第11話 従者ハースの心配
一行は王都の手前にある大きな都市に着いた。今晩はこの都市に泊まり、明日一日馬車に乗り、途中の町であともう一泊したその次の晩に王都に着くという。
宿での夕食が済んだ後、晶はラスターの部屋へ向かった。今日は寝る前に読書会を開くことにしていた。
晶が心を弾ませながらラスターの部屋の扉に近づいたとき、中から話し声がした。
「殿下、先に王都に向かわせていただきます」
「夜中に申し訳ないが、よろしくお願いするよ」
「賢者様の謁見の準備を整えて、お待ちしております」
そう会話するラスターとハースの声が聞こえて、ノックのために手を上げたままの姿勢で晶は止まった。王都に着くということはいよいよ謁見だ。晶には謁見の場で着られるような服がないから、ハースが先に行って準備をしておく算段になっている。
ハースがすぐに部屋を出ていくかと思って、晶は外で待っていたが、しかし彼は一向に出てこない。
「殿下、やはり王都にお戻りになられないほうがよろしいかと……」
少しの沈黙の後で、ためらいがちに、そう口にするハースの言葉が聞こえて来た。
「なぜ、そう思う?」ラスターが静かに聞き返す。
「……国王陛下は、殿下のお命を狙っておいでです。今回、殿下を瘴気が蔓延している街へ向かわせたのも――」
「本当にそう思う? ハースの言うように陛下にそのおつもりがあるのなら、私の命はすでにない。十五で王宮に戻ってから、いくらでも機会があったはずだからね」
ハースは答えず、扉の向こうで再び沈黙が流れた。
¬¬――国王が、ラスターの命を狙っている?
晶は驚き、自分の耳を疑った。
ラスターはアイリーン国の王子だ。国王はつまりラスターの父親のはず。実の父親が、息子の命をねらうことがあるのだろうか。ラスターも否定しているし、ハースの思い込みなのではないだろうか。
だが、晶はハースの言っていることも、嘘には思えなかった。それはハースが、心底ラスターの身を案じているからだろう。
「私が強いことは、良く知っているだろ。ね、ジーン兄さん」
親し気な口調で、ラスターがハースを諭す。
「……どうかご無理をされませんように」
「うん、ありがとう」
ハースが扉に向かって歩いてくる足音がして、晶は慌てて扉から離れた。廊下の窓には、丈の長いカーテンがかかっている。急いでその中に逃げ込んだ。聞いてはいけない会話を、聞いてしまったような気がしたからだ。
「失礼します」
扉の閉まる音。しかし、足音は直ぐにはしなかった。
カーテンの端から、そっと扉を伺い見ると、ハースは扉の取っ手を掴んだままでそこに立っていた。
ややあって、深呼吸をして、ハースは扉から離れた。足早に廊下を去っていく。
晶は隠れていたカーテンから外へ出たが、再びラスターの扉へは近づかず、自分の部屋に戻ってしまった。ラスターは聞かれていたことを知らないだろうが、晶は何事もなかったように接することができる気がしなかったからだ。こんな話を聞いてしまった後で、平静ではいられない。
自分の部屋に戻り、ベッドに潜り込む。廊下を歩いたせいか、足先が冷たい。ラスターとハースの会話が頭の中で反芻して目が冴える。
晶はラスターと知り合ってからまだ日が浅い。だからラスターから父親の話を聞いたことがないのは、単に機会がなかっただけで、ハースの心配するようなことは何もないんだ。晶は安心しようと、そう考えた。
しかしその理屈では、ラスターと長く一緒にいるハースの言葉の方が真になる。
命を狙われるような親子の関係に、晶は何の言葉も見つけられない。
晶は身を縮ませて、冷えた足先を両手でぎゅっと包み込んだ。
◆
ハースは、胃が痛むほど料金が高い深夜の速馬車を乗り継いで、翌朝王都に着いた。彼の身体は馬車の激しい揺れで疲れていたが、休むことなくその足で王宮の縫製係へ行くと、賢者が謁見の際に着る礼服を確認した。
予め縫製係に、魔石通話機を使って賢者の体形を伝えており、それをもとに既製服を用意させた。深い青の、優美な礼服だ。それと同時に、晴れ着の仕立ても急いで進めていた。こちらはほとんど出来上がっており、細部を本人に合わせて調整すれば完成は間近だ。
ハースは、縫製係から謁見用の礼服を回収し、二、三細かな用事を済ませたあと、ラスターの執務室へと入った。主人のいない部屋は、静まり返って陰気な感じがした。カーテンを開けると、光の中に埃が舞うのが見える。机にもうっすらと埃が積もっていた。視察続きでもうひと月はこの部屋に帰っていなかった。
ラスターは使用人をほとんど付けない。部屋の掃除も自分で行うほどだ。といっても、彼の場合は掃除道具を魔法で動かして掃除をさせているのだが。その掃除道具が、部屋の隅で息絶えたように転がっている。南西部への視察に行っている期間の分しか、魔法をかけていなかったからだろう。
ハースは魔法を使えない訳ではなかったが、掃除道具に自ら掃除をさせる方法は知らない。そのようなことは学校では学ばないからだ。学校で学ぶのは、四元素を基礎とした魔法を使った戦い方だ。掃除用品に自分で掃除をさせる魔法は一体どの元素で行うのか、見当もつかない。
ラスターは十五歳で王宮に戻って来るまで、一体どこで魔法を学んでいたのだろうか。ハースはそれがいつも疑問だった。
ハースは廊下を通りかかった女中に部屋の掃除を命じ、それから縫製係から回収した賢者の服を皺にならないよう衣桁にかけ、埃除けに布を被せた。
ラスターの部屋を出たハースは、王宮の中をしばらく歩いた。
王宮の中は相変わらず人が多い。使用人や出入りの業者以外に、政治家や役人として出入りしている貴族が余計な取り巻きを侍らせているからだ。警備上問題があるとしかハースには思えないが、貴族が連れているのだから身分は確かなのだろうという建前で不問となっている。加えて、仮に風体の怪しい者が居たとしても、その人物を連れている貴族を怒らせて無用な恨みを買いたい者はいないので、見過ごされてしまう。
とはいえ、一介の貴族が入れる範囲は限りがある。王族が暮す本宮と、執務室がある区域へは許可なく入れない。古い魔道具が入退室を管理していて、仕組みは不明だが、扉の前に置かれた石板に手をかざし、認証された者でなくては入れない。
ハースとしては、王宮と政務に関する建物の敷地さえも別とし、王宮への立ち入りの一切を制限する方が安全だと考えているが、魔道具があることによってひとまず本宮が安全ならばそれでいいし、いまはこうして人の出入りが雑多である方が都合もよかった。
ハースは王宮の中を進み、通りすがりに顔見知りと挨拶を交わしつつ、やがて人気のない廊下へとたどり着いた。大きなカーテンの影に入ると、その奥には扉があり、彼はそっと音を立てずに中へと入った。
扉の先は窓のない部屋で、広い壁に見上げるほど大きな壁掛けの織物(タペストリー)がかけられている。織物には金の糸と銀の糸で人の名前が記されており、それがしだれ柳のように布の上に広がっている。その織物の端を軽く持ち上げるとその裏に引き戸があり、ハースはその戸を静かに開け、わずかな隙間を作って中に入った。
「ただいま戻りました」
続きの部屋には先客がいた。先客は部屋の中心に椅子を置いて壁の方を向いて座っていたが、ハースの声に振り返って「お帰り」と返事をする。
「ラスターの最近の様子はどう?」
「変わりなく……。いえ、とても楽しそうにしておられます」
「へえ、あの子が?」
「はい。この頃は笑顔が増えました」
「そう。あとで詳しく聞かせて」
ハースは頷いて、先客の隣に椅子を寄せてそこへ座る。
ふたりが見つめる壁には、幾枚もの肖像画がかけられている。作成された年代は様々だろう。だがどれも豪奢な額に収められ、各画の下には描かれている人物の名とその生年が記された札がつけられている。
最も新しいもので『ラスター 一九八〇』、それから『アーサー 一八五三』、『サフィア 一七七九』と続く。最も古いものにはもはや生年は記されておらず、札にただ『メティス』と名前があるのみだ。そして壁の最上部には、薔薇の紋章が掲げられている。
「何度見ても、美しいね」
先客はうっとりと感嘆の声をもらし、壁にかかる肖像画を眺める。肖像画に描かれている人々は、皆一様に白銀の髪に青い瞳をしていた。貴重な青い石を砕いて作られる顔料で彩られた、印象的な青い瞳。本物の瞳のように輝き、いまにも瞬きそうな精細さで描かれている。
「私はまだ信じられません……」
「確かに、現実離れしているとは僕も思う。でも目の前に事実がある。始祖の女王メティスから始まる、青い瞳の血脈の証拠がここにある」
王宮の奥深く隠された部屋の中で、ひっそりと存在している肖像画たち。ハースはこれまで何度もこの部屋を訪れているが、いまだに部屋の主に鉢合わせたことはない。しかし誰かがここ数年内にラスターの画を加えたのは間違いない。彼の姿は、王宮に戻ったばかりの十五歳の頃のものだ。しかし、その頃に画家を呼んでラスターの肖像画を描かせてはいない。
誰がラスターの絵を描き、誰がこの部屋に飾ったのか。そもそも、なぜ似た容姿の人々の絵が飾られているのか。始祖の女王メティスに始まりラスターに至るまで、誰がこの壁に肖像画を飾り続けているのか。
奇怪な部屋の主のことを一旦頭の隅に置き、ハースは隣に座る先客を盗み見た。うっとりと肖像画を眺めているが、同時に信念に満ちた鋭い光があった。
「後悔は、しませんか」
思わず、口を吐いて出ていた。代償は決して少なくない。
「何に対して?」
問われ、驚いて目を見張る様子に、ハースは「何でもございません」と返事をした。
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