第32話 常闇の二択
客人のつもりで寛ぐようにとシザースは言ったが、それは無理というものだった。
人目を忍んで国王を追う彼らの隠れ家はお世辞にも綺麗とは言えなかったし、見張りの兵士たちが、時たまあたしを覗きに来るのだ。
「はぁ……」
何度目かも分からない溜息と共に、あたしは寝そべって天井を見つめていた。
ユキリを守るか? 殺すか?
あたしたちの行く先は二手に分かれていて、どちらとも底の見えない崖が広がっている。
どちらに向かって飛び込むか、というだけの話だ。
そう、たったそれだけの……とても明瞭で簡単な話。あたしには選ぶ権利すらも無い。何も考えずにその時をひたすらに待つだけだ。
……チョキは今頃どうしているだろうか? マルルたちにあたしのことはどう説明したのだろう?
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その日のナギナタ邸──持ち主が変わった後でもそう呼ばれる──を包み込む空気はいつもより重苦しいものだった。
「そんな! スティープル様が人質に!?」
帰宅した少年の報告を聞くなり、マルルことマルカ・ドールはそう叫んだ。夕食の具材を煮込む鍋がグツグツと沸騰し、吹きこぼれる直前になってようやく彼女は鍋へと向き直る。
濃厚な鶏ガラスープが危うく量を減らす所だった。あわやという珍しい光景を少年は微笑ましげに眺めながら言う。
「大丈夫だよー! 僕が依頼をちゃんとこなせばいいだけだからねー!」
「えっと……確かギルドから聞いたのは“護衛”の依頼でしたよね」
「…………」
少年は否定も肯定もしなかった。透き通った青い瞳を光らせながら、ただ微笑んでいた。
そんな彼の態度を前に、レサルタがやれやれと一つ息をつく。
「まったく……本当のことを教えてほしいものだ」
「ん? 何のことー?」
「件のユキリの浮かれっぷりは既にパーチメント国の知るところとなっている。雇った護衛は遊び相手にされるという噂も聞こえるぞ。そんな彼らが人質を取ってまで護衛を強いるとは思えん」
「確かにねー! その噂を流した人はたぶんチーム・ナントカのBさんかなー!」
「大体、護衛を依頼した相手を人質に取ってどうする!? 戦力が減ってるではないか!」
「あっはっは! 的確なツッコミだよー!」
しばらく笑った後、彼は言う。いつのまにかその瞳は赤くなっていた。
「まぁ、最初から二人に隠し通せるなんて思ってないよ。なんせチョキの方は、スティープルが人質に取られているってことしか知らないんだもん。必ずどこかで綻びが生じるよねー」
「……なるほど。マルカ、火を止めてこちらに来い。チョキの目だ」
「えっ……? は、はい!」
マルルはすぐに言われた通り行動する。
そして二人の使用人と向き合った所で、少年はようやくその言葉を口にした。
「はじめまして。僕はシザース、よろしくね」
「っ! シザース様!? あなたが!?」
「スティープルから聞いてはいたが本当に第三のご主人が存在するとはな」
「大丈夫! 僕は実質チョキだし、二人もチョキのように扱ってくれればいいだけだよー! マルルが最初に会った時にキャンディ出したのも知ってるし、レサルタが医者と庭師と弁護士やってることも知ってる! あとはえっと……何だっけ? あ、そうそう! 僕が教えていない本当のことだっけ!」
しばらくの間、シザースが早口でまくし立てるのをマルルとレサルタは黙って聞いていた。しかし、最後まで聞き終えた彼らの表情は揃って焦燥感に染まりきっていた。
「この馬鹿が! お前は自分が何をしたのか分かっているのか!?」
「えー、酷い言い草だなー」
「言葉使いについては既に許可をもらっている! ここは公衆の面前じゃない! もう一度言うぞ、この馬鹿が!」
「ど、どうするおつもりなのです!? 国王を手に掛けようものならシザース様も……それどころかギルドや私共に至るまで全ての関係者がタダでは済まされませんよ!」
「あーもう、落ち着いてよー!」
二人の勢いが収まるのを待ってからシザースはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ちゃんと僕だって考えてるんだよ、これからどうするかって。それを今から二人に聞いてもらいたいんだ」
「……それを聞いて我々にどうしろと言うのだ? 計画がうまくいくか評価をしてほしいということか?」
「それもあるけど正確に言えば投票かな」
「投票……ですか?」
「そう。二つの方法を考えたんだよねー」
ニヤリとシザースが笑う。先程のチョキが浮かべていた表情とは違う、どこかいたずらっぽさを含む笑い方に、使用人の二人はぞわりとする感覚を受けた。
どうせ碌でもない計画に違いない、という確信があった。ただしそれは“しょうもない”ということではなく“常識的でない”という意味で。
そしてやはりその感覚は的中していた。
「確かに……お前たちに課せられた護衛の依頼には“隙間”があるな」
「そうでしょ? 僕がこうやってレサルタと話していられる間は、少なくとも僕は護衛を任されてはいない」
「で、ではその隙間の時間でユキリ様を……!?」
「あぁ、仮に……本当に仮にだぞ? たった今、護衛対象のユキリが殺されたとしてもスティープルやチョキに責任は無い。依頼者である彼らの失態だ。護衛の任務時間外なのだから」
「で、ですが……!」
マルルが不安げに言う。主人に対して意見する行為を彼女は嫌うが、シザースが喜んで反論を認めたことで、続きの言葉を口にした。
「スティープル様は嫌がるかと……! もちろんシザース様よりも付き合いの短い私の意見に過ぎませんが」
「あぁ、同意見だな、賛成するとは思えん。それにただ葬るだけでは駄目だ。お前たちに責任は無いとは言ったが、それはあくまでバレなければの話。そこまで踏まえたうえで計画を練ろうと言うのだろうな?」
「心配してくれてありがとう。大丈夫、これでもそんな楽観的に考えてはいないから。それにスティープルに今の方法を提案したら、嫌がるどころか『あなたは殺せない、絶対無理』って言われるだろうねー」
無邪気に声を上げて笑うシザースに呆れつつ、レサルタはもう一つの提案について意見することにした。
「極秘依頼は……お前の言うように取り消すことができる。その場合はボラッサス、すなわち依頼した側がギルドに要請する必要がある」
「だよね? 良かったー!」
「だが、この場合はスティープルを人質に取られている状況でボラッサスを言いくるめなくてはならない。仮に彼らを脅迫して物を言わせたところで、それが本心でないとギルドに知られれば終わりだ」
「うーん、そう言われると、どちらも難しいような気がしますけど……この二択で私たちに投票を?」
「厄介なご主人だな……本当に使用人に決めろと言うのか?」
「もちろん最後に決めるのは僕だよ。でもさ、どうせなら皆が好きな方法にしたいでしょ?」
そんなことを言われても困る、と二人の使用人は表情を浮かべたが、シザースは気にしない。
「この後、また別の方法を考えるかもしれないけどさ、とりあえず二人の好き嫌いを聞いておきたいんだよ。ユキリとボラッサス、二人が味方したいのはどっち?」
「…………」
その時、呼び鈴が鳴った。
マルルがやや安堵した表情で一礼をし、玄関へと向かっていく。ほどなくして一通の紙を手に戻ってきた。
「シザース様。ユキリ様から明日の予定について連絡を受けました」
「ふーん……なんて?」
「
「じゃあ、しっかり食べて体力をつけないとねー」
もうシザースはいなくなっていた。
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何かがあたしの頬を濡らしている。シュウシュウという低い鳴き声も聞こえる。
「う……ん?」
浅い眠りから目覚め、あたしは視界の端に映る“そいつ”の姿を捉えると同時に……!
「わあああああぁぁぁっ!?」
叫びと共に飛び上がっていた。
「い、今のは!? 蛇だ……蛇がいたっ!」
割れた舌先をちらつかせてあたしの頬を舐めていた……あれは赤い蛇だった!
どこに行った!? どこから来た!? 扉は締め切られてるし窓は無い。床に隙間でもあるのか?
キョロキョロと見回すと、壁の下枠部分に直径三センチ程度の穴が空いているのが見つかった。
ここを通り抜けて……もう逃げたのか。部屋の中にはもう蛇は見当たらない。
ガンッ!
「っ!? いっ……!」
左手の甲を棒切れで叩かれ、痛みに思わず倒れ込む。
見上げると……ロンタール国の兵士と目が合った。
「手を上げたとか言うんじゃあないだろうな? 先に逃げようとしたのはそっちだぞ」
「ふ、ふざけないでよ! こんな所からどうやって逃げられるって言うの!? 蛇よ! 真っ赤な蛇が部屋に入ってきたの!」
「これ以上、疑わしい行動を取るなら縛り上げるぞ!」
兵士はあたしの言葉には耳も貸さずに定位置に戻って座り込んだ。
あたしも思わず彼を睨みつけながら再び横になる。耳にはまだ蛇の鳴き声が残っていた。
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