第13話 レイン王子

「我が国にようこそお越しくださいました、賢者様」

 中年の男性が、和やかな笑顔で晶を出迎えた。

 アイリーン国王都にある迎賓館の応接間は、高そうな壺や彫刻、絵画の飾られた豪華な部屋だった。白を基調とした内装に、アクセントで金の装飾が施されている。大きな窓にかけられた重厚な深紅のカーテンにもやはり金色の房が飾られ、応接セットのソファも見るからにふかふかとして質が良いことが判る。天井からは豪奢なシャンデリアが釣り下がり、室内を明るく照らしていた。

 着替える間もなく応接室へと通されたため、晶は旅中に見繕ってもらった質素な服を着たままだ。明らかに場違いで、それがより一層彼を緊張させ、晶はがちがちになりながら背筋を伸ばしてソファに座った。

 しかし出迎えた国王の雰囲気に、晶は少し緊張を緩めることができた。息子の命を狙っていると聞いて、冷酷な魔王のような人物を想像していたが、実際には、威厳がありつつも、笑顔が魅力的な男性だった。元の世界の言葉で言えば、イケオジといったところか。

 ――この人が、ラスターの命を狙っている……?

 晶は、出されたお茶を飲みながら、なんだか信じらずにいた。

 ソファには、晶の右にラスターが座り、向かいに国王とブロンドヘアの若い男性が。その後ろに亜麻色の髪の少年と少女が立っていた。

「紹介しましょう。こちらが我が息子、レイン」

 国王の紹介に合わせて、男性が「レインと申します。お目にかかれて光栄です、賢者様」と、国王に似た魅力的な笑顔で微笑んだ。物腰が柔らかく、優しい声の男性だ。この人が、ラスターが馬車で言っていたレイン兄上だ。

「ロラン、そして娘のフアナ」

 ロランとフアナは、それぞれ無言のままお辞儀をした。無言ではあったが、ロランはウィンクをし、気持ちの良い快活な笑顔を見せた。対照的に、フアナは不機嫌さを隠しもせず、形式的な挨拶が済むと早々に窓外に目を向けてしまった。

「お疲れのところ、こちらの事情で無理をお願いして申し訳ない。明日、急に南へと行かねばならなくてね。その前にどうしてもひと目お会いできればと」

「え、あの、お気になさらず……。その、こちらこそ、お、お会いできて光栄です」

 緊張でどもってしまい、それで益々言葉が詰まる。生きてきた中で出会った偉い人は、せいぜい壇上にいる校長先生ぐらいの一般庶民にとって、どのように王様と話せば良いのかさっぱりわからない。晶は、今にも目がぐるぐると回りそうだった。

「賢者様がこのように可愛らしい方だとは」

 緊張でがちがちになっている晶の様子を見て、国王は笑みを見せる。

「どうぞ、ゆっくりお過ごしください。自由にしていただいて、何かお困りのことがあれば、我が息子レインへお申し付けください。レイン」

 国王が言うと、レインが立ち上がり「お部屋へご案内いたしましょう」と晶を促した。

 てっきりラスターが一緒だと思っていた晶は、少し驚いて、思わずラスターを見た。

 まさか本当にいまここでラスターが殺されるようなことはないだろうけれど、それでも、国王がラスターを暗殺しようとしているかもしれないと思うと、彼をここにひとりで残していくことなんてできない。

 なんの力もない自分が残ったところで、彼の足手まといにしかならないのはわかっている。だが、部外者の目の前で彼を殺すようなことはないのではないか。自分が居れば、抑止力にはなるのではないか。

 晶が戸惑っていると、ラスターが晶を安心させるように微笑み、「また明日お会いしましょう。今日はごゆっくりお休みください」と晶を促した。

 ラスターは、晶がひとりになることを不安がっているのだと思っているようだった。

 ――そうじゃない、ラスターのことが心配なんだよ。

 でも、言えなかった。あなたのことを殺そうとしている人が目の前にいますよ、と言えるわけがない。ハースの言っていたことを盗み聞きしただけなので、確証もないし、根拠もない。

「はい、また明日……」

 晶はしぶしぶ、レインと共に応接室を出た。

 扉が閉まる寸前に、晶は振り返って隙間からラスターを見た。彼は既に国王の方へ向いており、シージエでのことを報告しているようだった。扉は、静かに閉じられた。

「ラスターと離れて、寂しい?」

 廊下を歩きながら、レインが言う。

「えっ」予想外の声掛けに、晶はレインを見る。

「心配しなくても、また明日会えるから」

 レインは応接室に居た時とは打って変わって、気やすい口調で晶を慰める。

 寂しそうに見えたのか。確かに、彼をひとりにしてしまうことへの不安の他に、寂しさも感じた。

 この世界に来てから、晶を支えてくれていたのはラスターだった。いまでは離れると寂しく感じるほどに、彼を信頼し、心を許しているのだと、晶は気づかされた。そして、だからこそ、彼をひとりにするのが不安だった。

「そうですね……。ずっとラスター様と一緒にいたので」

「そっか。久しぶりに会ったらあの子、いい顔をしていたから驚いたよ。君のおかげだったんだね。あの子と、仲良くしてくれてありがとう」

「いえ、むしろこちらの方こそ、すごく良くしていただいて。色んな所に連れて行ってくれたり、面白い本を教えてもらったりして。それに、魔法を見せていただきました」

「へえ、魔法を?」

「はい。俺――私の国には魔法がなかったので、見せてもらったんです」

 そうだ、ラスターには魔法がある。それも、ハースが言うには強い魔法使いらしい。もしなにかあっても、きっと大丈夫だ。晶はそう、自分に言い聞かせた。

「そう。とても楽しい旅路だったんだね」

 嬉しそうに話す晶を見て、レインは緑色の目を細めて笑んだ。弟思いの、素敵な兄だ。一人っ子で育った晶は、こんな兄が居たらと少し羨ましい。

「えっと、レイン様は――」

「レインでいいよ」

 いいよと言われても、と晶は内心思いつつ、言葉を続けた。

「レインはラスターのお兄さんなんですよね?」

 ラスターはレインのことを兄上と呼んでいた。ロランは見た所、晶と年が近そうだった。フアナはより幼く見える、きっと末娘だろう。年齢はレイン、ラスター、ロラン、フアナの順だろうか。ロランとフアナは似ていたが、レインとふたりはあまり似ていないようだった。その三人は、ラスターとも似ていない。きっとそれぞれ母親が違うのだろう。

 晶の問いかけに、レインは首を振った。

「ラスターは、弟じゃないよ」

「え?」

「さ、ここが賢者様のお部屋だよ」

 驚く晶を余所に、レインは部屋を示す。彼の侍従が扉を開けた。通された部屋は広々としており、窓外に広がる穏やかな川の流れと自然が豊かな中洲地帯との一体感がある、自然な木目の美しい家具が配された落ち着いて素朴な雰囲気の内装だった。植物が多く飾られている。応接室が一階だったのに対し、この客間は二階に位置するため、河と中洲地帯の自然を遠くまで望むことができた。

 晶は、再び金の装飾で飾られた輝かしい部屋に通されるのではないかと身構えていたので、予想外の光景に思わず感嘆の声が出た。自然で、穏やかで、ぬくもりがあり、とても落ち着く雰囲気の部屋だ。

「昔の、アーサーという王様の趣味らしい。この迎賓館から見える景色を気に入って、一部の部屋を彼の好みに誂えたんだ。金銀宝石を好まず、自然を愛した清貧王って言われている。似た趣味の他国の要人に受けがいいから、当時のままの内装にしているんだよ」

「すごく、落ち着く部屋ですね……。じゃなくて、あの、弟じゃないって?」

「あれ、誰も説明してくれなかったの?」

 思い返せば馬車でレインの話をしたとき、ラスターは何かを言いかけていた。もしかしたら、このことを言おうとしていたのだろうか。

「まあ、あの子も君に余計な心配をかけたくなかったのだろうし。ハースも、そうでしょ?」

 レインが目を向けた先に、ハースが立っていた。彼は恭し気にお辞儀をする。晶はその姿を見て、ラスターから離れて心細い気持ちが少し和らいだ気がした。

「申し訳ございません、レイン殿下」

「謝ることじゃないよ。ねえ、そこの君」

 レインはハースと共に待機していたメイドのひとりに声をかける。

「お茶を淹れてきてもらえるかな」

「かしこまりました」

「甘いものもお願いね」

 部屋にはまだ数人の使用人が残っている。レインは手ぶりで彼らを退席させると、晶を窓辺の椅子へと案内した。部屋には晶とレイン、それにハースが残った。

「長い話になるから、ゆっくりお茶でも飲みながら。でも、疲れているだろうしなるべく短くするよ」

 あくびをかみ殺し損ねた晶を見て、レインが小さく笑う。

「それとも、また今度の方がいいかな」

「いえ、いま知りたいです」

 ハースの顔を見て安心したのか、一気に眠気が襲ってきていたが、それよりも知りたい気持ちが勝っていた。

「わかった。どこから話そうかな」

 レインは顎に手を当てて少し考えると「紙とペンを」とハースに指示をした。

 ハースが書くものを渡すと、レインは家系図を描いていく。

「僕たちは従兄弟なんだ。先々代の国王が、我らがおじい様。ラスターの父上が長男で先代の国王。僕の父が次男で、今の国王。その長男が僕で、ロランとフアナは母親が違う弟と妹」

 レインは描きだした家系図に、名前を書き込んでいく。晶はその家系図の、ラスターの母の名前が目に留まった。『アデレード』と記されている。

「あれ、サフィアじゃない……?」

 ラスターの母親は、聖女サフィアだったはずだ。彼が聖女に向かって母と呼び掛けているのを確かに聞いた。勘違いだったのだろうか。

「サフィア? 聖女が、どうかした?」

 怪訝そうに、レインが首をかしげる。

「えーと、その、聖女サフィア様ってどんな人なんですか?」

 ラスターの母親はサフィアじゃないんですか、とは流石に聞かなかった。

「二百年前に、この国の王女だった人だよ。そうだ、実物を見せてあげよう。ハース、いつなら予定がとれるかな?」

「明日、賢者様は大学で研究者にお会いになります。聖堂へ訪問を知らせなければなりませんから、早くて明後日になるかと」

「実物? 見せ……?」

 聖女サフィアが二百年前の人物であることに驚き、更に、実物を見せるという言葉にも面食らった。晶は理解できず、レインを見返した。

「大聖堂に聖女が封印された水晶があって、王都随一の観光名物なんだ。ラスターのお墓もあるし、案内するよ」

「ラスターのお墓?」

 聖女が封印された水晶に、ラスターの墓。

 ますます理解できず、晶は頭を整理しようと目を瞑った。だが、何もわからない。頭が混乱するばかりだ。

「レイン殿下、順を追って説明して差し上げてください」

 見かねたハースが口を挟む。

「そうだね、僕らは知っていることだけど、賢者様は何も知らないものね。そうだな、聖女のことは実際に行って見ながら話そう。いまは、ラスターのことだね」

 そう言うとレインは家系図の、ラスターの父母の名前に線を引いた。

「おふたりは、流行り病で亡くなった。それがラスターが五歳の時だ。そしてその時に、ラスターの姿も消えてしまった」

 ラスターの名前にも、線が引かれる。

「誘拐されたのではと、国を挙げて探したけど見つからなかった。それでお墓が作られて。でも、四年前に戻ってきたんだ」

 晶は、ラスターが十五歳になってから王都に来たと言っていたのを思い出す。ラスターは五歳で誘拐され、十五歳で王宮に戻った。彼は十年間、死んだと思われていたのだ。

「ラスターは、どうやって戻って来たんですか」

 死んだと思われていた少年が急に現れて、本人だと信じてもらえたのだろうか。己で来たにせよ、誰かに連れられて来たにせよ、王宮の門兵に「自分がラスターだ」と言って、誰がまともに取り合うだろうか。

「僕が連れて来たんだ」晶の疑問に、レインが答えた。

「ある晩、聖女サフィアのお告げがあった。北の街へ行けとね。急いで向かったよ。その時のことは、いまでも、ありありと思い出せる」

 レインは、それ以上言葉を続けなかった。目を閉じて、静かに息をしている。溢れてくるものを、整えようとしているように見えた。

「あの子に刻印があることは知られていたから、誰もがもうとっくに死んでしまっていると諦めていた。でも、生きていた。……とても、嬉しかったよ」

 レインは静かな声で言い、それから少し困ったように笑った。

「まあおかげで、王位とか、色々と大混乱だけどね」

 現国王の長子としてレインが継ぐことがほぼ確定していた王位が、ラスターの帰還によって揺らいでいる。口では「大混乱」と言いっているのに、言葉とは裏腹にレインの声色はむしろそれを喜んでいるようで、一切困っていなさそうな様子だ。そのちぐはぐさが、晶はなんだか不思議だった。

「あ、ちょっと遅かったね」

 扉が開く音がして、レインがそちらへ目を向ける。先ほどのメイドが台車にお茶と菓子を乗せて戻ってきたのだ。それをハースが受け取り、ふたりのところへ運んでくる。

「いい香りだ」

 カップに琥珀色の茶が注がれていく。爽やかな香りがあたりに広がり、気持ちが和らいでいく。

「さあ、召し上がれ。急に父上に会うことになって、夕飯を食べ損なっただろう。もう遅いから、軽く食べて、今日はもうおやすみ。長話に付き合わせて悪かったね」

「いえ、ありがとうございます」

 レインは茶をひと口飲むと、「またね」と言い、部屋を去って行った。

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無魔力賢者は聖なる王子と世界を救う(刻印の血脈 青の血統と満月の瞳) 瑞田千貴 @i_nishiki

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