ミスマッチ

牛尾 仁成

ミスマッチ

 その男は人生に疲れ切っていた。


 何事もうまくいかず、金もなければ友達も無く、家族も居なければ住む所も無かった。これ以上生きていても仕方が無いと腹に決め、己の人生に幕を下ろそう踏切まで向かった。


 電車に轢かれた人間がどうなるのか、詳しくは知らなかったが後始末が大変であろうことはこの男にも想像できることだった。だが、自分の死後のことなのだからどうでもいいことだ、と男は内心自嘲した。


 嘆息するのも面倒くさくて、男は空を見上げる。どうもパッとしない天気だったが、自分の様なヤツが死ぬには丁度いいのだろう、と勝手に納得する。


 カンカンと警告音を出して、踏切が下がる。あたりを見渡すと人や車は見当たらなかった。チャンスだと思ったが、我慢する。慌てて中に入ったら運転手が見つけて電車を止めてしまうかもしれない、と警戒したのである。


 入るタイミングは電車の制動距離がこの踏切を超す位を狙わなくてはならない。巨大な鉄の塊がけたたましい音を立てながら踏切へとやってくる。ごごご、と地面と空気を揺らしながら何百人と乗せた電車がこの踏切を通過しようとしていた。


 今だ。


 普段からは考えられないほど、自分の体が機敏に動いた。ひざ下までしゃがみこみ、警戒色の棒を潜り抜ける。


 あと一歩踏み出せば、線路の真上だ。そうすれば1秒か2秒後に、このくだらない男の肉体とこのつまらない男の人生は文字通り木っ端みじんになる。


 凄まじい力が男の体にぶつかる。


 だが、それは線路上の鉄塊ではなく、男の背後からであった。


 まったく予想していないところから、予想していない威力の力を受け、男はもんどりを打って前方へと吹き飛ばされる。


 世界が急転し、耳をつんざく鉄の悲鳴が聞こえた。


 侵入した反対側の遮断機に放り出された男は、間一髪で死を免れていた。

 鼓膜を叩き付ける音は電車の急ブレーキの音だ。当然間に合うはずもないため、電車はほとんどが踏切を通過してしまった。


 何が起きたか理解できない男が、地面を這いつくばいながら、自身の後方を確認する。


 残った車両がゆっくりと通り抜けると、向こう側の遮断機には男が立っていた。


 余計な真似を、と男は心の底から悪態を吐いた。どうしてこうも俺の人生は何もかもうまくいかないんだ、と突き飛ばされた男は自分自身を呪いたい気持ちになった。


 遮断機の向こう側にいる男が口を開いた。


「あーあ、力加減間違えちゃったな」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミスマッチ 牛尾 仁成 @hitonariushio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ