第22話 アジトへ切り込め

 パラパラという小気味いい音に抱かれながらあたしは目を覚ます。

 豪華な家具と清潔なベッドで整えられた客室を横断して窓の外に目をやると、館を包む山吹色の花畑が小雨に叩かれている光景が映った。


「おはよう、スティープル!」

「おはよう」


 チョキの挨拶は前日よりも威勢のよいものだった。

 既に揃っていた朝食の席に着くと、すぐにマルルがやってくる。


「おはようございます、スティープル様。昨晩はよく眠れましたか?」

「えぇ、とても良く」

「それは何よりでございます!お飲み物はいかがいたしましょう?」

「そうね……」


 チョキの目の前に置かれたカップにはコーヒーが注がれていた。


「ホットミルクを貰えるかしら?コーヒーは苦手で……じゃなくって!」

「かしこまりました」

「あはは、気にしなくて大丈夫だよ。僕だって苦味を消して飲んでるんだからさー」

「気にしてないよ!あたしの味覚はまだまだ衰えていないからね!」


 運ばれてきたホットミルクに口をつけ、パンケーキを掻っ捌く。

 そこに食堂の扉を開けてレサルタが現れた。


「図々しさはあるようだな」

「どういうことよ?」

「悪い意味じゃない。私の話を聞いても臆病風に吹かれていない、良い風潮だ」

「あはは、確かに普通の人だったらベッドの中で震えているかもしれないよねー」

「全くだわ。あたしたちの場合は普通とは遠いってことね」

「ふん、どうやらお前たちは危機感とは無縁の存在らしいな」

「それはチョキだけよ」


 正直に言えば肌を伝う不気味さがまだ残っている。

 でもこの館で一晩を過ごして……シャワーを浴びてベッドで眠って、やはりやる気の方が上回ったのだ。

 この報酬は逃せない、絶対に依頼を達成してみせると!




「じゃ行こうか」


 チョキと共にあたしは館の外へ踏み出す。早朝の小雨は止みかけていた。頬にしっとりと湿気を感じる程度だ。

 馬車の運転席に荷物を置く。

 館に預けることは許してもらえなかった。『遺物の面倒まで見るつもりはない』とレサルタに言われたためだ。

 以前、あたしたちのように館に泊まった人の中には、大荷物やペットを遺して死亡した人もいるらしい。それ依頼、レサルタは断固として荷物の預かりを認めないのだそうだ。

 あたしたちが手ぶらでうろつくには館の所有者になる必要があるということか。


「お馬さん、君の主人だったシュージーが奴隷を運んでいた場所に連れていって」

「ヒヒン!」


 チョキの指示に、馬は素直な返事を上げて歩き出す。

 館を遠ざかって大通りへ。小雨ながらも早くも人で賑わっている。

 だが進み続けるにつれて次第に人の姿が減っていく。寂れた家が目立つ町並みはとても静かで、活気というものが感じられない。

 馬車の通れる脇道に入り、右へ左へと何度も曲がる。

 道端に倒れ込む人を見かけてぎょっとしたが、彼らは馬車の音に反応して起き上がると再び寝転がったので、あたしも放っておくことにする。


「ブルルッ!」


 やがて見えてきたのが見すぼらしい倉庫のような建物だった。

 倉庫の横に置かれた馬小屋の中へと馬が進む。そこにはもう一匹の馬がいたが、あたしたちには目もくれずにリラックスしていた。


「この馬とは顔なじみなのかしら?」

「確かに、警戒しないってことはそうなのかもねー」


 馬車を降りて小屋の扉を閉める。

 できることなら馬を見張る役が欲しいのだが、今の状況では仕方ない。

 ……と、その時だ。チョキのポケットからぽろりと何かがこぼれ落ち、地面に落ちて軽い音を立てる。邪眼人狼ブラックベリー・ウルフの眼球だった。

 ウェバリーにあたしたちへの依頼を認めさせた一品……とはいえ受託料は後払いだっけ。眼球こいつが代わりになってくれたら良かったのに。


「こんにちはー」

「え?ちょ、ちょっと!?」

「あれ?誰もいないのかな?おじゃましまーす」

「ちょっと待って!少しは警戒しなさいよ!」


 お客さんのように倉庫へ入っていくチョキに、あたしは慌てて眼球をポケットに突っ込み、彼の背中を追いかけるはめになった。

 騙し討ち……ってわけじゃないよな。全くのんきな!

 とはいえ、幸いなことに中には誰もいなかった。

 倉庫はガランとしていた。部屋の隅には何かの包みが山となって積んであるが、それでもだいぶスペースが余っている。

 ただ、いくら空きがあるとはいえ物資の保管には向いてなさそうだ。

 というのも倉庫の床には所々にバケツが置いてあり、天井から滴る雫を定期的に受け止めているのだ。


「何だか空っぽでつまらないねー」

「面白さを求めてるの?まぁ、少なくとも倉庫の役割を果たしていないのは確かね」

「そこに積んであるのは何?」

「どうせ碌でもない物でしょ?怪しい薬とか……って違うか、ただの石鹸よ」


 そりゃそうか、碌でもない物なら見張りのいる場所に置いておくだろうな。

 積まれていたのは何の変哲もない安物の石鹸だった。泡立たせるのも工夫がいる上に、人肌に触れるとピリピリと染みるような質の低い品物だ。

 ここが倉庫であったことの名残か、それともかつては意味を成していたかもしれないカモフラージュの名残か。


「はぁ、嫌な気分ね。雨漏りのせいで溶けて流れ出してるのもあるし。あたしね、こういうの嫌なのよ。石鹸を水際に放置して台無しにするのって気持ち悪くて……」


 石鹸を手にとって言う。雫の届かない位置まで一部を動かして……これでよし。


「スティープル。こっちこっち」

「どうしたの?……あ、それって」


 チョキが見つけたのは床に置かれた摘みだった。

 ヴェラム王国のアジトと一緒で奴らは地下に潜伏している。その入口が見つかったというわけだ。


「よいしょ!」


 不快な軋み音を鳴らしながら地下への入口が開いていく。




 地下室はひんやりとした空気に包まれていた。壁にかかったランプが部屋中を照らしており、思ったよりも明るく、そして乾燥していた。

 ハシゴ伝いに中へと降りる。広い一室の向こうには、隣の部屋に繋がる二つの扉があった。


「妙ね、どうして誰もいないのかしら」


 部屋の中は荒れ果ててはいたが生活の跡があった。最近までここに誰かがいたと考えるのが自然だ。


「まさか逃げたとか?シュージーと連絡が取れなくなっているわけだし……」

「うーん、だとしても馬が残されているのは変だと想うよ」

「それはそうだけど……でもこの雰囲気の方も変よ」


 あまりに静かすぎる。

 気配を殺して獲物を待ち受けているのではないかと、不安な気持ちが芽生えてくる。


「とにかくこの部屋には誰も隠れてはいない。いるとしたら、あの扉の向こうね」


 奥の壁の両側にある二つの扉。

 おそらく片方は奴隷がいるべき部屋だろう。もう片方は倉庫か、あるいはトイレのような生活基盤の部屋か。

 見た目は同じで中の様子を窺い知ることはできない。

 ……仕方ない、覚悟を決めよう。

 向かって左の扉に手をかけて奥へ押し込む。地下室入口の扉とは違い、静かな音を立ててゆっくりと開いていき、部屋の右側にある壁にぶつかって止まった。


「っ……!?」


 中から聞こえてきたのは息を飲む音だった。

 扉を開けると左手側に五メートルほどの奥行きが広がっている。その空間を二分するように鉄格子が設置され、鍵穴付きの小さい扉が付いている。部屋の壁にかかっている鍵がその扉の物だろう。

 ここは奴隷用の部屋か。そして檻の中にいるのは……。


「あっ……ひ……!」

「しっ!落ち着いて。あたしたちは敵じゃないわ」


 見すぼらしい布を頭から被った女性が一人で膝を抱えて震えていた。体格はあたしやチョキよりもずっと大人ではあるが、そういう奴隷もいるのだろう。奴隷商が子供専門だとは限らないからな。

 この部屋には奴隷用の檻があるだけで隠れられる場所はどこにもない。敵がいるとしたらもう片方の部屋か?


「ねぇ、ちょっといい?あなたをこんな所に閉じ込めた奴らはどこにいるの?」

「あ、あ……あ」

「大丈夫。あたしたちは味方よ。あなたを助けにきたの」

「ほ、本当……に?」

「えぇ、奴隷商たちをとっちめて攫われた人を助けるためにここまで来たのよ」

「……横」


 女性が絞り出すように言う。


「横の……もう一つの部屋。逃げ込んでいった」

「ありがとう、やっぱりそっちの方ね」


 部屋の入口に目を向ける。開け放った扉の向こう側でチョキが頷き、もう片方の部屋へと歩いていく姿が見えた。


「チョキ、あたしも一緒に……」

「ま、待って!その前にっ!」

「その前に私を助けて、って?」

「え……」


 女性の目が見開かれる。

 そりゃそうか、なんたってあたしがナイフを抜いて女性の方へと構えたのだから。


「な、何をしているの……!?」

「大したことじゃないわ。ちょっと試してみてほしいことがあるのよ」

「え……!?」

「扉を開けてみてくれる?檻についているその扉よ」

「何を言っているの!?鍵が閉まってるのよ、開くわけないじゃない!」

「本当にそうかしら?」


 静かに息を吐きながらあたしは言う。


「開くわけがない。当然そうよね、中に奴隷がいて助けを求めているんだもの。でもね、違うがある。それを確かめるために開けてみてほしいの」

「…………」

「奴隷商の姿が一人も見えないのに奴隷だけがいるっていうこともある。ずっと閉め切りであろう部屋に監禁されながら奴隷商の場所を聞かれて答えられることもある。可能性はゼロじゃない、その扉が開かなかったらの話だけどね」

「『鎌風ウィンシック』!」


 鉄格子の隙間から向かってきたのは三日月状の刃。

 あたしの横を通り過ぎ、背後の壁に鋭利な刀傷がザックリと刻まれた。

 まさかとは思ったが……やはりか。


「気をつけてチョキッ!敵がいるっ!」

「敵だなんて……助けにきたって言ったくせに……!」


 そう言って女性が布を取り払う。

 顕になったその顔をあたしは知っていた。


「あんた昨日ギルドにいた……!」

「助けにきたのよね、私のこと?言ったからには助けてもらうわよ、私のためにその身を投げ売って!全力で助けてもらうからねェェェーッ!」


 チームBFDの紅一点、名前は確かファイン……!


「聞いてチョキッ!敵はおそらく三人よ!昨日、あたしたちがギルドで会ったあの三人組っ!」


 …………。


「チョキ……!?」


 彼の返事はなかった。

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