第28話 一段落
ギルド・カートリッジの受付を務めるウェバリーは手元の書類にサインを書き込むと、銀縁のメガネをクイと持ち上げながら顔を上げた。
あたしたちの受託した依頼が完了した瞬間だった。
ウェバリーは続いて別の書類を用意すると、再びスラスラとペンを走らせる。
はて、まだ何かあるのだろうか? 書き終えた紙をこちらに向けて彼女が言う。
「こちらが請求書になります。金額と期日を記載しておりますのでお間違いなきようお願いいたします」
「えー? なにそれー!?」
「受託料は後払いだと申し上げたはずです」
素っ頓狂な声をあげて──大袈裟で演技臭いが──目を丸くするチョキに、ウェバリーは冷静な口調で告げた。
「諦めましょう、チョキ。お金に関してはこの人には敵わないから」
「懸命な判断と存じます、スティープル様。いくら口約束といえども、当ギルド内で当ギルド職員と交わした契約を破棄するマネはお勧めいたしかねます」
「仕方ないなー。約束を破ったら溺死させられちゃうもんね」
「それは捕まったあいつの能力でしょ。ウェバリーさんの場合はきっとペンよ、こうやって手の甲に突き立ててくるの」
「皆様は私のことを癇癪玉と勘違いしておりませんか?」
ウェバリーは自分の冷静さを主張する。
あの時はブロードが自身の実力を偽っていた上に、度を超えた暴言を繰り返していたためだと言う。
……まぁ、いくら言われてもイメージは払拭できない。それに彼女を激怒させた暴言はあたしが引き出したものだからな。あたしも当事者みたいなものだ。
「コホン、ともかくお二方はとても良い成果を残されました。当ギルドといたしましてもお二方の実力を認め、正当に評価することを保証いたします」
「わーい、これでお姉さんも僕たちの受託に口を出すことはなくなるわけだねー」
「それとこれとは別の話です」
「えー」
「ですがご安心ください。当ギルドはお二方を失うことを損と考えておりますので。次回以降の忠告はとても有意義な物となるでしょう」
「損ねぇ……」
人間を損得で語られると奴隷商を思い出して嫌な気分になるのだが、こっちはまだマシか。
「それで話は変わりますが、お二方は次の依頼はどうされるおつもりでしょうか?」
「次の依頼か……」
ギルドの壁には今日も多くの依頼が貼られている。仕事に困ることは無さそうだ。
とはいえ……あたしは首を横に振る。
「あと数日は何もしないよ。ナギナタ老の葬儀が終わるまでは、あたしたちの都合で彼らに負担をかけたくないから」
「かしこまりました」
ウェバリーは静かにそう言った。
ナギナタ老が旅立ったのはバンケシーの一報を報告して、その翌日のこと。とても静かな旅立ちだった。
保安部隊のフォルカンは、奇跡的に依頼の達成が間に合ったと表したが……きっとそうではない。
ナギナタ老には、もう“理由”が無くなったのだ。生にしがみつくのを止めた。自分の意思で手放した。あたしにはそう思えた。
既に覚悟を終えていたのだろう、マルルとレサルタは滞りなくかつての主人を見送る準備を進めている。
その中で邸宅の所有権と財産の配分についても話を受けた。今はあたしとチョキが、あの邸宅の主人だ。
それに加えてもう一つ……いや二人、あたしたちが得たものがあった。
「レサルタ・ドールとマルカ・ドールは今後もあの館で働くということですね?」
「うん。僕たちが雇った」
「二人が特別に何かしたがっているってわけでないなら、あたしたちの生活を支えてもらおうかって思って」
「あはは、恥ずかしながら僕もスティープルもそっちはからっきしだからねー」
「……ふぅ、そうなるであろうとは予想していましたが。あの二人は当ギルドでの雇用を検討しておりましたのに」
「残念だったねー」
「いいえ、別の人材を確保しますので」
ウェバリーはさして痛くもないといった表情で言う。
どうだろうな? あの二人の代わりはそうそう見つからないと思うが。こればかりはギルドの依頼と一緒で早いものがちだ。
「じゃあ僕たちはこれで帰るよー」
「お支払い期限をお忘れなく」
「分かってるってばー! 行こう、スティープル」
「えぇ」
拠点と使用人を確保して、生活面の問題は全て解決した。
仕事の方も、ギルド側の信頼は少しは獲得できた。
あの頃は先が見えなかった逃亡劇もすっかり落ち着いて、何とかやっていけるようにはなったかな。
……そうして、新たな心構えで歩き始めたのはあたしたちだけではないようだ。
「お! これはこれは噂の二人じゃあねぇか!」
ギルドの入口で包帯を巻いた人物と出くわす。
「ブロード……一人で出歩くとは随分と不用心ね」
「ま、待て! 落ち着け! 俺が悪かった! もうお前らに危害は加えねぇから!」
チームBFDのリーダー、ブロードはあたしの言葉にすっかり怯えきって座り込む。
「やり直しだぜ俺たちも。受けた依頼は責任を持って最後まで成し遂げるんだ。今回のことで嫌というほど学んだからな」
「本当かしら?」
「うーん、学んでいるとしたら、スティープルを敵に回すと怖いってことくらいじゃないのー? いてっ!」
「こらっ、余計なこと言わない! 言っておくけど、チョキだって敵に回すと本当に怖いからね!」
「わ、分かってるって! もうお前らのことクソガキ呼ばわりしねぇし、何なら近づいたりもしねぇから! お、俺は依頼を受託しに行くんだ! あばよ!」
逃げるようにブロードは依頼の貼られた壁へと向かっていった。
噂によると、依頼主のバンケシーが罪人となったことで、その依頼は失注したらしい。要するにBFDの失敗は無かったことになったのだ。
ウェバリーからの評価はだいぶ下がったので完全に無傷というわけではないが、彼らはまだ楽にやり直せる立場にある。これからは身の丈にあった依頼を積み重ねていくことになるのだろう。
しかし、あたしの攻撃でだいぶ傷を負ったからな。しばらくは大きな依頼はできないのではないだろうか?
「こいつはすげぇ報酬量だ! 王子様の警護か……楽勝だな、こいつで決まり!」
……何だか駄目そうな気配が漂ってくるな。
館に戻ると、そこにはあたしたちを出迎える執事の姿があった。
「お帰りなさいませ、スティープル様、チョキ様」
「レサルタ、ただいまー!」
「……ふぅ」
「スティープル様、いかがされましたか?」
「いきなり丁寧な態度を取られると落ち着かないのよ。あなたの場合は特に、偉そうに上から物を言ってくる印象で定まっているから」
「……ふん、こっちの方が好みというわけか。随分とわがままなご主人だな」
「そう、それそれ」
レサルタは呆れ気味に息をつく。主人に対して不遜な態度を取ることに、彼は随分と不満な様子だ。
とはいえ不名誉になるリスクを背負ってでも、彼はあたしたちのお願いを聞いてくれた。さすがに人前では控えるが。
「
館の庭には既に墓石が建てられている。生前のナギナタ老が埋葬の準備を終えていたそうだ。
庭を包み込む山吹色の花々に囲まれて安らかに眠ることだろう。
「しかし、お前たちは既に我々を雇っている。火葬も待たずに好きに命令するがいい。我々はその要望に応えよう」
「まぁ、あたしたちから指示することはそんなにないと思うよ。食事とか掃除とかをしてもらえればそれでいいんだし」
「それはマルカに頼むことだ。だが、それ以外で裏方の役割が必要であれば遠慮なく申し付けるといい。こう見えて色々なことはやってのけるぞ」
そう言ってレサルタは不敵に笑ってみせる。
医者と弁護士、さらには庭師も兼任していたという。なんとも器用な男だ。彼の言葉通り、様々な技量があるのだと思わせてくれる。
マルルとは別の頼りがいがそこにはあった。
「お帰りなさい! お茶をお入れしますね!」
そのマルルがワゴンを手に現れる。晴れやかな笑顔と共に紅茶を淹れてくれる彼女の姿は、あたしたちに家という安らぎを提供してくれる。
「……さて、これから仕えてくれる二人に大切な話をしておかないとね」
紅茶の香りに包まれた部屋の中で、あたしは話を切り出した。
何事かと顔を見合わせる二人に向けて両手を前に出す。
「パンケーキに何を乗せるか」
大賢者の言葉を引用しながら手のひらに口を生成する。
『ファングド・ファスナー』……それこそがスティープルにとっての本当の自己紹介なのだ。
第1章 END
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