚めたHCR-710は、周囲の状況確認のためにあたりをキョロキョロと見渡し、エメラルド色の瞳のカバーをかぶせたカメラアイで、僕を見据えた。
『おはようございます。あなた様が当機のユーザーであることを証明するユーザーID、及びメーカーから通達された使用許可パスワードを入力してください』
彼女の第一声は無感情な響きの電子音声だった。彼女をただのロボットとしか思ってなかった僕も、淡々とキャルヴィン社から送られたIDとパスワードを口に出す。
『ユーザーID、及びパスワード、内部データと照合中……照合中……照合完了。次に、Wi-Fiへの接続を希望しますか? 希望する場合はWi-FiのSSIDと接続パスワードを――』
まったく、IT機器というのは使い始めるまでが面倒だよなぁと、ため息を漏らしながら作業をこなしていく。といってもやることは音声入力で該当事項をしゃべるだけだが。
『――ネットワークへの接続を完了。これにてスタートアップ作業は終了です。最後に識別のため、当機に
ニックネームか、そういえば全然考えていなかった。僕が欲しかったのはあくまで便利な道具だ。道具にニックネームを付けるというのも奇妙な感覚だ。
ふと、彼女の頭部に飾られた桜のアンテナが目についた。
桜……
少々安直だが、まぁいいか。そんな風に軽い気持ちで
「チェリー。君の名前はチェリーだ」
と言った。
『ニックネーム〈チェリー〉、登録完了。お疲れ様でした。続いて平常モードへ移行します……』
しばしの沈黙。そして数分後。
無表情だったチェリーの顔に、ニッコリと笑顔が浮かんだ。
「あらためまして、スルガ様!」
先ほどとは打って変わって、まるで少女のような幼い声を発すると、その場でくるくる回り始めた。なんだなんだと戸惑う僕の前で、最後に華麗なポーズとピースサインを決めた。
「日常をエンターテイメントに変えるキャルヴィン社謹製! あなたの生活をサポートする
……なんだろう、これ。さっきまでの機械的な振る舞いとのギャップに、僕はおののいた。
「あっ、あぁよろしく……ていうか、なんだそのあいさつの仕方!? セットアップのやり方間違えたか!?」
「いいえ! これは仕様です!」
「アッハイそうですか」
そういえば最近のロボットはユーザーから人間らしさを求められるあまり、過剰なまでに人間らしい振る舞いをプログラムされていると聞いたことがある。もしかしてこれがそうなのか。人間らしいをはき違えてアイドルみたいになっちゃってるけど。
「さっそくですがスルガ様! チェリーに何か御用はございませんか!?」
「へっ? あぁそうだな、ええっと……」
食い気味にそう問われ、若干引きながら壁にかけた時計を見てみた。ぴったり一二時だ。お腹もいい具合に空腹を訴えている。ちょうどいい、メーカーのホームページで宣伝していた
僕はチェリーと一緒に梱包されていたイヤホンに似た機械を耳にひっかけ、命令を伝える。
「それじゃ、昼食を用意してくれ。そうだな、カレーを頼む。固形ルーはあそこの戸棚の中にあるから、他の食材は冷蔵庫の中のものから適当に選んでくれ」
「わっかりましたぁ!」
チェリーはキッチンへ向かうとてきぱきと料理の準備を進め、小気味のいい包丁の音を響かせた。僕はリビングのソファに腰を下ろし、テレビを見ながら待つこととする。
さて、僕がロボットを購入したのには訳がある。まぁなんてことはない、家事手伝いが欲しかっただけだ。
僕はとある市の公務員だ。そして配属されているのは市の税務課、その中でも徴収係と呼ばれる業務を担っている。
徴収係の仕事は、住民税や固定資産税といった諸々の税金を滞納している市民の元へ、
そんな仕事内容だから、一部の人たちからは借金の取り立て人と見なされ、恨みを買ったりもする。「夜道を歩くときは気を付けろ」と脅しもしょっちゅうだ。さいわい本当に襲われたことはないが。
そういうわけで、仕事に忙殺される傍らでの家事というのは、くたびれた僕にとっては馬鹿にならない負担だった。誰か代わりにやってはくれまいか。そうした中で家事手伝いができるロボットを探し、レビューサイトで話題になっていたHCR-710を購入したわけだ。事務的に働くタイプを想像してたら斜め上のやつだったが。
しばらくして、おいしそうな匂いと共にカレーが運ばれてきた。ほかほかの湯気が立つポークカレーだ。しかも僕好みの、ジャガイモが多めに入れられたもの。外見は合格だ。
さて、肝心の味はどうか……
スプーンですくい、一口ほおばった。
その瞬間、自分はいい買い物をしたと確信した。きっちり辛く、それでいて深いコクも、程よい酸味もある。ルーだけではこんな味にならないはずだ。
「チェリー、カレーに隠し味は使った?」
「はい! コーヒーでコクを加え、さらにヨーグルトで酸味もプラスしました! スルガ様はこうしたお味が好みかと考えまして」
パーフェクトだ。正直驚いた。キャルヴィン社は素晴らしいロボットを作り上げてくれた。僕が感じていた彼女への
これぞキャルヴィン社が特許を取り、チェリーとその同機種たちに搭載した画期的な新機能、〈ハートセンサー〉だ。
僕の耳元についている小さな機械、これがハートセンサーの発信機だ。これが僕の脳波を読み取り、チェリーの頭部につけられた花びら状のアンテナが信号として受信することにより、口頭での指示では認識できない潜在意識をくみ取ってくれるというのだ。おかげで従来のロボットでは逐一細かい指示をインプットしなければならなかったところを、チェリーは何も言わずとも察して動いてくれる、というわけだ。
キャルヴィン社はこれをして、HCR-710を
米粒一つ、ルー少々も残さず食べきった僕は、皿洗いをチェリーに言いつけてベランダに出た。一服するためだ。
抜けるような青空だった。雲一つない真っ青な空。ベランダから見える道路には桜並木が見え、鮮やかな緑の葉が風に揺れている。後ろを振り返れば、桜色のチェリーが楽しそうに食器洗いをしている。HCR-710は今年の四月に発売されたそうだから、当初は時節に沿ったデザインだったわけだ。こうして葉を茂らせた本物の桜と交互に見ると、彼女がここにいることがどこかミスマッチに思えて、自然と笑いがこみ上げた。
「スルガ様、どうかなさいましたか?」
「なんでもないよ。気にせず続けて――」
次の瞬間、一陣の風が吹いた。タバコが宙を舞い、チェリーが僕に向かって突進してきた。面食らう間もなく、彼女は僕をベランダへ押し倒す。
そして彼女の背中越しに、何かがぶつかる激しい音が聞こえた。続いてガラスにひびが入る音も。
「……お怪我はありませんか、スルガ様?」
チェリーは何事もなかったかのように、笑顔で聞いてきた。
「僕は大丈夫だけど……一体何が起こったの?」
「あれをご覧ください」
チェリーが視線をやった先には、有名ハンバーガーチェーンのロゴがプリントされたデリバリードローンが落ちていた。客から注文されたメニューを目的地まで空輸するタイプだ。チェリーの背中にぶつかってから窓ガラスに衝突したらしい。よく見ると、四つ付いているプロペラの一つがおかしな挙動をしている。
「風が吹いた瞬間に、スルガ様へ向かってドローンが落ちていくのが見えました。よかったです、間に合って」
もしチェリーが僕をかばってくれなかったら、このドローンと衝突してけがをしていたかもしれない。ロボットなら人間を守るのは当然の行動だが、咄嗟の判断であれほど機敏に動けたのは、さすが最新型だ。
「ありがとう、おかげで助かった」
僕は率直に感謝の念を伝える。
「礼などいりません。
「三原則システム? なんだいそれ?」
「じゃあ解説してさしあげますね!」
「へっ?」
チェリーが右手を広げると、手のひら中央から
「三原則システムは、アメリカのSF作家、アイザック・アシモフが自作品にて提唱した〔ロボット工学三原則〕を元とする
「わっ、わかった! 後で聞くからとりあえずどいて! 重い!」
※※※
その日の夕刻。ドローンを運用するチェーン店の幹部が僕の自室までやってきて、腰が直角にならんばかりの謝罪をした。ドローンが故障したちょうどそのタイミングで強風が吹きつけ、僕のベランダに墜落してきたとのことだ。チェリーのおかげでケガもしなかったし、相応の謝礼も電子マネーで送金してもらったので、この件は示談とすることにした。
「さて、とんだ初日になっちゃったけど」
リビングに戻ってきた僕は、洗濯物をたたんでいたチェリーに声をかけた。背中には僕をかばったことで付けられた傷があった。そこをやさしく撫でてやると、チェリーは不思議そうな表情をした。後でサポートセンターに電話しなくては。
「これからもよろしく頼むよ、チェリー」
僕の言葉を聞くと、チェリーは嬉しそうに三回転してピースサインした。
「はい! こちらこそよろしく!」
「いや回らなくていいから」
こうして、僕と彼女の生活が始まった。振り返ってみると、チェリーは僕に春の到来を告げにきた桜だったのかもしれない。だいぶ遅咲きではあったけど。
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