第8話 打ち上げ

 その翌週のことだ。二度目のバーチャルライブを行った後、カシカは打ち上げの席に立つ。

 コホンと軽い咳払いをして、彼女は言う。

「……というわけで、不透明カシカの最新曲、五十万回再生に乾杯」

 その宴は、とてもささやかなものだった。


 先日の取材とライブが影響してか、カシカの出した曲が五十万回再生を記録した。 彼女なりに精一杯頑張った成果だ。

 かくして俺が主催者となり計画した、この宴。だがどういうわけか、打ち上げの席には俺の家族もいた。

「一週間で五十万って、今までで一番早いんじゃない? さすが歌詩ちゃん」

「その名前で呼ぶのはちょっと止めてほしいところ。……ここではカシカって呼ばれているの。だから」

 姉貴の言葉に、照れくさそうにカシカ答える。図々しい姉は、ジョッキ一杯のビールを一気飲みしていた。


「賑やかだな」

 そう言葉をこぼすと、姉……咲紀が赤らんだ顔で俺の肩に手を回す。


「楽しんでるかね、ミノル君」

「まあ、ほどほどにな」

 俺は肩に回された手をどけながら言い返す。

「へえ、その割には笑顔が少ないわね。……ところでミノル君、カシカちゃんとは今も仲良くやれてるかね」

「酒臭い……。っていや、別に仲が良いとかじゃない。普通に接しているつもりだよ」

「そう? そろそろあんたも年齢的に考えているんじゃない」

「考えているって、何を」

「結婚」


 その瞬間、俺はビールを吹き出した。

「……いきなり何を言い出すんだよ」

「いや、あんたたちお似合いだなって、常々思っていたから」

「お似合いって、お前なあ……」


 俺は、カシカが座っているだろう席に目をやる。

 カシカは、同僚達と楽しげに喋っていた。姿は見えないが、声で分かる。


「好きなんじゃないの、カシカちゃんのこと」

「……それは友人として」

「本当に? 自分に嘘ついてない?」

「…………そのつもりだ」

「声が小さい」

 

姉はそう言うと、ビールをさらにつぎ足して俺に向く。

「あのね、これ以上のおせっかいはしないけどさ、一度、自分でよく考えな。……あの子のためにもね」

 それだけ言うと、姉はジョッキ一杯に注いだビールを一気に飲み干した。


 俺は、何も言えなかった。酒で酩酊したせいなのか、顔が赤らんで熱っぽい。おしぼりを掴み顔を拭く。


「……ミノル」

 なんとか気を落ち着かせようとしていると、不意にカシカの声が目の前からした。

「うわ、カシカか。……驚いた」

「咲紀ちゃんと何を話していたの?」

 

 カシカが問いかける。俺はおしぼりを額にあてた。

「……お前のことを、そろっと」

「ふうん……咲紀ちゃん、見事に酔い潰れちゃってるね」

 俺は足下でむにゃむにゃと言う姉を見て、嘆息した。こいつは酒が弱いくせに飲みたがる。


 俺は、今しがた姉にかけられた言葉を思い出し、カシカに向く。

 いったい何がカシカのためになるのか。酩酊した脳を必死に働かせ、俺は考える。   

 俺は、ただカシカを支えるだけの存在で良いのだろうか。

 

 うまく頭が回らない。俺は遠慮がちにカシカに声をかける。

「……あ、あのさ、カシカ。……俺たち、このままの関係でいいと思うか?」

「いきなりなに?」


 カシカが訝しむように訊き返す。俺は緊張のせいか酒のせいなのか、若干呂律の回った声で告げる。


「……俺はお前のこと、大切だと思ってる」

「それは友人として?」

「…………分からん」


 歯切れ悪く言って、俺がうつむく。カシカはそんな俺を小馬鹿にするように笑って、

「私もミノルのこと、大切な人だと思っているわ」

「友人として、か?」

「……どっちだと思う?」


 カシカが微笑んだ、気がした。俺は顔に集まる熱を冷まそうと、運ばれてきた冷水を飲み干す。

「ミノル、ふてくされないでよ」

「うるさい」

「顔真っ赤だよ」

「酒のせいだ。ああ、もういい。今日は浴びるくらいに飲む。焼酎一本くれ!」

 そうわめいて、俺は酒に逃げた。

 今日は、やけに暑いし熱い。全部が全部、酒によるものだ。何度もそう言い聞かせていたけれど、ばくばくと鳴り続ける心臓の鼓動は、流石にごまかせなかった。

 

 結局、打ち上げは夜が更けるまで続いたというが、酔い潰れた俺は一切覚えていない。ただ、カシカのことを延々考えていたという記憶はある。恐らくこれは友情なんかじゃない。多分、いやきっと。


 ――そうして夜が明けた後日、俺は悩みに悩んだ挙げ句、半ばやけくそ気味にカシカに交際を申し出た。


 カシカはといえば、何を考えているのかさっぱり分からないといった風体で、しかし断るような真似はしなかった。


「――でも、付き合ったはいえ、特に今の関係に変化はないよな、多分……」

 ふと冷静になって、俺がぼやく。カシカは終始、面白そうにくつくつと笑っていた。

 いつもと変わらず、彼女の姿は見えない。けれどカシカはとても楽しそうだった。

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不透明カシカは透明人間 明日朝 @asaiki73

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