エピローグ

「おい優也、本当にどうしたんだよ?」


 俺は美月がいなくなってからも、いつも通りの日常を過ごしていた。しかし心にポッカリと穴が空いたようで、何事にもやる気が起きない。


「最近ずっと楽しそうにしてたのにさ、彼女でもできたのかと思ってたんだけど……振られたのか?」


 拓哉が俺を励まそうと声をかけてくれているのを分かっているけど、そんな気遣いにも上手く言葉を返せない。


「あっ……」

「何だよ。あの黒髪の子、知り合いか?」

「いや、人違いだ」


 俺は美月がいなくなってからというもの、黒髪のストレートを見つけるたびに思わず目を奪われてしまう。もしかしたら美月かもと……そんなことはあり得ないのに思ってしまうのだ。


「なぁ拓哉……幽霊って、いると思うか?」

「はぁ? 本当にお前大丈夫か、頭でも打ったんじゃねぇの?」

「やっぱりそうなるよな……」


 時間が経てば経つほどあの一ヶ月が夢だったんじゃないかと、そんなふうに思ってしまう。しかし美月と一緒に見た映画も交わした約束も、あの景色も全て覚えている。


「よしっ、優也。失恋には新しい出会いだ! 今日はバイトなかったよな? 俺が合コン開いてやるよ!」

「いや、だから失恋じゃないって」


 ――でも、失恋だったのかもしれないな。俺は美月のことが好きだった。今更だけど……そう思う。


「たまにはありかも、合コン」


 いつまでも腑抜けてられないし、拓哉の言うことも一理ある。そう思った俺は、今まで頷いたことがなかった合コンの誘いに乗った。


「おおっ、本当かよ! お前が来るんなら可愛い子呼べるじゃん!」

「おい、俺をダシにして、自分が可愛い子とお近づきになりたいだけなんじゃないか?」

「そ、そんなことあるわけねぇよ。俺はお前のためを思ってだなぁ」

「はぁ……まあなんでも良いや。とりあえずよろしく」

「任せとけ!」


 そうして俺はやる気十分な拓哉と別れ、元気な拓哉に影響されて、いつもより少しだけ足取り軽く講義室へと向かった。



 その日の夜。学生御用達の居酒屋で、男女四人ずつの合コンが開かれていた。今まで何度誘われても断ってきた俺は、合コン独特の雰囲気に圧倒されて、さっきから何度も来なければ良かったと後悔してるところだ。


「はぁ……」

「あ、あの、こういう場所は苦手なんですか?」


 端に座って思わずため息を漏らしていると、俺と同じようにこの場に馴染めていない様子の女性が声を掛けてきてくれた。


「あんまり得意じゃなくて。あなたもですか?」

「はい。友達に誘われて初めて来てみたんですけど、後悔してるところです」


 そう言って困ったように微笑んだ女性に仲間意識を感じ、俺は女性の方に体を向けた。


「俺もです。あそこで一番騒いでるやつが友達で、何回もしつこく誘われるので頷いたんですけど、もう次は来ません」

「ふふっ、あの方は楽しい方ですね」

「そうなのかなぁ……まあ面白いやつではあると思います」


 俺のその言葉にその女性は、羨ましそうな表情を浮かべた。


「仲の良い友達がいるのは羨ましいです……私は大学にあまり馴染めていなくて。実は中学からの親友が一緒に大学に通う予定だったんですけど、入学式の日に事故に遭ってまだ入院してて……あっ、ごめんなさいこんな重い話」

「いえ、全然話してください。お友達は大変でしたね。退院できそうなんですか?」

「はい! 実はずっと意識不明だったんですけど……この前目が覚めて、奇跡的に障害も残っていないって。本当に、本当に良かったです」


 そんなに酷い怪我だったのか……元気に回復してくれて良かったな。全く知らない人だけど、女性の心からの笑顔を見ていると俺まで嬉しくなる。


「じゃあいつかは一緒に大学に通えますね」

「はい。でも美月痩せちゃってたしリハビリも必要みたいだから……まだ数ヶ月は難しいかもしれませんが」


 え……みづき、美月って言った?


 俺は女性の口から出て来た言葉に思わず固まってしまった。しかしすぐに別人だろうと我に返る。さすがにあり得ない、美月に会いたいがために都合の良いように物事を考えてしまうのは止めないと。


 そう自分に言い聞かせても、どうしても気になってしまう。心臓はバクバクと早鐘を打ち、手は震えて来ている。


「あ、あの……その友達の名前って……?」

「美月、野本美月ですけど……」

「よ、容姿は!? 黒髪のロングストレート? 背丈は君と同じぐらい!?」

「そ、そうですけど……美月のこと知ってるんですか?」

「びょ、病院どこですか!!」


 俺はそれからパニックになりながらもなんとか病院と病室を聞き出し、拓哉にお金だけは渡して居酒屋を飛び出した。そして病院までとにかく走る。


 しかし途中で気づいた。今病院に行っても入れてもらえるわけがない、もう深夜に近い時間だ。そしてその事実に気づいたところで、人違いだったらって可能性にも思い至った。


「写真を見せて貰えば良かったな……慌てすぎだろ俺」


 本当に美月が生きてるんだろうか。じゃあ幽霊じゃなかったのか? もし本当に美月だったら、何て声をかければ良いだろう。美月にとっては自分を認識できるのが俺だけだったから特別だっただけで、他の人とも話せる今となっては会いたくない可能性も……


 俺は家に帰ってからそんなことをぐるぐると考えてしまい、その日は一睡もできなかった。そして次の日には朝早くから準備を始め、面会が開始される時間ぴったりに病院へと向かった。色々と不安はあるけど、会いに行かないという選択肢はない。


 受付で美月の名前と部屋番号を告げて、病院内に入る。そして病室の前で扉をノックしようとして……怖くて手が震えていることに気づいた。俺は深呼吸して少しでも自分を落ち着かせ、扉をノックする。


「はい」


 すると中から一ヶ月間毎日聞いていた、あの柔らかくて綺麗な声が聞こえて来た。俺はその声を聞いた瞬間、扉をガラッと開ける。


 病室の中にいたのは……ベッドに横たわった美月だった。痩せてしまっているけれど、紛れもなく美月だ。俺は何を言えば良いのか分からなくて、その場に立ち尽くした。


「優也、くん?」

「美月……本当に美月なのか?」

「うん、また会えて、嬉しい」


 そう言って涙を流しながら微笑んだ美月に釣られて、俺は今度こそ涙を堪えることができなかった。


「美月、何で……」

「ごめんね、幽霊じゃないって、本当のこと言えなくて。事故に遭って何故か体から切り離されて……お医者さんの話も全部聞いたの。それで私が助かる可能性はかなり低いって、助かっても障害が残るって言われてて……だから期待を持たせるようなことは言わないでおこうって」

「消えかかってたのは……目が覚める前だったから?」

「今思えばそうだったのかな。でもあの時はそんなの分からなくて、ついに私の体も保たないのかって思ってたんだ」


 そうなのか……美月が助かって、目を覚ましてくれて、本当に本当に良かった。俺は何だかよく分からない感情に支配され、涙を止めることができなかった。


「ふふっ、優也くん、泣かないで」

「ごめん……」


 俺は部屋の入り口に立ったまま動かなかった足を一歩前に出し、美月に近づいた。そしてベッド脇の椅子に座る。


「手、握っても良い?」

「うん、嬉しい」


 笑顔を浮かべてくれた美月に勇気をもらい、俺は震える手を必死に動かした。またすり抜けないかとかなり怖かったけど、そんな心配とは裏腹にしっかりと美月に触れることができる。


「あったかいな」

「優也くんの手は、ちょっと冷たいね」

「緊張してたから」


 冷たいどころか手汗までかいている。でも手を離そうとはどうしても思えなかった。


「美月、こうしてまた会えて本当に嬉しい」

「私もだよ。目が覚めた時にね、元気になって優也くんに会いに行こうって一番に思ったんだ。でも優也くんから会いに来てくれるなんて。……そういえば、何でここが分かったの?」

「美月の友達と偶然会って、聞いたんだ。それでとにかく夢中で会いに来なきゃって」


 あの合コンのメンバーには変な人認定されただろうな……今更だけど、拓哉に会うのもちょっと憂鬱だ。


「会いたいって思ってくれて嬉しい」


 でも美月の笑顔を見ていると、そんな些細なことはどうでも良くなる。


「ずっと思ってたよ。美月がいなくなってからは、毎日が楽しくなくて……」

「じゃあ優也くんのためにも、早く良くならないとだね」

「うん、でも無理はしないで」


 そこまで話したところで俺達の間に沈黙が流れた。その沈黙を破ったのは美月だ。


「優也くん、私もっと一緒にやりたいことがたくさんあるんだ。だから……これからも、一緒にいてくれない?」

「……うん、うん、もちろん。俺から言おうと思ってたのに」

「ふふっ、ごめんね」

「俺はこれからも美月といろんなところに行きたいし、こうして会いに来たいし、理由がなくても連絡を取り合いたい」


 俺のその言葉を聞いた美月は、今までで一番の笑みを浮かべてくれた。俺もその笑顔に釣られて自然と笑顔になる。


「優也くん、これからもよろしくね」

「こちらこそよろしく」


 笑みを浮かべた美月の瞳からぽろりと溢れた雫を、今度こそ俺は拭ってあげることができた。



               ー完ー

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俺にだけ見えるあの子と紡ぐ日々 蒼井美紗 @aoi_misa

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