いただきます。

増田朋美

いただきます。

その日は、台風がやってくるということであったが、大雨が数時間降っただけで、台風はいってしまった。特に停電もなく、そこは良かったのだけど、人間の世界というのは、それで良かったという単純な理由では済まないものであるから、困ってしまうという事態であった。ときに、どうしてそうなるのかなと思ってしまうようなことだってある。

「それでは良かったねえ。本当に、何も潰れなかったし、風もそんなに吹くことはなかった。いやあ、今回は、これにて一件落着だ。ほんとにこれで良かった。生きてることに感謝しよう。」

そう言えるのは、杉ちゃんだけかもしれなかった。影山杉三こと杉ちゃんという人は、本当にのんきで、台風が行ってしまったら、すぐに買い物に行こうと言って外に出てしまうものだ。一人で出ることもあれば、誰かと一緒に出ることもある。その日も蘭の家に行ってみたが、蘭は忙しいということで、買い物を断られてしまったので、杉ちゃん一人、タクシーに乗って、ショッピングモールに行った。でも、杉ちゃんという人は、車椅子使用者ということもあり、必ず誰か他人を巻き込んでしまうくせがあった。その日も、ショッピングモールの食品売り場に行って、呆然と立っている女性に対して、

「おい、お前さん。悪いけど、魚を入れたいんで、ビニール袋を一枚取ってくれ。」

という。まあ確かに、食品売り場のビニール袋は、売り台の上に置いてあることが多く、車椅子の使用者には手が届かない事が多い。どうしてなのか、それで当たり前で、改善しようという感じはまったくない。

「おい、お前さんだよ!そこの赤いスカート履いてる、細身のお前さんだ。」

そう言われて女性は足を止めた。そして、杉ちゃんをじっとみた。

「おう。お前さんだ。もう一回言うが、魚を入れたいんで、ビニール袋一枚取ってくれよ。」

そう言われて女性は、ビニール袋を取って、杉ちゃんに渡した。飛んで逃げようと思ったようだけど、周りには人がたくさんいて、そういうことはできなかった。

「ああ、ありがとうな。お礼に時間あれば、お茶、奢らせてくれ。」

杉ちゃんの常套句というか、そういうふうに、誰かになにかしてもらうと、お礼をするのも杉ちゃんであった。女性は、もう逃げ切れないと思ったのか、

「わかりました。じゃあ、外のカフェでお茶しましょう。」

と、言った。

「おう、よろしく頼むぜ。支払ってくるから、お前さんも手伝ってくれ。僕、支払い現金でできないから、一緒に来てくれ。」

杉ちゃんに言われて、女性はびっくりした顔をしていたが、杉ちゃんに着いてきてくれた。そして、二人でレジかかりの前に行った。無愛想にレジ係は、杉ちゃんの買いもの内容を確認して、

「3500円です。」

と、無愛想に行った。

「えーと、千円札ってどれ?」

と、杉ちゃんががま口を開ける。女性は、

「これよ。」

と、杉ちゃんのがま口から、千円札を取り出した。

「それを三枚と、大きい500円玉を出せば大丈夫。」

杉ちゃんがそのとおりにした。レジ係は、はい、ありがとうございますと言って、杉ちゃんの差し出したお金を受け取った。領収書を受け取ると、杉ちゃんと女性は食品売り場を出て、商品を紙袋に詰め込んで、ショッピングモールの中にある、カフェに向かった。

カフェは、お茶の時間ということもあって、かなり混雑していたが、店員が開いている席を案内してくれたので、すぐ座ることができた。結構喋って居る声でうるさかったが、そのほうが逆に楽しく話せるということもあった。

「今日は、手伝ってくれてどうもありがとう。僕歩けないから、どうしてもできないこともあるんだ。そうやって、他人を巻き込まなければならないこともあるけど、そうなったら、こうしてお礼をすることにしてるんだ。さ、なにか食べたいものあるんだったら、好きなだけ食べてよ。」

杉ちゃんに言われて、女性は、いえ、そんな事、と行ったが、杉ちゃんにメニューを差し出されて、食べ物の誘惑に勝てなかったのだろう。すぐに、

「じゃあ、サンドイッチをお願いします。」

と言った。杉ちゃんが店員を呼び出して、サンドイッチを2セットお願いしますと頼むと、店員はわかりましたと言って、厨房に戻っていった。

「それで、今日は、何を悩んでいたんだ?なにか悩んでいる感じが見え見えだったけど?」

と、杉ちゃんに言われて、女性は、もうバレバレかという顔をした。

「はあ、図星かあ。何なら僕が悩んでいることを当ててやってもいいぜ。お前さんは、もしかして、自殺するつもりだったのでは?それなのに、決断ができなくて、こっちへ来ちまって、悩んでいた。違うか?」

と、杉ちゃんがまた言った。女性はひとこと、

「どうしてわかっちゃうの?」

と、杉ちゃんに言った。

「だって、そんな派手な格好をして、呆然と歩いてんだもん。どう見てもわけありだよ。」

杉ちゃんがカラカラと笑うと、

「そうなのね。じゃあ、私が、悩んでいることも知ってるのかな。もう私が、捨てられたってことは、皆新聞なんかで知ってしまっているんじゃないかしら。」

と、女性はいった。

「さっきもいった通り、僕は読み書きできないので、新聞は、読んだこと無いんだよ。だから、ちゃんと悩んでいることは説明してくれよ。はじめから頼むぞ。終わりまでちゃんと聞かせてもらうぜ。」

「そうか。いや、普通の人ではよく悩むことかもしれないわ。好きな人がいたんだけど、その人とうまく行かなくてね。それで、もう芸能生活も終わりたいと思ったのよ。あたし、小宮詩子。多分テレビか何かで、私のことは報道されてしまっていると思うけど。ほら、一度、ガス中毒で倒れて、緊急入院したとか、報道されてるの。あれ、私よ。」

と、彼女は言った。

「そうかも知れないが、僕はテレビが嫌いなので、テレビは見ないよ。それにお前さんのことを報道してるなんてことも知らない。まあ、恋愛がうまく行かなくて、おかしくなるのは誰でもあることだけどさ。まさかそれで自殺したいと思ってしまうのはちょっとやりすぎだわな。そうじゃなくてさ、新しい恋愛するとか、そうしてもいいじゃないか。どうせさ、お前さんのこと捨てたやつなんて、ろくなやつじゃないよ。きっと、お前さんのことを、しっかり見てくれるやつがいずれは現ると思う。まあ、これが最後の恋みたいに見えるけど、人生、長い目で見たら、何が起きるかわからんよ。新しいことは変なところで現れてくるもんだから。そういうもんだと思ってさ。まあ今は、ゆっくり休むといいさ。」

杉ちゃんは、彼女にそういったのであった。

「そうですね。あたしも、そういうことを言えたらいいのになあ。あなた、読み書きはできないのに、そういう事言えるのね。」

「言えるっていうか、当たり前の事言っただけ。何も飾りもない。それに、他にやり過ごす事できる方法は無いだろ。だから、それまでの事言っただけ。だけど、命というか、そういうのを粗末にするのは反対だよ。それはいけないような気がするんだよね。やっぱ、自ら逝っちまうのは、世の中に背いたような気がしちゃうんだよね。」

「そうなんですね。」

と、彼女、小宮詩子さんは杉ちゃんの話に相槌を打った。

「私は、なんだろう。幼いときから、歌い手になりたいと思ってて、何もわからないまま、今のプロデューサーと、恋愛関係になっただけ、って言われたら、そうかも知れないけれど、、、。でも私にとっては、歌い手の仕事もなくなっちゃって、、、。」

「まあ大丈夫だよ。そういうね、直ぐなくなるっていうのは、偽物で、本当のお前さんの肩書じゃないんだよ。本当にお前さんが欲しいものは、いつまでも残るもんだ。やり方が変わっても、いつまでも関われるのが、本物と言うもんだぜ。だから、その気持で、今はゆっくり休ませてもらうことだな。」

「そうかあ。でも、そう考え直しても、今のつらい気持ちは、変わらないわよね。それを和らげるのは、どうしてもできないわよね。でも、お話聞いてくれてありがとう。お礼に、いくらかでもお支払するわ。今日は、私のほうが、あなたにお世話になってしまったし。ごめんなさい。こんな話して、もうどうしようも無いわよね。」

詩子さんは、杉ちゃんに言った。でも、その言い方は、なにか心に不安定なところがあるような言い方だった。それは、外部の杉ちゃんでも感じられるものであった。彼女はとても疲れているような、それで何か不安なことでも感じているような。そして、まだ情緒が安定していないようなそんな言い方だった。

「そうか、金なんか要らないよ。体で払ってもらおう。」

杉ちゃんはすぐに言った。

「どういう事?」

詩子さんがそうきくと、

「どうせ、お前さん帰るところも無いんだろ?だったら、他のところで働いてもらう。食べ終わったら、一緒に来てもらおうかな。」

と、杉ちゃんは答えた。そして、ウエイトレスが持ってきたサンドイッチをガツガツ食べて、

「じゃあ、一緒に来てもらうぜ。」

といい、口を拭いて、もらった伝票を取り、急いでレジに向かった。レジを担当してくれたウエイトレスは、杉ちゃんのことを予め知っていたようで、ちゃんと、がま口にはいっているお札の種類も教えてくれたから、すぐに支払うことができた。そして、ショッピングモールに新設されたバス乗り場へ向かう。ショッピングモールを発着するバスはいくつか種類があったが、その中に富士山エコトピア行というバスがあった。バスの色が、緑色だったので、それに乗っていけばよかった。運転手に手伝ってもらって、杉ちゃんはすぐにバスに乗った。詩子さんも、それに続いた。富士山エコトピア行のバスは、5分くらいして発車した。しばらく富士の街を縦断して、目的地である富士山エコトピアの前で杉ちゃんたちは降りた。そして、エコトピアから数分、車椅子で移動して、製鉄所に到着する。

「ここにはいってくれ。」

杉ちゃんに言われて、詩子さんは、インターフォンのない、玄関を開けた。そうすると、段差のない、土間があった。簡単に入れるようになっているのは、車椅子の杉ちゃんでも入れるためである。もうどんどんはいっていいぜ、と杉ちゃんと詩子さんは、製鉄所の中にはいった。そして、長い廊下を移動して、四畳半のふすまを開ける。

「よう、今日から、こいつがお前さんの世話をするから、何でも言ってくれや。どんな用事でもいいから、言ってくれ。そのほうが、こいつも、早く立ち直れると思うぜ。」

そう言いながら、杉ちゃんが四畳半に入ると、中には水穂さんと、先客がいた。かっぱ見たいに頭が禿げてる、柳沢裕美先生だった。

「ほらあ、女中さんがほしいと言っていたじゃないか。だから連れてきたんだよ。こいつがお前さんの世話をするから、何でもいい付けてくれ。よろしく頼む。」

「そうは言ったって。」

と、水穂さんは布団に寝たまま言った。

「そこにいるのは、小宮詩子さんでは?」

「そうだよ。だけど、悩んでいることは一皮むけば人間だよ。失恋でかなりやられちゃったみたいだから、それをなんとかしようと言うわけで、連れてきた。」

杉ちゃんがそう言うと、

「しかし杉ちゃん、有名人である女性をここで働かせたということであれば、報道陣に知られてしまったら大変なことになるよ。そういう女性だから。」

水穂さんは心配そうに言った。

「そうかも知れないけどさ、人間変わらなくちゃいけないことは、誰でもあるわな。彼女だって、お前さんのこと世話させれば、また何か変わると思うけどね。彼女だって、悩んでいることあるんだし。それにおんなじ人間であることに変わりは無いわけだし。」

杉ちゃんがそう言うと、柳沢先生が、

「そうですね、いくら、アイドル的な歌手であろうと、なにかしなければ変われないということは、あるわけですし、それなら、杉ちゃんの言うとおりにしたほうがいいかもしれません。それなら、そのとおりにしたほうがいいと思いますね。」

と言ったので、それならということで、話は決まり、彼女は製鉄所で、女中の仕事をすることになった。

しかし、小宮詩子のしごとのできなさには、杉ちゃんも呆れるほどだった。床を竹箒で掃除するし、料理はインスタント食品ばかり作る。掃除機の操作も全く知らないという塩梅だ。仕方なく、杉ちゃんに包丁の持ち方を教えてもらい、カレーの作り方を教えてもらったのだが、味がものすごくこすぎて、食べられないという始末である。小宮詩子さんは、とても女中さんには向かないということがわかった。

それでも、杉ちゃんは、カレーの作り方を教えて、小宮詩子さんも、頑張って覚えようとしてくれているのだが、やっぱり鍋を焦がしたり、味がこすぎたり、そんな失敗ばかりの日々が続いて、小宮さんは、次第に、つらそうな顔をしているときが、多くなった。柳沢先生までもが、心配してしまうくらいだ。

「だからあ、違うんだってば、カレーを作るときは、人参を細かく切らなくてもいいんだ。カレーを作るんだから、ぶつ切りで十分なんだよ。何回注意したら気が済むんだ?」

「ご、ごめんなさい。」

小宮さんはとうとう泣き出してしまう。

「いやあ、こういうことは、できなくちゃいけないからね。なんでも買ったもので、済まされるとは思うなよ。ちゃんと、食べるものは自分で作って、自分で食べる。それが当たり前だ。」

杉ちゃんに言われて、彼女は、

「でも私、どうしてできないんだろ。」

と呟いてしまう。

「それはねえ、お前さんがやらないことが当たり前だったから。そういう異様な世界に住んでいたってことだ。そこから、出てこられたのはいいじゃないか。それで、幸せになれる一歩が出てくるんだよ。」

杉ちゃんが彼女を励ました。

「ほら、とりあえず、カレーを煮て、ルーを入れて。」

杉ちゃんに言われて、詩子さんは、カレールーを割り入れた。

「それで入れただけで放置してはいけない。この次は、かき混ぜながら煮るんだ。でないと焦げ付いちまうからな。」

と、杉ちゃんに言われて、詩子さんは、カレーをかき回した。

「それで、とろみが着いてくるまで、しっかりかき混ぜながら五分くらい煮る。それでカレーの出来上がりだ。あとはご飯にかけて食べる。」

杉ちゃんに言われて、詩子さんは、カレーをかき回した。しかし、火が強かったので、カレーのとろみは直ぐ出た。それでも5分間煮なければならないと彼女は思っているようであるが、

「じゃあとろみが出たら、火を止めろ。」

と、杉ちゃんがいうので、

「いいんですか?」

と聞いてしまう。

「まだ五分たってませんが。」

「いいんだよ。それ以上煮過ぎたら、カレーが焦げちまうよ。」

と、杉ちゃんは言った。彼女はそのとおりに火を止める。

「ほら、カレーの出来上がりじゃないか。よし、これで水穂さんにカレーを食べさせられる。いいか、料理ってのは、きっちり5分しなければならないというわけじゃない。それよりも、味かげんで、長くしたり短くしたりするんだよ。そっちのほうが大事ってこともあるんだよね。」

「そうなんですか。私は、5分なら5分で、きちんとやらなくちゃいけないと思ってましたけど。」

ある意味では、詩子さんは、マニュアル通りなら動けるが、それ以外の事では動けない人らしかった。今の人は、マニュアル通りにしないと動けないところもあるが、それが顕著に出てしまった例と言えるだろう。

「まあ、人間関係とか、そういうものは、みんな決められた数字で動くもんじゃないよね。そういうことは、なんでもマニュアルで出来るかと思ったら、大間違いだぜ。」

杉ちゃんに言われて、詩子さんは、おかしな料理になってしまった、カレーを見て、ハイと言った。人参もじゃがいもも、肉も細かくバラバラになっていて、なんだかカレーとは言い難い料理になってしまっている。それでも詩子さんは、器にご飯を盛り付けて、カレーをかけ、水穂さんのところに持っていった。その日も、診察のために柳沢先生が、訪れていたが、詩子さんのカレーを見て、変な顔をした。でも、水穂さんは、ありがとうございますと言って、布団から起きてくれた。こういうときに、何も文句を言わないで食べているのが、水穂さんのすごいところだと思うのであるが。

水穂さんはいただきますと言ってカレーを食べてくれたが、同時に偉く咳き込んでしまった。

「はあ、また甘口と辛口を間違えたなあ。」

杉ちゃんが間延びしてそう言うと、

「いえ、ごめんなさい。私また間違えて。」

と、泣き出しそうになってしまう詩子さんだった。

「いえ、大丈夫です。まだ、初心者なんですし、仕方ないこ、、、。」

水穂さんはそう言いかけてまた咳き込んでしまうのだった。だから相当辛いカレーだったのだろう。

「とにかくさあ、もうちょっと、使命感を持って、カレーを作ってくれよ。お前さんのすることは、カレーを作ることにあるんだよ。頑張ってくれ。」

「ごめんなさい私。」

詩子さんが涙をこぼすと、

「きっとそのうち、出来るようになりますよ。人間は、動物ですから、食べることが商売みたいなところはありますからね。大丈夫です。これからも頑張ってカレーを作ってください。」

柳沢先生がそう言ってくれたので、詩子さんは、はいと細い声で言った。

「誰でも、始めたばかりで、うまくいくことはない位の気持ちで作ってください。ただ、詩子さんの場合は、普通の人になったスタートが遅かっただけのことです。これからまなんで行くと思ってくれればいいのです。」

「いいこと言うなあ先生。」

杉ちゃんがぽんと詩子さんの肩を叩いた。

「ごめんなさい、ちゃんと明日にはカレーを作れるようになります。甘口と辛口を間違えないようになります。今日は本当にごめんなさい。」

改めて、詩子さんは、水穂さんに申し訳無さそうに言った。

「よし、そう誓いを立ててくれただけでも、お前さんには、いい進歩だなあ。それは良かったぜ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。こういうときに、皆笑い飛ばしてくれたのが、詩子さんにとって、一番の成長のきっかけかもしれなかった。




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いただきます。 増田朋美 @masubuchi4996

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