第7話


 ある初夏の早朝、俺は心地よい薫風に髪を撫でられながら、のびのびと生い茂る草木に郷愁を誘われていた。道端にはムラサキツユクサが咲いており、その場にしゃがみ込んで、何も考えずじっと眺め続けた。しばらくそうしていると、後ろから砂利を踏み締める音がして振り返ると、太陽光を反射して燦然と輝く坊主頭が見えた。


「よっ!楓。何してんだ?」


「おはよう、清二。見ての通り、花を鑑賞してたんだ」


「お〜、流石イケメンはやる事が一々優雅だなッ!でもそんなのんびりしてる暇ないんだけどなッ!遅刻したらシバセンに殺されるぞッ!」


「うわっ、もうこんな時間かッ!清二、先行くぞッ!!」


「なッ!?おいッ!!置いてくなよッ!!‥‥‥足速すぎだろッ!!ちょっとッ!!」


 俺は肩にかけたエナベルバッグを弾ませながら遠くに見える校舎まで走った。清二の声がどんどん遠くなっていき申し訳なく感じながらも、遅刻した場合に想定される未来への恐怖が俺を更なる加速へと導いた。やがて広大なグラウンドの脇にある校舎の影になっている集合場所に辿り着くと、殆どのメンバーは既に着替えを開始しており、俺も柴崎先生から嫌味をもらいながらも三秒ほどでパンツ一丁になった。そこで夏場の試合には欠かせないスポーツドリンクをタンクに入れて運んでいたマネージャーの姫島さんが顔を真っ赤にしていた気がするが、取り敢えずユニフォームに着替え、キャプテンの島田先輩の元へと走る。


「‥‥ぜぇ、ぜぇ、あぶねぇ‥‥」


「清二、遅いぞッ!‥‥‥よし、全員揃ったな。いよいよ県大会だ。俺達三年生が全員揃って臨める最後の公式戦でもある。しかも、幸運にも相手はあの春日里だ。‥‥‥絶対に勝つぞッッッ!!」


「「「おうッ!!」」」


「二年生はベンチ入りした奴もそうでない奴も変に気負わないようにッ!一年も応援頼むぞッ!」


 キャプテンの激励を受け、三年生はそれに応えるように闘志を全身から漲らせていた。それもそのはずで、光明高校サッカー部は一昨年は一回戦敗退、去年はこの舞台にすら立てなかったと、三年生は皆悔しそうに話しており、過去に涙を流し未練を残したまま卒業していったOBのほぼ全員が今日の試合の応援に駆けつけていた。

 そこで柴崎先生がボードを手に持ち島田先輩の横に立って、スタメンを発表した。キーパー以外全員が三年生で俺はベンチ入りしただけだったが、これは事前に運営に提出されているため、それに対し驚きは無かった。ただ受け取った七番のユニフォームを着てコートに立ちプレーするイメージだけは、常に頭の中でしっかりと持っていた。

 

 アップを終えベンチに入る前にトイレへと小走りで向かった。洗面台で手を洗っていると、春日里の白いユニフォームを着た三人の男達がゲラゲラと笑いながら隣にやってきた。


「それでその子の彼氏がさぁ——、ん?んん?あの〜、俺達どっかで会った事あるっけ?」


 その中の金髪の強気そうな男がこちらに話しかけてきた。手の水滴を払い飛ばしながら、男の言葉の意味を少し考え、記憶の隅から一つの答えを引っ張り出した。


「あの時のチンピラか‥‥‥春日里なのは知ってたけど、サッカー部だったの?」


「あッ!!思い出したッ!!こいつだよこいつッ!!俺と海ちゃんとのデート邪魔してきたクソ野郎ッ!」


「ガチで?むっちゃイケメンじゃん」


「てか光明にこんな奴いたっけ?」


 俺は冷静に考えれば正体を明かす必要は無かったなと思いつつ、試合に出場する可能性があり余計な揉め事は起こすまいとその場から離れようとする。


「おい待てよ、お前試合出んの?」


「‥‥‥」


「おい、スタメンじゃねぇのかよ〜。光明で出れないんじゃ、底が知れてんな」


「‥‥‥」


「おいダンマリかよッ!そういえば海ちゃんが——」


「‥‥‥もうッ!!耳元でうるせぇよッ!!しつこすぎるだろッ!!」


 俺は光明のベンチ近くまで執拗に追いかけてくる男に我慢の限界を迎え素早く方向転換すると、その顔を見下ろしながら捲し立てる。


「急にキレるじゃんお前‥‥‥」


「あのなぁ!!俺がムカついてんのはなぁ!お前が弓月の事を名前で呼んでる事だよッ!!俺もまだ呼んだ事ないのにッ!このブスッ!!死ねッ!!」


「なッ!?おいてめぇ!!言い過ぎだろッ!!試合にも出れねぇ下手くそがッ!!あの時の喧嘩も警察が来てなきゃ今頃お前の顔面ボコボコだぞクソ野郎ッ!!死ねッ!!」


「何!?下手くそだとッ!?この俺がッ!?交代で出たら覚えとけよお前ッ!!」


 数分いがみ合った後、春日里の先輩に呼ばれた男は、暴言を吐き捨てながら帰っていった。俺もベンチへと向かいながらも、こういう口喧嘩は久しぶりで意外にも少し楽しかった事実が、尚更腹立たしかった。









 試合が開始し、前半終了間際までは両校一進一退の攻防を繰り返していた。俺はベンチで声を出しながらも、何か嫌な予感が胸に広がり、それが消えることはなかった。


(何より、島田先輩の調子が悪いな)


 光明は大きくボールを蹴ってそれを島田先輩を含めたフォアード陣が裏に抜けるか、足元につけてそこからポストプレーで崩していくスタイル、といえば聞こえは良いのだが、実際は島田先輩頼りの僑軍孤進、孤軍奮闘といった感じで勝ち進んできたチームであった。その為、一人の選手の調子がそのゲームの内容に強く影響してしまっていた。

 対して今もポゼッションサッカーを貫く春日里は全員の足元の技術がこちらを遥かに凌駕しており、一人が過剰にボールを保持したとしても誰に咎められる事もない、偶に対戦する遊び心があって見ていて楽しいチームだった。前半残り三分程で相手のコーナーキックとなり、ショートコーナーで不意をつかれた光明のディフェンスに向かってクロスが上げられた。ゴール付近に選手が密集し、ようやく俺の視界にボールが入った時には、それは光明のゴールを揺らしていた。

 春日里の応援団の興奮冷めやらぬ中前半終了のホイッスルが鳴り、敵に振り回され息を切らし大量の汗を流した選手がベンチへと帰ってきた。


「おいッ!!下を向くなッ!!水は少しずつ飲めよッ!!」


 柴崎先生の一言に全員が顔を上げ、後半に向けて戦略的な指示をパイプ椅子に座って聞く。


「楓、アップは出来てるか?」


「はい」


「遠藤と交代でトップ下に入れ。この紙持って受付行ってこい」


 俺は立ち上がり用紙を受け取ると受付まで走り始めた。受付で爪と脛当てとスパイクの裏を見せ交代の申請を完了させベンチへと戻る途中、俺と交代する遠藤先輩がこちらに近付いてきた。


「おい、頼んだぞ」


「はい」


「‥‥‥なぁ、正直俺のプレーをどう思った?やっぱり、シバセンの情けでお前じゃなくて俺がスタメンだったのか?」


「‥‥‥いや、あの人はそんな思い出作りみたいな馬鹿馬鹿しい事はさせないと思いますよ。勝利するための最適解が、三年生だけのスタメンだったんだと思います」


「ッ‥‥‥涼風!三年を、何より誰よりもこの日のために頑張ってくれた島田を、勝たせてやってくれ!」


「‥‥‥任せてください」


 正直に白状すると、俺は自分が出ていた方が内容は良くなっていたしなんなら失点も無かったと傲慢にも思っていたが、明るい灰みの黄色くサラサラとした地面に溢れ落ちた透明な雫を視界の端に捉え、考えを改めた。


(そりゃ悔しいよな、こんな本当の意味でぽっと出の下級生と交代なんて。しかもあんな言葉をかけれるなんて凄いな‥‥‥チームワークか)


 ピッチに入り円陣を組みながら、一人でどうにかしてやろうという愚かな考えを捨て去り、スタメンでは無かった意味を自分なりに解釈した。島田先輩に駆け寄って少し話をした後、審判の声に自分のポジションへと走る。

 センターサークルのギリギリで構え、後半開始のホイッスルと共に勢いよく走り出した。味方の転がしたボールを大きく踏み込み右足で擦り上げると、それは綺麗なバックスピンで伸びていき、相手サイドバックの頭上へと向かっていった。意表をつかれたのか対応は中途半端なヘディングとなり、こぼれ球をサイドから駆け上がった島田先輩が胸トラップで収める事に成功した。島田先輩はチラリと首を振り、ボールを蹴った俺が思いの外近くに上がってきた事に驚きつつもパスを出し、俺は相手が寄せてくる前にワンツーを選択しスペースへとダイレクトパスを出す。口の中の水分を蒸発させながら全力で走り、ゴール前へと一気に到達した。しかし、島田先輩からクロスが上がってくる事はなく、相手にスライディングで防がれコーナーキックとなった。


「はぁ、はぁ‥‥‥すまん、ナイスパスだった」


「ドンマイっす。ここで決めましょう」


 そう言うと俺は身長を活かした競り合いではなく、一歩下がったこぼれを狙うポジションにつく。すると俺のマークには、くすんだ金髪の持ち主がこちらの腰に手を当てながらついてきた。

 

「おい、下手くそ。決める、とか調子乗ってんじゃねぇよ。しかも最初のパスなんだあれ、中学生でももっといいパス出せるぞ?」


「まぁ、見てろ。ツータッチだ」


「は?」


 カーブのかかったファー目がけたクロスは一見こちらにボールは来ないだろうと思われたが、相手キーパーの素晴らしい飛び出しからのパンチングで、俺の足元へと吸い寄せられる様に落ちてきた。それを右足の爪先でトラップした後、ツータッチ目で素早くシュートモーションに入る。


「おらッ!!」


 しかしゴールへのコースを防がんとする金髪の男が激しいプレスをかけて身体をぶつけると共に、ボールへと足を伸ばしてきた。俺は瞬時に反対方向へと切り返し男を抜き去ると、しっかりとカバーにきた相手ディフェンスが伸ばした足の少し下を狙い、左足を渾身の力で振り抜いた。


「なッ!?左利きかよッ!?」


(入った)


 何回も打ってきた位置だからか不思議とそう確信できたその無回転シュートは、股の下を通ったため相手キーパーの死角となり、頑強に守られていたゴールの右上のサイドネット付近へと吸い込まれていった。ここまで綺麗に成功した要因の一つは、俺の後半開始直後の右足でのロングパスが相手ディフェンスに逆足を利き足だと誤認識させていたからだろう。

 その勢いから僅か二秒ほどでネットを揺らしたそのシュートに、あれだけ騒がしかった各校の応援やベンチ、そして選手達にも静寂が流れた。俺は一人で味方ベンチへと駆け出し、それに対応するように空気さえ揺れる事を認識したと錯覚するほど、耳をつんざくような歓声が響き渡った。


「「「うおおおおおおおおおッッッ!!!!」」」


 何度経験しても、歓声を浴びながらのゴールパフォーマンスほど気持ちの良い事はないと断言できた。清二や姫島さんがこちらに駆け寄ってくるが、公式戦のためグラウンドに入ることは出来ないため、手を振って自陣へと戻る。


「楓ッ!!ナイスッ!!」

 

「あざす」


「まだ同点だぞッ!!切り替えろッ!!」


 試合が再開し、しばらくすると俺は再び危機感を持ち始めた。今も相手は光明ゴールへと迫り、センターバックがファールをした事で、まずい位置でフリーキックを与えてしまっていた。


(前半からあれだけ振り回されてるからか、みんな体力が限界に近い。それに‥‥‥)


 フリーキックの壁になる選手に指示を送りながら、相手の攻めの要であろう右ウイングの背番号十番の選手の位置を確認する。


(絶対あいつを使ってくるッ!)


 俺の予想通りフリーキックは直接狙える位置だったにも関わらず、右サイドのスペース目がけた、ふわりとしたスルーパスだった。


「ふッ」


「ッ!?このッ!!」


 俺よりボールに遠かったにも関わらず、いつの間にか十番のユニフォームを俺は必死に追いかけていた。


(速いッ!今までのピンチ全部こいつの足にやられてるッ!交代で体力の残ってる俺が止めないとッ!)


 身体を上手く前に入れられており、このまま無理にボールを奪おうとすればファールになってしまう状況で、十番はシュートモーションに入った。


「はあッ!!」


 渾身の力を振り絞ってコースを防ぐスライディングをして、何とかボールをクリアする事ができた。


「ちッ」


 スライディングで擦りむけ土と血の混ざった足に無理矢理力を入れ立ち上がると、コーナーキックのマークを指示していった。



 試合はドローのまま終盤に差し掛かり、光明は前半と同様に全員が引いて守り、何とか首の皮一枚繋がっている状況だった。


「おいおい、バテてんじゃねぇか?」


「‥‥‥うるせぇ」


 隣で煽ってくる金髪の男も二年生で試合に出ているだけあってテクニックがあり、少しでも油断するとこちらのマークを掻い潜り鋭いパスを蹴り込んでくるため、体力と神経は徐々に擦り減っていった。相手の十番に抜かれた味方のカバーに奔走し、何とか相手に当てつつクリアする事に成功し、ボールを取りにコートの外へと走ると、そこには見慣れた顔があった。


「‥‥‥はぁ、はぁ。‥‥美雨ちゃん、ありがと」


「楓、ウチに気づいてなかったね」


「え?」


「いつもなら気づいてカッコつけて挨拶してくるでしょ?今の楓ってさ、頑張ってるけどさ。いつもの落ち着きがないっていうか、焦ってるっていうか。あと上手く言えないんだけどさ、なんていうかさ、今の楓は、一人よがりってやつじゃない?」


「‥‥‥一人、よがり」


 俺は遅延行為にならないよう美雨の慣れない挙動で蹴られた弱い勢いのボールを手に持って急いでコートへと戻った。すると駆け寄ってきた三年生が俺に手を差し出してきた。


「スローインは俺がやるから、お前はもっと上がれ」


「‥‥‥分かりました」


 気がつけば試合は残り五分を切っており、スローインは結局相手にカットされ、相手の十番へとボールは渡ってしまった。俺はカバーに下がろうとして、ふと若山美雨の言葉を思い出してその場に立ち尽くした。


(‥‥‥一人よがり、か。チームワーク、連携を求められてるって分かっていたのに。‥‥何もしない事が正解だった。ただ、信じていれば良かったんだ)


 今も歯を食いしばりながら相手の十番に食らいついている先輩を見ながら、俺はそう確信した。痺れを切らした十番は強引に突破を図ったが、一度抜かれても身体を入れてフィジカル勝負に持ち込み、遂にはボールを奪い取った。


「楓ッ!!」


 ロングボールが俺目がけて蹴り込まれ、マークについていた金髪の男と空中で激しく競り合う。


「おらッ!」


「ふッ!」


 余剰な身長が功を奏し、ボールは俺の後ろに逸らすようなヘディングを受けて島田先輩へと渡った。いつもならそのままドリブルで運びフィニッシュまで行ったはずの島田先輩は、自信の喪失からくる逃避か、咄嗟の臨機応変な判断かは分からないが、素早く走り込んだ俺にシュートを打てとばかりにボールを転がしてきた。図らずも一点目とほぼ同じ状況であり、俺は過去をなぞるように左足を振り上げた。しかしそれを警戒しないはずもなく、二人のディフェンスに追いついてきた金髪の男を合わせた三人が俺を囲みシュートコースどころかパスコースまで潰してきた。


(これで良かったんだ、ここで俺が決めても意味が無かった。チームで勝てなければ、どのみち勝ち残ることは出来なかったんだ)


 俺は振り上げた足を速度を緩やかに落としながらボールの下を持ち上げるようにして相手ディフェンスの頭上へと蹴り上げた。それと同時に俺はディフェンスに軸足を削られ、その場に倒れ込んだ。


「ループッ!?」


 そのボールはオフサイドポジションぎりぎりで待っていた島田先輩の届くぎりぎりの所に落ちていき、先輩の腕のキャプテンマークが揺れると同時にボールはそこから消えていた。

 一瞬世界から音が消え、何人かがこちらに走ってきてこちらを覗き込み俺を立ち上がらせた。先輩達の溢れんばかりの笑顔と興奮から、俺は何が起きたのかを理解し、心からの笑みを浮かべた。











「あざした」


「お前マジで上手かったわ、俺らの分まで勝ち進めよ」


 相手選手と挨拶していると金髪の男を見つけ駆け寄る。


「おい」


「‥‥‥あ?」


「お前‥‥‥その目」


 金髪の男の目は異常な程充血しており、最初はまさか悔しくて泣いているのかとも思ったが、間違いなく涙ではなく真っ赤に染まった液体が頬へと伝っていた。


「うるせぇ‥‥‥ゆっくり‥‥喋んな‥‥」


「は?」


 意味不明な言葉を残して男は頭を押さえながら去っていった。その後柴崎先生から試合に関する称揚と課題、今後の予定を聞いて解散する流れとなった。


「涼風君ッ!今日は——」


「楓ッ〜!!」


 俺が姫島さんに振り向こうとした所で、背中にふわりと美雨が抱きついてきた。ほのかな甘い香りと柔らかな二つの球が潰れる感触に意識は自然とそちらに持って行かれてしまった。


「さっきは偉そうなこと言って本当にごめん〜」


「いや、おかげで大切な事に気づけたよ。本当にありがとう、美雨ちゃんはやっぱり賢いね」


「いやッ!そんな真正面から言わないでよッ!照れるじゃんかッ!‥‥‥楓さ、今度はいつ遊べる?忙しいなら全然いいけどさ」


「今更なに遠慮してんの?応援のお礼もしたいし、いつでも誘ってよ。


「そう、だよねッ!じゃあお邪魔しちゃったみたいだし、今日は帰るねッ!」


「うん、気をつけてね」


 そう言って美雨は帰っていき、俺はその髪を彩るカチューシャを少し見つめた後、何とも言えない顔をする姫島さんへと向きを変えた。


「ごめん、待たせちゃって。どうしたの?」


「‥‥‥今日、一緒に帰らない?」


「いいよ、ちょっと待ってて」


 すぐさま準備をして駅までの道を姫島さんと二人で歩く。遥か彼方に聳える山の背には夕陽がこれでもかと存在を主張しており、森閑とした自然には微かに虫や鳥の鳴き声が響いており、その懐かしくどこか幻想的な様に、うわずった気持ちも落ち着いてきた。


「さっきの子って、春日里の子?」


「うん」


「仲、良いんだね。‥‥もしかして付き合ってたり——」


「いや、下僕‥‥じゃなかった。友達だよ、友達」


「?‥‥‥そう、なんだ」


 姫島さんは少し俯いた後そう言うと、不意に鞄に手を入れてハッとした顔をした。


「涼風君、ごめん。先帰っててくれる?」


「どうしたの?」


「忘れ物しちゃったみたい」


「もう暗くなるし、一緒に探すよ」


「いや、大丈夫だよッ!!本当に、大丈夫だからッ!!」


「え?ちょっとッ!?」


 何故か複雑な顔をした姫島さんがこちらを突き放すように背を向けて走っていってしまい、俺は追いかけるかどうか迷って立ち止まった。


(追いかけたいけど、何か触れてほしくなさそうだったしな。まだ試合会場に人も居るだろうし大丈夫か‥‥‥ん?この音‥‥蜂?)


 そこでブーンと耳をつんざくような音が耳元で聞こえ反射的に顔を低くするが、どこにも蜂の姿は見当たらなかった。


「‥‥‥やっぱり、追いかけるか」


 俺はなんだか胸騒ぎがして、来た道を引き返していくと、畦道に一台の黒塗りの高級車が乗り上げるようにして停まっていた。それは田んぼの泥が飛び散った道路にはあまりにもミスマッチで、あまりにも浮いていた。運転席には誰も座っておらず、ナンバープレートには俺のアパートや光明高校の立地する地名が刻まれていた。

 

(こんな所に何の用事があるんだ?周りには何もないし、あるのは田んぼと林だけ‥‥‥)

 

 そう思い林の中を見た時、そこには一人の少女と、それに覆い被さりマスクにサングラスをした性別不祥の人物が、揉み合うようにして倒れていた。そして俺はその少女の服装と側に転がるバッグに、とても見覚えがあった。


「姫島さんッ!!」

 

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恋するスパイダー 貴島大翔 @lain53

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