第31話 依頼②

 馬車の向かった先は先程のレストランとは対象的な、薄汚れた酒場だった。

 中に入ると無精髭を生やした主人が新聞を読んでいるのが見えた。あたしやロンタール国の兵士が入店したのを見ても声を上げることはなく、欠伸をしながら新聞に没頭している。


「こちらです」


 兵士は自分の家のようにずんずんと店の奥へ向かっていった。主人は当然のようにそれを黙認する。


「……何だか怪しいんだけど大丈夫なのよね?」

「…………」


 チラリとこちらを振り向いた兵士の様子はやや高圧的な印象を受ける。レストランにいた兵士とは服装こそ同じでも全く逆の態度だ。


「どうぞこちらへ、依頼について説明いたしますので」

「依頼って……さっきのレストランだと駄目なの? わざわざこんな所まで……」

「行こう、スティープル」

「うーん……」


 チョキが何ら気にしない素振りで歩きだしたのを見て、あたしも仕方なく後に続いた。


 そうして従業員専用の通路を抜けたさらに奥の部屋へ案内される。

 そこは最低限の掃除がされている程度の薄暗い部屋だった。共通の格好をしたロンタール国の兵士が案内役を含めて三人という所までは予想できたことだが、それとは別に中央の机に向かって椅子に腰掛けている人物がいた。

 全身を覆う鎧は、デザイン自体は兵士のものと同じではあるが濃い紫色に染まっていた。さらには鎧と同色のマントをつけている。おそらくは兵士たちのリーダー格、ヴェラム王国でいうフラットクリンチ隊長のような人物だと想像する。


「この者らが?」

「ハッ!」


 その男の短い確認に兵士が返答する。男は軽く頷き、立ち上がって自身の名を名乗りだした。


「私はボラッサス。ロンタール兵士団の第一部隊を率いている」


 ボラッサスの茶色の髪は短く切りそろえられ、肌には色艶があった。部隊を率いていると彼は言ったが、その割にはまだ若々しさを感じるように思える。

 とはいえ、彼の鋭い表情はまるっきり別物だった。あたしたちを警戒しているのだろうか。その表情は威厳に満ちていながらも、同時に戦場で相手を攻め立てるような厳しいものでもあった。


「座ってくれ」

「あ、その前に僕たちの自己紹介も」

「必要ない」


 チョキの言葉をボラッサスは一蹴する。


「お前たちの名はギルドから聞いている。この依頼を受けたということも。それ以外でこちらが知るべき情報があるだろうか?」

「……いや、無いかな」


 チョキが納得した様子で、兵士たちに用意された椅子へ座る。

 余計なことは喋らないのか、それともせっかちなだけかな。そんなことを考えながら、あたしもチョキの隣の椅子へと座った。

 机の上には何枚もの書類が置かれている。その中の一枚は人物画だった。


「この者の説明は必要か?」


 ボラッサスがその人物画を手に取る。あたしたちは揃って首を横に振った。


「国王さんだよね? 兵士さんたちの仕える……」

「その通りだ。ユキリ・ロンタール王……先代が亡くなって混乱中の自国を放り出し、世界各国を遊び歩いている最中だ」


 ず、随分と厳しく物を言う人だな……!

 そしてどうやら国王お付きの兵士のみならず、国王不在のロンタール王国もまた大変なようだ。

 ……と、最初はなかば呆れ気味に聞いてはいたが、次第にそれが単なる雑談の範疇を超えていくことになる。


「私は憶測で物を言うのは好まないが、この男の噂だけは別だ。たとえ名誉を貶めるような根も葉もない噂でも、この男に向けられたものなら全て信じられる。例えばそうだな……どうだ?」

「ハッ! 正体は魔物なのです! ロンタール王国を内部から崩壊させるために魔物が成りすましているのです!」

「ハッ! 実はどこぞの娼婦が産んだ子供と入れ替えられていたのです!」


 ボラッサスが、兵士たちが口々に感情的な言葉をぶつけ始める。

 その言葉を聞くたびに、あたしの心の中に浮かんだ不安が大きくなっていくのを感じる。

 何か変だ。愚痴や不満なんてレベルじゃない。国王の護衛を依頼した相手を呼びつけてまで、どうしてわざわざこんなことを言う?


「あの男が王の椅子に座り続ける、ただそれだけでロンタール王国は破滅へと近づいていくのだ。王国の平和を担う立場として見過ごすわけにはいかない」


 ボラッサスが目配せをすると兵士の一人が黒い包みを机の上に置いた。

 そして包みを解くと同時に彼が告げた。




「ユキリを“引退”させろ、それが君たちへの依頼だ」




 時が止まったような錯覚に陥る。

 ナイフがあった。柄も刃も漆黒に覆われた、一目で分かる一品物。

 小瓶があった。中の液体は濁った紫色で、厳重に蓋がされている。

 鉄線があった。部屋の照明が当たり、ギラギラと鈍く光っている。


「我が国からはできる限りの一級品を持ってきた。だが手段は任せる。お前たちの最も得意とするやり方で腕を振るってもらいたい。それと、ユキリの傍に付いているロンタール国の兵士も、邪魔であれば“引退”させて構わない」


 何を言っているんだ……?

 引退? 引退って……それってつまり……!


「どうかしたのか?」

「護衛じゃないの!?」

「なに……!?」


 虚を突かれて飛び出た言葉がボラッサスの声色を変えたことに、あたしはしばらく気づかなかった。


「あたしたちはユキリを護衛するように依頼を受けたはずでしょ!? それがどうして真逆の依頼になってるのよ!?」

「護衛? あの男を? ……本気で言っているのか!?」


 あたしの困惑が鏡写しのようにボラッサスへと伝搬していく。

 お互いに何かが噛み合っていないのか? 兵士たちも顔を合わせてざわついている。

 そんな中でだけが冷静に言った。


「なるほどねー、これが依頼の中身ってわけか」

「チョキ……?」


 違う。あたしの隣に座る男は……そして彼がヒラヒラと見せびらかしている紙切れは……!


「シザース! それはまさかっ!?」

「うん、そうだよ。気になったから受けてみたんだー」

「極秘……依頼……!」


 目眩が……した。

 こいつはユキリの護衛依頼を受けるついでに、ギルドの壁に貼られていた極秘依頼まで受けていたのだ!


極秘依頼それがこの依頼ってわけ!? 何を勝手なことしてんのよバカッ!」

「だって気になったんだもーん。それに護衛なんて僕の好きこのんでやることじゃないでしょ? それくらいはスティープルも分かってるはずだよ」

「だったらどうすんのよ!? あたしたちは国王を守らなきゃいけないのよ!? それを守るどころか殺したなんて依頼失敗どころの騒ぎじゃないわっ!」

「落ち着いてスティープル。見られてるよー」

「え、あっ……!」


 もう遅かった。冷静に状況を判断することに関しては、あたしはこの中の誰よりも遅れを取っていた。


「話を聞かせてもらえるんだろうな?」

「もちろん!」


 しばらくの間、彼らの詰問とシザースの無邪気な返答が執り行われた。あたしはそれを黙って見つめることしかできなかった。

 やがて全てを聞き終えたボラッサスが静かな口調で言った。


「素晴らしいことだな。お前たち以上の適任はいない、この依頼を成功させられる適任はな」

「そうだよねー、僕たちなら警戒されずに近づける。なんてったって標的の護衛なんだから」

「よくもいけしゃあしゃあと言えるものだ。お前が私の兵団に所属していたならば明日にでも処分しているだろう」

「あはは、ありがとうねー!」


 シザースは陽気に笑う。褒められてないことくらい分かってる……よね?


「それでどうするの? 僕たちに依頼を頼むってことでいいんだよね?」

「無論だ。こちらはそのために多額の金をつぎ込んで極秘依頼を出したのだ。お前たちの事情など知ったことではない。やってもらおう、拒否など認めん!」

「もちろんだよ、それが極秘依頼のルールだからねー」


 最悪の状況だ。

 護衛の依頼……それはユキリ直々の依頼でギルド側もその内容を把握している。

 この状況でユキリを殺害するということは単なる護衛の失敗に留まらない。一国の王を亡き者にしたとなれば大混乱となるだろう。あたしたちはもちろん、あたしたちを推薦したギルドの責任も問われる。それどころかパーチメントとロンタール、両国の国際問題に発展しかねない。

 仮に極秘依頼という強制力と、暗殺という依頼の内容が認知されたとしても、それで納得してくれる者はいないだろう。あたしたちに待ち受けるのは極刑の未来だ。


「ねぇ、スティープルに何をする気?」

「えっ?」


 シザースの問いかけで我に返る。

 いつのまにかあたしの両脇に兵士が立ち、肩に手をかけていた。


「シザース? えっと、これは……?」

「話を聞く限り、護衛は少年の方だけで事足りるらしいな。もう一人の……スティープルだったか、彼女は護衛につかない。そうだな?」

「確かにそう言ったけど……もしかして人質にでもしようって思ってる?」

「え……」


 人質? あたしを?


「念のためだ。極秘依頼を拒絶する輩がいるとは思っていないが、万が一ということもある」

「っ……! まさかあたしを殺そうって言うの!?」

「そうは言っていない。ただ、こちらの依頼を無下にするのであれば相応の代償を払うのが道理だ」

「大丈夫だよ、スティープル」


 シザースが言う。あたしが混乱しているのを理解した上で、こういう時だけ普段よりもほんの少しだけ優しく言う。


「“対等”なんだよ、僕たちと彼らは。極秘依頼はお互いが対等の立場で成り立っている。君が彼らに危害を加えられた瞬間、それは裏切りになる。僕は直ちに依頼から解き放たれてに向かうだろうね」

「ほう……?」


 ボラッサスがピクリと眉を動かす。


「まぁ、君なら自力でどうにかできるだろうけど、自分から手は出さないようにね。それこそ客人のつもりで寛いでいてほしいんだー」

「……はぁ、あたしの身を心配しているってわけではなさそうね」

「嫌だなー“心配”だなんて。“信頼”しているんじゃないかー。ともかくだよ?」


 ビュンと風を切る音がした。

 いつのまにかシザースが、右手の剣をボラッサスの喉元へ突き付けて笑っていた。


「脅すなら僕の方からも。これで対等」

「ぶ、無礼な! 部隊長に何という──」

「よせっ!」


 声を荒げた兵士をボラッサスがそれ以上に響き渡る威厳を持った声で制する。

 どうやら彼にも理解できたようだ、この少年の厄介さを。


「どうやら……単なる少年と侮らない方が賢明なようだな」

「納得してもらえて何よりだよー」


 シザースが剣を引いて立ち上がる。


「じゃあ僕はもう行くから。スティープル、悪いけどお留守番はよろしくねー!」

「ちょ、ちょっとシザース!」

「大丈夫、自分の蒔いた種くらい自分で何とかするよ。楽しみにしておいて」

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