第8話 双葉先輩の「おはよう」は、世界一かわいい。

「いやー、美味しかったです。しかもご馳走になっちゃって。ありがとうございます」

「私が誘ったのだから当然だ。それに……値段以上の経験もできたしな」

「あはは……確かに、めっちゃ恥ずかしかったっすね」

「(そういう意味ではないのだが……)」


 あーん合戦という人生で一度あるかないかの大激戦を乗り越えた俺と双葉先輩は会計を済ませ、店の外へと踏み出していた。


 時刻はすでに六時半。そろそろ家に帰らないと親に心配されてしまう。まぁ、ウチは放任主義だから別にいつ帰ろうが文句は言われないんだけど……問題なのは双葉先輩の方なんだよな。


「双葉先輩。時間、大丈夫ですか? 門限とか……」

「うむ。今日は帰りが遅くなると伝えてあるから大丈夫だ」

「それはよかったです」


 双葉先輩の家は古き良き茶道家一族といったところで、親がかなり礼儀やマナーにうるさいと聞いている。門限もその一つで、事前の連絡なしに遅くなってしまったらその後一ヶ月間は外出を許してもらえないらしい。普通の家で育った俺からしてみれば想像すらできない異次元の世界だ。


「本当は、もっと遅くまで遊んでいたいのだが……そうもいかない。こうして君が一緒に放課後を過ごしてくれるだけで、私は大満足だよ」

「俺でよければいつでも誘ってくださいよ。どうせ生徒会活動以外にやることなんてありませんし」


 俺が双葉先輩の役に立てるなら、そんなに嬉しいことはない。


 だって俺は、一年前に決めたんだ。


 この人だけは、絶対に悲しませないようにしよう――って。


「それでは、今日はここでお別れだな。明日は朝早くから校門前で挨拶運動を行うから、遅れないように」

「目覚ましが不貞腐れてなければ間に合います」

「私が迎えに行ってあげないと駄目なようだな……っ!」

「冗談ですよ、冗談。ちゃんと間に合うように来ますから」

「本当だろうな……やはり迎えに行った方が……」

「だから大丈夫ですって! それじゃ、俺はこっちなんで……また明日!」

「ああ。また明日」


 双葉先輩に大きく手を振り、家に向かって走り出す。今日を終え、明日に向けて身体を休めなくてはならない。


 また明日、学校で――双葉先輩の笑顔を見るために。





  ★★★





「やぁ、おはよう北斗くん。今日もいい朝だな!」


 外は明るく、太陽の日差しが目を焦がす――そんな春の朝。


 寝ぼけ眼をこする俺の前には、向日葵のような笑顔を浮かべる双葉先輩の姿があった。


 いや、笑顔の綺麗さとか眩しさとかはひとまず置いておくとして、だ。


 ――どうして俺の家の前に、双葉先輩がいるんだ?


「あ、あの、双葉先輩?」

「なんだ?」

「どうして俺の家の前にいらっしゃるんですか……?」

「それは簡単な問題だぞ、北斗くん」

「はぁ」

「君を迎えに来た。ただそれだけだ」


 どういうこっちゃ。


 まさか、昨日の話を本気にしたんだろうか。迎えに行った方がいいんじゃないか的なあの雑談を。


 いや、嬉しい。嬉しいよそりゃ。憧れの先輩がわざわざ家まで迎えに来てくれたんだから。これが嬉しくないはずがない。


 でも、あまりにも突然の出来事すぎて、気持ちの整理がついてないんだよなあ。


「(一度でいいから、北斗くんと一緒に登校したかった……などとは、口が裂けても言えないな)」

「どうかしました?」

「な、何でもないぞ! そんなことより、早く学校に行こうではないか! 遅刻してしまっては元も子もないからな!」

「あー、はい。了解です」


 ま、深く考えたってしょうがないか。双葉先輩は気遣いで俺の迎えに来てくれた。それで終わる話だろうし。


 ――俺と一緒に登校したかったのかな、なんてちょっと期待したけれど。


 むなしい期待を胸の奥へと放り投げ、俺は玄関を出て双葉先輩の隣に並ぶ。


「ふわわぁ……あ、そういえば忘れてました」

「???」

「おはようございます、双葉先輩」


 双葉先輩はぽかーんと間抜けに口を開けるが、すぐに小さく吹き出すと、


「ああ、おはよう、北斗くん」


 太陽なんか足元にも及ばない、満面の笑みで返してくれた。







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