第12話 瞳の色
目元に差し込んだ明るい光で目が覚める。
眩しさを避けるのに手で影を作りつつ、薄目を開ける。昨晩カーテンを閉め忘れたために、朝日がちょうど晶の目元に注がれていた。まだ起きるには早い時刻だが、この地域は春から秋にかけての日照時間が長いようで、朝早くに日が昇る。そのためすっかり目が覚めてしまった晶は、身支度をするために、伸びをしてからベッドを出た。
「賢者様、こちらをお使いください」
そう言って、晶の寝起きに顔を拭くための濡れた布を渡してくれるハースは、今日はいない。そのことに晶は少しほっとしていた。
晶がこの世界に来てから、ハースが身のまわりの世話をしてくれていた。この世界の衣服の着脱に手間沿っていた際に手助けしてもらったのが最初だったが、気づけば朝夕の身支度などもハースがしてくれるようになっていたのだ。
髪を梳いてくれたり、服を着るのに手を貸してくれたり。その上入浴にも手を貸してくれるので、流石に心苦しくなって晶は断ったが、ハースは「賢者様はこの世界のお客様ですから、おもてなしするのが当然です」と言って引き下がらなかった。困ってラスターに相談したところ、「彼の気の済むようにしてやってくださいませんか」とお願いされてしまった。
「それって、つまり……」
「ええ」
ラスターは少し困ったように笑い、頷いた。
「ハースの仕事を奪っているのは私です。私は、昔からの習慣で身の回りのことは魔法に頼っているので、彼の仕事はほとんどありません。晶には申し訳ないですが、主人の客人をもてなすのも彼の仕事のうちなので」
実際、王族にしてはラスターに仕えている人は少ない。常にそばにいる人員としては、従者のハースと彼を手伝う部下がひとり、護衛の若い男性がひとりだけだ。他に旅に同行しているのは軍の指揮官だが、こちらは常時そばにいるわけではない。
宿に着いた際にも、荷の上げ下げにラスターが魔法を使っていたので、他のことも魔法を使って済ませているのは確かだろう。それでハースに世話をされる必要なく、彼は仕事がなくて暇を持て余している、ということらしい。
ラスターからお願いされては断りようがなく、晶はお言葉に甘えてハースから世話をされ続けていた。
世話をされるのは楽ではあるが、気疲れがする。前世で病気のために身体がうまく動かなかった時も、両親にあれこれと世話をかけさせてしまい、ハースから世話をされているときにそのことが思い出されて少し気が滅入っていた。ありがたいことではあるが、いまは身体が元気で自由に動けるのだから自分でやりたい。
今朝は、昨晩王都へ先行したためハースはいない。ハースの代わりに、彼の部下が来ると言っていたが、まだ朝も早いた彼も来ない。多少手間取ったとしても、自分で支度をする時間は十分にあった。
晶は浴室へ続く扉を開けた。浴室には磁気の湯船が置かれ、棚の上には洗面用の盆が用意されていた。大きな水差しの中に水が入っており、晶はそれを盆に移して顔を洗った。
晶は、顔の水を拭いながら、ふと、最近自分の顔を見ていないことに気づいた。鏡自体の存在がこの世界にないのではなく、単に身支度が人任せだったために確認していなかった。
ちょうど手鏡が置かれていたので、髪を整えようと覗き見て――
「えっ!」
手鏡を床に落としてしまった。
床に落ちた衝撃で手鏡が割れる。
あたりに、破片が飛び散った。
晶は呆然と、床に散った破片を見つめた。
心臓が早鐘を打つ。
ゆっくりと慎重に、破片を踏まないようにして、一番大きな鏡の欠片を手に取った。
欠片に映る、知らない顔。
長いまつ毛に縁どられた、満月のように輝く金色の瞳。血色の良い色白の顔で、目鼻立ちの整った中性的な顔立ち。ろくに手入れもされず痛んで伸びたままになっていた以前の状態とは異なる、艶やか潤いのある綺麗な黒髪。
思わず後ろを振り返ったが、別の誰かが鏡に映っているわけではない。鏡の中の人物は、晶の動きに連動して、変な顔をしたり、頬をつねったりした。
鏡に映っているのは、間違いなく晶自身だ。信じ切れずにつねった頬が、少し痛い。
まったく違う顔だ。元の顔は少なくとも、瞳の色が金色ではなかった。
呆気にとられて、身支度をする気力が失せてしまった。破片のない場所を探して、晶は床に座り込んだ。
手にした鏡の欠片を何度覗き込んでも、黄色の瞳がこちらを見返す。床に散った他の欠片も、大きなものから小さなものまで、すべて同じで、やはり黄色の瞳を映し返した。
欠片を触っていた指の先から、少しだけ血が流れていた。いつの間にか、切ってしまっていたらしい。傷口を口に含んで、血を舐める。
鉄の味。
一回死んで、新しい体を得て、その身体がきちんと生きている証拠だ。見た目がどうであれ。
考えてみれば、新しい身体なので顔が違うのは当然なのだが、いままでそのことに一度も思い至らなかった。
晶は深く息を吐くと、手にしていた鏡の欠片を放って、箒をもらいに受付に向かった。
◆
王都に着いたのは夜だった。
晶は、カーテンの隙間から外を見た。時刻的には夜なのだが、この時期は日照時間が長いため未だ夕方のように明るい。酒場の店先に、楽しそうにお酒を飲む人々の姿が見えた。買い物客も多い。王都は、活気に満ちていた。
馬車はゆっくりだが、着実に王宮へと向かって進んでいく。街行く人々がラスターの馬車であることに気づいたようで、王都の中程を進むころには沿道は大変な人だかりができていた。
「ラスター様!」
「ラスター殿下!」
街の人が、ラスターの名を呼ぶ。彼はカーテンを開けて、人々に手を振り続けていた。
「人気ですね、すごい人だかり」
シージエ近くの避難所でも彼を見るのに人が集まったが、その比ではない。特にラスターが座っている右側の沿道は、人が集まりすぎて街の警ら兵が通行を誘導する羽目になっている。
「もの珍しいだけです。私は王都にいないことが多いので」
「そうなんですか?」
「はい」
晶に返事をしている間も、ラスターは窓の外に向かって手を振っていた。声の調子から、おそらく笑みを浮かべて人々に応じていることがわかる。
晶は彼を邪魔しないように、しばらく黙ることにした。
カーテンの隙間から見る王都の街と、人々。ラスターは「珍しいだけ」と謙遜したが、集まった人の多さから、やはり彼の人気が伺える。
ラスターはアイリーン国の王子だ。だが、彼が人々に慕われるのは、きっと彼が単に『王子』であるからだけではないのだろう。出逢ってまだ日は浅いが、晶は彼のことを友人として好きだ。きっと王都の人々にも、彼の良さが伝わっているのだろうと、晶は推察した。
馬車は、王都の西側から街に入った。王都はその北に大きな湖があり、そこからの川が街の中央を流れている。その川によって作られた中洲に王宮があり、川を天然の堀として活用していた。
ラスターは王宮近くになってようやくカーテンを閉めた。その頃には沿道の人も減り、前方は厳しい建物ばかりの、おそらくビジネス街もしくは行政の建物が集まるエリアが近づいていた。
「お疲れ様です」
晶は思わず、そう声をかけた。
「ありがとうございます」とラスターは微笑んだ。あれだけ手を振り続けた後でも、爽やかに微笑むことができるのは流石である。
「本当、みなさんラスターのことが好きなんですね。今日の人だかりを見てラスターが王子様なんだって改めて思いました」
そんな王子様と、こうして話しているのだと思うと、晶は不思議な気持ちがした。
「私なんかよりも、レイン兄上の方がすごいですよ」
ラスターは首を振って、そう答えた。
兄がいるのか、と晶は少し驚いた。ひとりっ子の晶が言えたことではないが、彼に次男らしさを感じず、勝手にラスターも一ひとりっ子なのだと思い込んでいた。
「お兄さん、どんな方なんですか?」
「あ、いえ、レイン兄上は……」
言い終わらないうちに馬車が止まって、ラスターが怪訝な目線を御者席へと向けた。
「どうした?」
ラスターが窓を開けて、御者席にいる侍従に確認する。だが、御者も侍従も事態をつかめていないのか、はっきりとした返答はない。
晶はカーテンの隙間から外を見た。まだ街の中で、王宮に到着した訳ではなさそうだった。晶のところからは、前方の様子までは見えない。外で話し声がするが、遠く、判然としなかった。
「晶はここで待っていてください」
ラスターは扉を開けて、馬車の外へと出て行ってしまった。待っていてと言われたが、それでも自分も行くべきか晶は迷った。けれど外の様子がわからない上に、何の力もない自分が付いて行っては足手まといになると思いなおし、晶は馬車に残ることにした。
「あ、お待ちください殿下!」
馬車を降りたラスターに御者が声をかける。だが手綱を放せない彼では、御者席を降りてラスターを制止することはできなかった。
「何事だ」
ラスターが馬車を先導する騎馬のところへと向かうと、別の騎馬隊が道を塞いでいた。先に行った侍従や騎士と、その騎馬隊が揉めているようだ。
「殿下、申し訳ございません」
相対する騎馬から、精悍な顔つきの青年が降りてくる。王宮の近衛兵だ。それも、国王付きの。
「いまから賢者様とともに国王陛下に謁見していただきたく、お迎えにあがりました」
「謁見は明日のはずだが」
ラスターはあえて険しい顔をして、不快さを演出した。長旅で疲れている晶を一刻も早く休ませたかったからだ。
「明日、陛下は急遽公務のため王都を立たれることとなりましたので。お疲れのところ申し訳ございませんが、どうか我々に続いていただけますか」
青年の口調は丁寧だったが、彼は決定事項を伝えているに過ぎない。彼に抗議しても、意味がない。
「謁見の場所は、迎賓館か?」
王宮のある中洲の手前で止められたことを考えると、他に候補はなかった。
「左様でございます」
「私の従者は?」
「先に迎賓館へ向かわれております」
「わかった。では、案内してくれ」
ラスターは踵を返して、馬車へと向かった。
迎賓館ことアリア宮殿は、王宮がある中洲地帯の手前の岸に居を構えている。中洲地帯の豊かな自然と、王都を貫く大河(おおかわ)の穏やかな流れを眺めることができ、その上中心街への移動も容易な利便性の高い立地だ。建物自体も二百年前の戦勝の際に、その記念にと派手に予算を使って建築された優美な宮殿で、貴賓を迎え入れるのに大変重宝されている。
賢者をこの美しい迎賓館へと迎え入れることは、国を挙げての歓迎を示している。だが、馬車を止めてまで行き先を変更させるまでのことだろうか。
当初の予定では馬車は中洲地帯へ入り、王宮内の客間で賢者を迎えるはずだった。国王にとっても、明日出立するのであれば、王宮内の客間である方が都合がよい筈だ。
警戒されているのだな、とラスターは考えるまでもなく気づいていた。此岸の迎賓館は、国王の懐である王宮に迎え入れるほどには信用のない相手を(そうとは悟らせずに)留め置く場所でもあるからだ。そしておそらく、明日急な公務が入ったというのも、賢者を迎賓館へ誘導するための方便だろうと考えられた。『賢者』が異邦人であることは神託の時点で判っていたが、近隣諸国に多い人種ではなく、東方のファーレン国に多い人種の人物だとの報道が既にされており、それが国王の側近を刺激し、王宮の手前で留め置くことに決まったのだろう。
アイリーン国を含むこの近辺のどの国でも、ファーレン国などの大陸東側に多い東方人種は珍しい。そして、珍しいというだけで注目され、時には理由なく警戒される。人間は群れの生き物であるため、集団と異なる性質を持つ個を受け入れることに抵抗があるからだ。しかし、それを臆面もなく発露していいわけがない。だからこそ、賢者を迎賓館へと誘導するのは、あからさまではないものの、その意味の分かる一部の人間には非常に不快さを感じされるものだ。
ラスターは馬車に戻りながらため息を吐いた。あの近衛兵に拒否権がないように、ラスターにも拒否権はない。君主制の国家において『国王』という権威の前にはどのような人間でも等しくその人自身の権利と自由が制限されてしまう。
馬車はおとなしく、迎賓館へと進むのみである。
「何があったんですか」
ラスターが馬車に戻ると、晶は問いかけた。
「行き先が変わったようです。それと、いまから国王に会うことになりました」
ラスターにそう告げられ、晶はにわかに緊張した。
明日だと思って、緊張しないように、なるべく考えないようにしていたことが急に降って湧いてきてしまった。胃が緊張で痛む。
「が、がんばります」
虚勢を張ってみるも、顔が引きつった。
「国王陛下は気さくな方ですから、楽にしていて大丈夫ですよ」
そうは言われても、晶の気持ちは直ぐには楽にはならない。それに――晶はちらりとラスターを伺い見た――国王はラスターの命を狙っているとハースは言っていた。嘘か本当かはわからないけれど、その可能性がある人と会うのに、緊張しないわけがなかった。
少しでも遅く着きますように! という晶の願いもむなしく、馬車の進路を再び遮るものはなく、無事に迎賓館へと到着した。
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