第4話 別れの時
美月の願いを叶えた次の日の朝。タイマーの音で飛び起きた俺は、まだ美月が部屋にいたことに安堵して朝を迎えた。
「良かった……まだいたんだ」
『うん。まだここにいても良いみたい』
まだ成仏できないんじゃなくてここにいても良いってどういうことだろう、そう思ったけど悲しそうな表情の美月に何も聞くことはできず、俺は笑顔でわざと明るい声を出した。
「それなら気の済むまで俺のそばにいたら良い。誰とも話せないのはつまらないだろうし」
『良いのかな、迷惑じゃない……?』
「俺も楽しいから」
本心からそう告げると、それが美月にも伝わったのかさっきまでの悲しそうな表情はなりを潜め、晴れやかな笑顔を見せてくれた。
『じゃあ、これからもよろしくね!』
「おう」
――それから約一ヶ月間。俺と美月は毎日一緒に時を過ごした。大学には共に通ってサークルにもバイトにも、どこへでも美月は付いてきてくれた。
美月が一緒にいてくれることが本当に楽しくて、この一ヶ月は凄く幸せな日々だった。
休みの日には少し遠出して海を見に行ったり水族館に行ったり、側から見たら一人で観光に来てる可哀想なやつだっただろうけど、俺はそんな周りの視線なんて全く気にならなかった。それほどに美月と過ごす時間が楽しかったから。
しかしそんな時間もずっとは続かないみたいだ。最近の美月は最初の頃と比べて、かなり体が薄れている。いつ見えなくなってしまうのかと……毎日怖い。
『優也くん、まだ私のこと見える?』
「うん、見えるよ」
もう表情だって辛うじて分かる程度だ。しかし俺はその事実を認めたくなくて、頑なに見えると言い張った。美月はそんな俺に気づいていたようだけど、指摘せずに優しく微笑んでくれていた。
『ねぇ、優也くん。最後に一緒に行きたいところがあるんだけど、行ってくれない?』
「なっ……」
最後なんて言うなよ! とか、消えないでくれよ! とか、そう言いたかったけど、そんな言葉を口にしても困らせるだけだと思って口を噤んだ。
「分かった」
俺は涙を堪えて小さくそう返すことで精一杯だった。
その日は平日だったけど、全ての予定に休みの連絡をして美月と電車に乗った。美月が行きたいところは生まれ育った故郷らしい。ずっと帰りたかったけど、勇気が持てなかったんだそうだ。
美月の故郷は電車で三十分ほどの近場で、よくある住宅街だった。美月と知り合わなかったら来ることなんてなかっただろう。
『優也くん、こっちに来て』
「自宅に行くのか……?」
『ううん、私のお気に入りの場所があるの。よくある公園なんだけどね、凄く見晴らしが良くて昔からよく通ってたんだ』
キョロキョロと辺りを見渡しながら懐かしそうに、そして少しだけ寂しそうに街並みを眺めて美月は進んでいく。俺達の間にほとんど会話はなかった。
美月は感傷に浸りたかったのかもしれない。俺は……口を開いたら情けない言葉しか出てこない気がして、何も言えなかった。
公園を進んで曲がり角を左へと進むと、突然視界がひらけた。高台に位置しているこの公園からは、住宅街が一望できる。
『うわぁ、懐かしい。数ヶ月ぶりぐらいなのに、もう随分と来てなかった気がする……』
「綺麗、だな」
俺はなんとかそう口にした。もうほとんど見えなくなっている美月のことはあまり意識しないように、風景に意識を向けた。
『ここに来ると嫌なことを忘れられて、また明日から頑張ろうって思えるんだよね。――優也くん、今まで本当にありがとう。すっごく楽しかったよ』
そんな最後みたいなセリフを口にしないでくれ。そう言いたいけど、美月の別れを決意したような声音を聞いたら、そんなことは言えない。俺はせめて泣き顔で終わらせないようにと、唇をかみしめて涙を堪えた。
『私は何も持ってないからお礼もできないけど、せめてこの風景だけでもと思ったんだ。私の大切で大好きな景色、優也くんがこれからも知ってくれたら嬉しい』
そこまで話したところで、さっきまでぼんやりとしか見えていなかった美月の表情がはっきりと見えるようになる。美月の……潤んで今にも涙が溢れそうな瞳も。
『優也くん、フランス語の授業で居眠りしちゃダメだよ。あの先生寝てる人をチェックしてるからね。あと居酒屋のバイトでは奥の個室の片付けを忘れがちだから気をつけて。それからサークルではポニーテールの活発な女の子が優也くんのこと好きみたいだから、もし優也くんも好意があるならご飯にでも誘ってあげて』
そこまで話したところで美月の瞳から涙が溢れた。俺はその涙を拭ってあげたくて手を伸ばすも、手は何にも触れることはできない。
「分かった。ちゃんと講義を受けるしバイトも頑張る。女の子は……気持ちには答えられないかもしれないけど、ちゃんと誠実に対応する」
美月を少しでも安心させて送り出してあげることが俺の役目だと思って、俺は涙声でなんとかそう返した。すると美月は涙を流しながら綺麗な笑顔を浮かべて……
『優也くん、バイバイ』
そう優しい声を残して、俺の前から姿を消した。
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