第24話 波立ちの器

 しばらくの時間が経った。

 ブロードは頭を覆うバケツに手をかけながら、よく懐いた猫のようにゴロゴロと身を捩っている。


「……はぁ」


 あたしの吐いた息には僅かに怒りがこもっている。


「いつまでそんな無邪気に振る舞っているの?イタズラのバレた子供じゃあるまいし、さっさと降参してくれる?」

「…………」

「それとも何か企んでいるって勘ぐった方がいいかしら?あなたの振る舞いは何かしらの時間稼ぎかもしれない。だとしたら不要な時間を与えることなく攻撃したほうが得策よね?」

「…………」

「これが最後よ!大人しく降参しなさい!さもなければ攻撃するっ!」

「……ゴボッ!」

「え?」


 今のは……何の音だ?


「ゴボッ……ゴボボッ……!」


 水の中で空気を吐き出す音に似ている。あえて似ていると表したのは、この状況で起こり得ない音だから。

 ブロードの頭部……バケツに覆われている所から聞こえてくる。


「ねぇ、何のつもり!?悪ふざけのつもりなら……」

「ゴボボボボッ!」


 ブロードの様子が変わる。足のバタつきが激しくなった。何度もバケツの縁に手をかけては離してを繰り返し、ついには拳を握ってバケツを叩き始めた。

 彼の右手には包帯が巻かれている。ウェバリーから受けた刺し傷から血が滲んでいる。それでも彼は一心不乱にバケツを叩く。

 これは……違う!ふざけてるだとか、あたしを陥れようだとか、そんなチャチなことじゃ断じてないっ!


「ブロードッ!?」


 バシャリ、と彼の元に駆けつけてバケツの内側を見た時……水音がした。

 これは一体……何なんだ!?

 バケツの中が水で満たされている!?


「ありえない!だってあなたの体勢は……水がこぼれないなんて絶対におかしい!こんな、バケツの中に水が固定されているなんてこと……!」

「ボ……ボッボッ……!」

「くっ!ブロード、何とかして外せないの!?」


 何かに引っかかっているようには見えない。

 ダメ元でバケツに手をかけ、引っ張ってみると……!


 バシャァッ!


「は、外れた……!?」

「ガハッ!ハァーッ!ハァーッ!ゲホォッ!」


 外れたと同時に中の水が溢れて地面に撒き散らされる。バケツは音を立てて転がっていき、壁にぶつかって止まった。


「い、今のは……ゲホッ!ゴホッ!お、お前が何かやったのか!?バケツが外れた!こ、こんなことは初めてだ!」

「あたしは何もしてないよ。バケツは普通に外れたんだ」

「ハァーッ!ハァーッ!お、俺がどれほど力を込めても外れなかったのに……!」

「ねぇ、説明してくれる?何がどうなってるの?」


 ブロードに『ファングド・ファスナー』の口を顕現させる。

 本音を暴くと同時に、息苦しくても喋れるようになる。


「俺たちの依頼主だ……!見ての通り、人を溺れさせる能力チカラを持っている!」

「何ですって!?」


 レサルタから聞いた話に出てきた言葉だ。奴隷商の討伐に関わった多くの人間が溺死した……それも不可解な状況で!

 今の光景がその答えだとするなら……そいつはまさか……!


「あたしと同じ……プレーン!?いや、そうとしか考えられない!」

「な、何だそれは?何の話を……!?」

「あなたには分からない話よ。それよりそいつは何者なの!?どうしてこんなことを!」

「お、俺が知るかよ!顔は隠してたし名前だって名乗らなかった!分かるのはそいつが奴隷商と繋がっているってことだけだ!この場所はそいつから聞いたんだし、そいつ自身も奴隷を所持していたからな!」

「……!」


 つまりそいつは奴隷を買う側の人間か。

 そいつにとっては奴隷商が討伐される事態は好ましくない。なるほど、依頼の受託者を狙う動機にはなるな。


「でも不自然ね。今まで自分の手で受託者を始末してきたくせに、今回はあなたたちに依頼したって言うの?」

「いや、そうじゃあない」

「え?」

「そうじゃあないが……なぁ、どうして俺はこんなこと喋ってるんだ?喋りすぎじゃあないか?」

「いいから続けて!何が違うの!?」

「い、依頼の内容……!」




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「待ってください!残る眼球はこれから持ってきます!」


 ファインが叫ぶ。

 仮面の男の視線がブロードから彼女の方へと映った。ブロードはゴボゴボと音を鳴らしながらもがいていた。


「所有者は分かっているんです!年端も行かない二人の子供、少年と少女の二人組です!私たちの敵じゃない!すぐに取り戻せます!」

「それで?彼らの居場所は把握しているのかね?」

「そ、それは……」

「論外だな。その程度で私の信頼は取り戻せん」

「も、目的は分かっているんです!例の呪われた依頼、奴隷商の討伐です!」

「ほう?」


 仮面の男が声色を変えた。その表情は定かではないが、彼が興味を惹かれたのは確かだった。

 次の瞬間、ブロードの頭部を覆っていたバケツが中身の水ごと消滅していた。


「ゲホッ!ゲホッ!」

「ブロード!」

「なるほど、行き先は分かるというわけだ。聞けば良いのだからな、ここにいる奴隷商のお得意様から」

「は、はい……そこで眼球を取り戻してみせます!ですから私たちの命は……」

「良かろうとも。だがそれだけじゃあ足りんな」

「え……!?」

「一度。わしの心を裏切った時点でお前たちの信頼はマイナスなのだよ。それをゼロにするだけじゃあ信頼を取り戻したとは言えないだろう?プラスにするのであれば、さらに追加分が必要になる」




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「魔物の眼球を四つ揃える、元々の依頼に追加を受けたんだ。あいつを……男の方のガキを誘拐してくるという依頼を」

「チョキを……?どうして?」

「はっ!どうせ新しい奴隷が欲しいんだろうよ!」

「ふーん、彼だけはやめておいた方がいいと思うけど」


 実際はとんでもない人格を内に秘めているというのに。


「とにかくだ!俺たちはその男から依頼を受けた!そしてお前たちを狙って……だがファインとデウムがやられて俺は心の中で思ったんだ。“俺にはできない”って……だからか!?依頼を諦めたから奴の逆鱗に触れたのか!?あいつの言葉はそういう意味だったのか!?」


 『ファングド・ファスナー』がブロードの本音を次々と晒していく。

 あいつの言葉とは?あたしの質問にも迷うことなく答えてくれた。




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「いいかね?人間を最も深く傷つけるのは敵ではない、味方なのだ。敵に侮辱されるのは普通のことだが味方の場合はそれが大きな溝を生むだろう?特に最悪なのは裏切りだ。頼み事を引き受けておきながら『できない』などとカスみたいなことを言う、これはその辺で転がってる浮浪者を蹴り殺すことよりも遥かに残虐な行為だと、私はそう考えている」


「これから先、お前たちが私の依頼を身勝手にも諦めるようなことがあれば、それはお前たちの死を意味する。私の能力チカラはそういった不履行を決して見逃さない。心して依頼に望むといい」




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「そうだ、そうに違いない!俺がやった行為は奴の言う最悪な行為だ!だから真っ先に狙われたんだ!」

「なるほど。とても有意義な情報ね、礼は言わないけど」


 これでブロードから聞ける情報は全て引き出したかな。

 あたしは立ち上がり、地下への入口を見つめる。


「お、おい!俺はどうなるんだ!?こ、こんなにベラベラと奴の情報を漏洩させちまったら……」

「今更、何を心配しているのよ?どっちにしても命を狙われてることに代わりはないんでしょ?」

「そ、それはそうだけど……!」

「とにかく、あなたにも一緒に来てもらうからね。チョキはまだ地下にいる?」

「あ、あぁ……デウムが眠らせて、お前を倒した後で運ぶ予定だった」

「よし、まずはチョキの安全を確保しましょう」

「そ、そんな悠長なことしてていいのか!?あの男が近くにいて俺たちを狙ってるんだぞ!?」

「いいえ、そうとは限らない」

「え……!?」


 ブロードと共に再び地下室へ降りながら、あたしは敵の能力を予想していた。


「確かにあなたは攻撃されたけど、その一方であたしは全く狙われていない。その男のお目当てである眼球を持っているにも関わらずね。それって変だと思わない?」

「……!確かに変だ!俺たちBFDが諦めたなら、もう俺たちに頼る必要はない!俺を溺れさせたように、自分自身で何とかすればいいじゃあないか!なのにどうしてお前を狙わないんだ!?」


 チョキだけを奴隷にしたがっている奴だ。あたしを殺すことに抵抗なんてあるはずもない。

 ということは……!

 あたしを狙わなかったんじゃなくてとしたら?


「条件があるのよ。その男の意思で攻撃するのではなく、条件を満たした標的を自動で攻撃する。だからブロードにだけ攻撃が行われた」

「そ、そんなことが起こり得るのか!?どういう魔法だ!?聞いたこともないぞ!」

「魔法じゃなくてプレーン能力よ。正直な話、あたしも詳しいわけではないけれど、そういう能力があっても不思議じゃない」


 『私しの能力チカラはそういった不履行を決して見逃さない』……ブロードの教えてくれた依頼人の発言だ。その不履行とやらが発動条件なのだろう。

 これから先、その敵がどうやってあたしを狙ってくるかは分からないが、あたしに近づく必要があるのは確かだ。面識のないあたしは攻撃できないはずだ。

 そういう近づいてくるであろう敵を探知するためにブロードを連れていく。チョキの安全を確保しつつ敵に備える。これが今後の方針だ。


「さぁ、行きましょう。一人っきりになりたくなかったらさっさと着いてきて」


 キョロキョロと周囲を見渡し続けるブロードと共に、あたしはチョキがいるであろう右の部屋へと向かった。

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