第二章 皇帝君臨

 法官・氷生の“謁見”から十日。

 未だ皇帝の座は空白だった。

「アダマス、あのさ……その……」

「皚さま、私にお気を遣われないでください。あの日は私も言いすぎてしまい、本当に申し訳ありませんでした……少し、気が立ってしまって……」

 アダマスは困ったように笑っていた。

「いや、私の方こそ……氷生法官にきちんと話すべきだった。この帝国の将来を考えている……と。それに、皇帝の座も……私の中にちゃんとあるということを……」

 アダマスは驚き、皚を見た。

「皚さま……皇帝の座を、本当に……?」

 彼にそう問われ、皚は頷いた。

「正直言うとね、まだ迷ってる……。でも、謁見の後から、父が……先代皇帝が見たこの帝国を、私も同じ座から見てみたいと思い始めたんだ。君の一言がきっかけだよ。君は“私も同じ気持ちでないのか”と尋ねたね?……もちろん、同じ気持ちさ。自分たちの居場所だけでなく、君たち獣人の居場所も創りたいと、昔にそう思っていたことを思い出したんだよ」

 そう話す皚の瞳は、決意の色が滲んでいた。

「皚さま……」

「もし私が、本気で帝国の……皇帝の座を狙うと言ったら、君は私を助けてくれるかい?」

 アダマスははっきりと言った。「何があっても、必ずお傍でお助けいたします」と。

「でも、このことはまだ誰にも話さないでほしいんだ。時機が来たら、必ず私が話すから、それまで黙っていてくれるかい?」

「もちろんです。それが皚さまのお望みならば私は守るまで。ご安心ください」




【北州・黎の皇宮殿】


「兄上は……皇帝の座を欲しいとは思わないのかな……。緋兄さんや碧兄さんのように、自分が欲しいものを欲しいと言わない性格なんだ……」

 黎はそう言って外を眺める。

「黎さまは、兄様たちのように皇帝の座を欲さないのですか?」

「僕は……自信がないんだ。兄上みたいに優秀ではないし、緋兄さんのように交渉術があるわけでもない。それに、碧兄さんのように知識が豊富なわけでもないから……そんな人間が帝国を治めたら、一気に破滅に向かうよ」

 彼は笑う。

「黎さまはもっと自信をお持ちになられた方が良いですよ……。私はずっと黎さまのお傍にいますが、ほかのどの兄様よりも優れているところがあります」

 黎はきょとんとした顔でアーテルを見る。

「黎さまは、皚さまのように何事も同時に進めることはできませんが、一つ一つを丁寧にこなす。緋さまのように交渉に長けているわけではありませんが、誰からも好意を持ってもらえる性格をされています。そのため、どこに赴いても警戒されにくい。それに、碧さまのように知識が豊富なわけではありませんが、知らないことを知らないと言え、次に生かす。黎さまはそんなお方です。だから……皇帝の座を欲して良いんですよ!」

「アーテル……」

 肩で息をしながら、アーテルは黎を見つめる。

「アーテルは……僕をよく見てくれているんだね……。ありがとう」

 礼を言った彼は、少し照れていた。



【東州・碧の皇宮殿】


「碧さま、何をされているのですか?」

 じっと花を見つめる碧に、マリーンは声を掛けた。

「この花……貿易で入手したんだ。異国の花でね、不思議な姿をしていると思わないか?」

「ええ。まるで碧さまのよう……」

「私のよう?」

 マリーンはうなずき、続けた。

「美しい花なのに下を向いてしまう。得体の知れない見た目で……触れてみないと何もわからない……この花は碧さまのようです」

 「時々君の考えていることも分からないよ」と、碧は笑った。そして、再び花に視線を移し、静かな口調で話し始める。

「この花の名前はね、“ヨウラクユリ”と言うんだ。花言葉は、天上の愛、才能、そして……王の威厳……。この花が私のようだというのなら……私にも才能や王としての威厳があるということで構わないか……けど、今の私はまだ……皇帝の座に座るにふさわしくない……」

 


【南州・緋の皇宮殿】


「謁見の際に皚さまが仰ったことは本当だと思うか?」

 ルベウスはベッドに寝転がる緋に尋ねた。

「知らね……。皚兄さんは一見するといいやつだろ?でもな、俺たち兄弟の中で一番腹の中が見えない人間なんだよ。何を考えているのか分からない、感情が見えにくいんだ」

「人間の目にはそう見えるのか?」

 ルベウスはそう返す。緋は驚いた目で彼を見た。

「どういうことだ?」

「俺たち獣人には、“異能”っていうのがあるんだよ。知ってるだろ?」

「もちろん。ルベウスは、火を使うよな?」

「それもある。でも、それだけじゃないんだ。俺たち獣人には、相手の心を読んだり、感情を視たりできる異能があるんだ」

 緋はしばらく考え、「ということは、皚兄さんの心も読めてるってことか?」と返した。

「それが……皚さまは意図的に感情を抑えたり、自分の考えを読まれないようにしているときがあるんだよ。もしかしたら、アダマスなら分かっているのかもしれないけど、少なくとも俺には分からない」

 彼はそう言う。

「なあルベウス、皚兄さんは……本当に皇帝の座に就かないと思うか?」

「……いや、あの人なら皇帝の座に就くと思うよ。彼は誰よりも野心家だ」



法官・氷生の“謁見”から十五日、皚は宮殿に緋、碧、黎を集めた。もちろん獣人の彼らもそこにいる。

「みんなに話があるんだ……」

 一同は皚のその声で、これから何を話すのか、ある程度の予想はついたようだった。

「皇帝の件なのか?」

 緋が尋ねると、皚は頷いた。

「詳しくは賢人会議を開く。でも、その前にみんなに伝えておきたいと思って集まってもらったんだ」

 賢人会議、それは皇帝や宰相、聖職官など皇帝の側近を含め、貴族らと会議する場のことを指す。そして、皇帝の決定に唯一介入できる機関でもあり、皇帝のブレーキ役にもなる。

「私は……先代皇帝の後を継ぐ……。皇帝の座には、私が就く」

 皚はそう口にした。

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