ねこうみ 第二夜
わたしが子猫を産んで、その子猫が喋る子猫から普通の子猫になったころ、クラスの校則をぶっちぎっているギャルが突然退学することになった。
うんと親しいわけではなかった。しかし、顔を合わせれば会釈くらいはしたし、飼っている犬がかわいいのだと語る彼女の笑顔はとても好きだった。
噂では、いわゆる援助交際をして、その相手のおっさんの子を作ってしまったのだと、ひどいことを言われていた。そういう子ではないとわたしは信じていたので、菓子折りを小遣いで買って、彼女の家を訪ねてみることにした。
彼女の家は思ったよりきれいな家で、庭は芝生だ。きっとここを、彼女が可愛がっていた犬が走り回っていたのだろう。過去形なのは、その犬が死んでしまった、と、退学直前の彼女がずいぶん落ち込んでいたからだ。
犬をかわいい、死んで悲しいと思う気持ちと、よそのおっさんから金をむしりたいという気持ちが同居するのは難しいのではないだろうか。いやこれは偏見だけれども。
玄関チャイムを鳴らすと、きれいに身なりを整えた彼女のお母さんが出てきた。白髪はきちんと染めて、そのへんのファストファッションではなさそうなちゃんとした服を着てアクセサリーをつけている。実用第一のわたしの母とはずいぶん違う。
「あの、心配だったので会いにきました」
「ありがとう。いまリビングでゲームしてるから、とりあえず上がって一緒にハーブティーでもどう?」
彼女の母親は明るい口調でそう答えた。
リビングに入ると、あちこちに大型犬の写真が飾られていた。死んでしまったロメオという名前の犬だそうだ。彼女は一人、楽しそうにオンラインゲームをしていた。
「あれ? どしたの?」
「なんだか心配で、……ああ」
見れば彼女のお腹が大きく膨れていた。
「あーこれ? 想像妊娠だって! でも動くんだよ、超かわいくない?」
「え、えっ……」
わたしは言葉に詰まった。
菓子折りを置いて、わたしはそそくさとその家を出ようとした。彼女は、
「あたしのこと心配してくれたのあんただけだからさ、インスタのDMでいろいろおしゃべりしようよ」と誘ってきた。なかば強引に、インスタの彼女のアカウントをフォローさせられた。
彼女のインスタは、遡るとほとんど犬だった。いわゆるバーニーズマウンテンドッグ、という犬種の、優しそうな老犬が写っていた。
最近はもっぱら、食べ物や手芸の写真をアップしているが、ニードルフェルトでそのロメオという犬の人形を作ったり、犬グッズを手に入れた写真だったりが主だ。
もしかしたら、と、予感を覚えた。
ある日の深夜、テスト勉強をしていると突然インスタが通知してきた。彼女からのメッセージだ。
「やばいお腹いたい ママもパパも寝てる 背中まで痛い」
「救急車呼ぶ?」
「いまお風呂で全裸 とてもじゃないけど服なんて着られないくらい痛い どうしよう」
そのメッセージに、「落ち着いて」と返信してからしばらく、返事はなかった。20分くらい経って、
「犬産んじゃった」というメッセージが来た。添付されていたのは、産まれたての子犬の画像だった。彼女が愛していたロメオが子犬だったら、こんな感じだろうな、という子犬だ。
やっぱりか、と、わたしはごくりと息を飲んだ。大型犬の子犬だったから、人間の子供の妊婦みたいなお腹の膨れ方をしていたのだ。
なんと返信するか悩んだ末、
「おめでとう。わたしもちょっと前に猫を産んだ」と返信した。
変な連帯感ができてしまった。ある日、コンビニで人間のおやつと子犬のおやつを買って、彼女の家に遊びに行くと、彼女は子犬を抱いてニコニコしていた。
「なんて名前にしたの?」
「ニコル。かわいいでしょ」
子犬のニコルはとても利発そうな雄の子犬だった。家族には「夜中に散歩に出かけたら捨てられていた」と言ったそうだが、バーニーズマウンテンドッグの子犬を捨てるひとはそういないと思う。
「あんたも猫産んだんだよね」
「うん。ちいちゃんっていうの」
「そっかあー。じゃあぜんぜん普通なんだね!」
普通、というにはサンプル数が少ない気がするが、普通と言われれば普通という気もした。
「なんか学校であたしが金目当てでおっさんとまぐわったって噂流れてるって?」
「うん……あんな退学のしかたをしたら、そういう噂も流れるよ……」
「おっさんなんて絶対いやだよ。この世でいちばん好きなのはニコル。あんたはちいちゃんが好きでしょ?」
「うん」
そこだけははっきり言えることだった。
「なんかさ、人間と子供つくるってキモいじゃん。でも、だれともやらしいことしないで産まれてきた命なんだからさ、ウチらは聖母マリアみたいなもんなんだよ、きっと」
「う、うん、それはそうだ」
「でさ、ニコルはおしゃべりが上手なんだよ。あんたのとこのちいちゃんは?」
「大きくなって去勢したら喋らなくなっちゃった」
そう答えて、ちいちゃんにしゃべっちゃ駄目だよ、と言ったことを後悔した。
ちいちゃんは一生懸命しゃべろうとしていた。一生懸命、わたしと仲良くしようとしていたのだ。
コンビニのお菓子をぱくついて、いろいろお喋りして、ニコルくんにおやつを食べさせて、家に帰ることにした。帰り際、
「学校はどうするの?」と彼女に尋ねたら、
「どーせ戻ったところでおろしてきたんだって言われるだけだから行かないよ。隣町の定時制に通うことにしたんだ」と答えた。
家に帰ると、ちいちゃんが玄関でわたしを待っていた。しゃっきりと大きくもうすっかりお兄さんだ。
「ごめんね、おしゃべりしちゃいけないなんて言って。ちいちゃんはわたしとおしゃべりがしたかったんだよね」
そう声をかけると、ちいちゃんは、
「うん。びっくりさせてごめんね。ちいはね、お母さんが好きだよ」と、そう答えた。わたしも、
「わたしも、ちいちゃんが世界で一番好きだよ」と、返事をした。
ねこうみ 金澤流都 @kanezya
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