第2話『本能』

「ゼェ…ハァ…ゼェ…ハァ…」

「なんとまぁ、情けないですね」

「隣でゼェ…浮いていたやつにハァ…言われたくはないのだけれどもゼェ…ハァ…」

時間は遡り、1時間ほど前。

「さぁ、ここが、入り口ですよ」

永遠にも思える階段を降りた先、九龍城にも負けていないレベルにチグハグな路地裏をすいすいと進み。(と言うより飛んでいたが)

段々と人気がない場所に辿り着いたかと思えば、そこには分厚い丸い氷の蓋があった。

「しまっていると思うのだけども?」

まるで、汚い物には蓋をとでも言わんばかりのその分厚い氷の上に立ったジェームズは微笑みながら手招きをする。

「私が開くのでご安心を」

従う以外の選択肢がないので、言われたとおりに氷の上に立つ。

大人二人が向かい合わせに立ってもまだまだ余白のある丸い穴を埋める様に貼られた分厚い氷は、靴底から伝わる冷気から確かにこれは氷なのだと実感する。

「では、舌を噛んだりしないように」

「は?」

彼は指をパチンと鳴らし、氷を靴先でコンコンと鳴らした。

じゃぼんと言う音と、重力に従い落ちていく体と生ぬるい液体。

「では、もう1段階」

私がそれを『水』と認識し終える前に、彼はもう1度指を鳴らした。

「ぎゃっ!」

「舌を噛みますよ〜」

身体(と言っても下半身だが)を覆っていた液体が消えたかと思えば、加速していく身体を止めるように彼は腕を掴むと常識?の範囲内の速度で下に落ちていく。

歯がガチっと鳴った、危うく舌を噛み千切る所だった本気で危ない。

「今のは…?」

「はは、何でしょうかね?」

下を見れば、底が見えない穴が続いているだけで水が落ちていった形跡は無いし、先程の一瞬の中でそう言うのは無かった…と思う。

驚き過ぎて、思考停止していたので自信はないが多分無かった。

そして、温度の変化は一切感じなかった。

一瞬で周りの温度を上げて氷を溶かしたという訳では無いらしい。

「ここは魔法とかがある…の?」

「似て非なるもの…いやぁ、貴女の想像する魔法がどれだけ自然の法則を無視しているのか分かりませんが…魔法では無く権能…ですかね」

「先程もその単語出ていたわね」

「落ち着いたら話しますよ。

流石になんのヒントも与えずさぁ、思い出して下さい!とは言いません。流石に」

彼の顔を見ようと目線を上げる。

私の視線が捉えたのは、困った様に笑う彼ではなく。

遠のいていくチグハグな街でもなく。

いつの間にか空を…穴を覆っていた分厚い氷の存在だった。

(ああ、早く)

早く思い出さなければいけない


はやくはやくはやくはやくはやく

正さなければ

否定しなけれな

今を

過去を

理想を


それが『私』に課せられた役目である故

それが『私』に与えられた権能である故


早く早く早く早く


この男は『私』が殺したはずなのだ


「なにか思い出しました?」

氷によって遮られた光を背に、彼が私に話しかけた。

「…いえ、何も」

「それは残念」

本当に少し残念そうな彼の声が聞こえた。

なにか声を掛けようと開いた口は、何も言葉を紡がず息だけ吐いた。

白い息は出なかった。


「到着で〜す。

まぁ、本来の貴女が暮らしていた場所とは天と地ほど違うでしょうが我慢してくださいな」

「…なんだここは」

「最下層都市だよ。

それ以上でも、それ以下でもない」

そこは、下層と言いながらも街があり空があった。

まるで、不思議の国のアリスの様にあの穴を通って別の世界に来たかのように、鏡の世界の様に薄暗いながらもチグハグな街がそこにはあった。

「なにか食い物が無いか見てきます。

くれぐれも

「そこは動かないで下さいでは無いんだな」

「あはは、まぁそれは無理でしょうし」

「?」

彼はしばしのお別れです〜というとふわふわ飛びながら何処かへ行ってしまった。

「はぁ…疲れたな」

思えばあのベンチで起きてからずっと動きっぱなしだった気がする。

近くにあった丁度いい高さの岩?に腰を下ろして彼の帰還を待つ。

ドドドドド

「早いな」

音のする方を向くと、骸骨がいた。

骸骨が、明確な殺意を持って、こちらに向かって来ていた。

「…」

一目散にその骸骨から離れるように走り出す。

恨まれる記憶も無いし、知らない骸骨だったが明確な殺意があった。

先程の重装備とは比べ物にならない、お前を殺せれば自身はどうなろうとも構わんと言わんばかりの殺意が背中に突き刺さる。

『あはは、それは無理でしょうし』

「あの野郎…この展開読めてやがったな!!」

故に、動くなとは言わなかったのだろう。

動かざるおえない状況になると確信していたから。

「うおおおお」

骸骨の、やたらと立派な顎をカチカチと鳴らす音が段々と近づいている気がするが構わず真っ直ぐに走る。

振り向いたら負ける。

振り向いたら死ぬ…と告げる本能に従って足を動かす。

「お見事」

平行移動していた身体が急に上に上がった。

「ジェームズ!」

「救助が遅れてすみません〜」

「全く悪く思ってないな貴様!」

足元では、骸骨が獲物を見失ったからかカチカチ音を鳴らしながら何処かへと行ってしまった。

「はい、林檎です」

3階程度のビルの屋上に着いたかと思えば、林檎を一つ差し出した。

「どうも…さっきは?」

骸骨にしては顎が立派だった先程の骸骨について聞いてみる。

「さぁ?」

分かりやすくはぐらされた。

もしかしたら、本当に知らないのかも知れないが。

「さて、この世界の話でしたね」

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