第21話 水面下の事実

 バンケシーが帰宅し、あたしたちはチョキと二人で食卓につくことになった。

 綺羅びやかな部屋の中央で暖かな料理を囲む……昨日の時点では想像もできなかったな。


「美味しそうだねー!」

「喜んでいただけて何よりです! 私、腕を振るえるのが嬉しくて張り切っちゃいました!」


 メイドの女性が笑顔で言う。

 ビーフシチュー、トマトとベビーリーフのサラダ、サーモンの塩漬け、クリームチーズのペンネ、などなど。あたしの知識では説明するのも難しい料理が並んでいる。


「これなーに?」

「ガーリックノットと言います! 細いパン生地を編み込むように形作り、ガーリックバターを染み込ませて焼いたパンで、パーチメント王国で流行の兆しを見せているんですよ!」

「へぇー! うん、美味しいよ! ね、スティープル?」

「えぇ、味わったことのない美味しさだわ」

「ありがとうございます!」


 チョキには後手を踏んだがあたしも彼と同じ気持ちだ。この国の提供する素材の質に、メイドの料理の腕前、さらにあたしたちのために作られたという事実が組み合わさって、料理の美味しさは何倍にも跳ね上がる。


「でも、もったいないなー。お姉さんも一緒に食べればいいのに」

「と、とんでもございません! メイドが客人と同卓するなど!」

「えー? 僕たちはそんなこと気にしないよ?」

「あたしも同じよ。というか饗されるのに慣れてなくて落ち着かないの」

「……申し訳ありませんが、それでもお断りいたします。私はメイドですから。これはメイドとしての誇りなのです!」

「まぁ、あなたがそっちの方が良いって言うなら……」


 フォークに突き刺したトマトでバジルソースをなぞりながら、ふとあたしは忘れていたことを思い出す。


「そういえば、あたしたちの名前はギルドから連絡されているのよね?」

「はい、女性の方がスティープル様。男性の方がチョキ様……で宜しいのですよね?」

「えぇ、たまにシザースを名乗るけど。それであなたは? あたしたち、まだ名前を聞いてないわ」

「っ……! 仰る通りです、失礼いたしました。私はマルカ・ドールと申します。気楽にマルルとお呼びください」

「分かったー! マルルさん、よろしくねー!」

「いえ、マルルでお願いいたします!」

「それもメイドとしての誇りかしら。チョキ、彼女はマルルと呼びしましょう」

「はーい!」


 マルカ・ドールことマルルは炊事や掃除、洗濯といった家事全般を担当しているとのことだ。

 広い家ではあるが住人は病状のナギナタ老しかおらず、執事と二人で住み込みで働いたとしても手が足りるらしい。


「執事の人は兄妹なの? あなたとは性が同じだけど」

「はい、レサルタ・ドールと言います。肩書きは執事ですがご主人の担当医であり、弁護士でもあります」

「医者と弁護士を? 器用なのね」

「お二人への所有権の譲渡や財産の分配につきましては、兄の方からしっかりとした手続きを通して行われるのでご安心くださいね」

「それは助かるなー! 僕には法律なんて分かんないからさ」

「あたしもよ。知らないうちに法に触れるような事態はごめんだもの」


 ……と、話が弾んでいる中で食堂の扉が開く。相変わらずレサルタが厳しい表情であたしたちを睨みつけていた。


「まったく……早くも報酬の話か。取らぬ狸の皮算用という言葉があるが、まさに今が使い時だな」

「に、兄さん! お客様にそんな失礼な言い方は……!」

「別に平気よマルル、あたしはそれくらいで腹を立てたりなんかしないもの」

「スティープルはもっと酷いこと言われ続けてきたもんね?」

「えぇ、口無しのガキだのなんだの……ってチョキ!」

「あはは、ごめんねー!」


 まったくこいつは余計なことを……!

 ちなみにマルルやレサルタには、あたしが質問に正直に答える性格であることは伝えてある。

 彼らも職業柄か客人のプライバシーに踏み込むマネはしないとのことだ。そのおかげで、あたしも気を配らずに『ファングド・ファスナー』を具現化できている。喉元は隠すようにしているが。


「それでレサルタ、ご主人を放っておいてまで何の用? 何か言いたいことがあって来たんじゃないの?」

「ご主人は先程、眠った所だ。容態は安定している。マルカ、水を貰えるか?」

「えぇ、兄さん」

「別にお酒でもあたしたちは気にしないけど」

「水だ!」


 レサルタはグラスに口をつけると、立ったままあたしたちの方を向いて言う。


「お前たちに依頼の詳細を代弁したバンケシーだが、あいつは自分都合な男だ。友人の無念を晴らそうと躍起になって……多少は世間の同情を引くだろう。だができた人間とは呼べないな、お前たちのことなど何も考えていないのだから」

「何の話?」

ということだ。お前たちが依頼を断るような事態を避けるべく、余計なことを喋らないように振る舞っていた」

「え……!?」


 それはつまり隠し事をしていたということ……?


「えっと、それで執事さんが僕たちに喋るっていうのは大丈夫なの? 僕たちが依頼を断っちゃったらご主人さまの意に反するんじゃ?」

「その情報を知らなかったせいで依頼が失敗するよりはマシだ。もちろんお前たちには依頼を断る権利がある。私としては断らない方をオススメするがな」

「断ったら何かしようっていう気じゃないでしょうね?」

「そんな陳腐な脅迫などしたりはしない。よく聞け、ただ起きた事実を教えてやるだけだ」

「…………」


 食事の手が止まる。チョキも同じだった。

 いつのまにかマルルは静かに後ろに下がり、グラスを持ったレサルタだけがその場に立っていた。


「この依頼に挑戦した者は何人もいた。そしてそれら全てが失敗となり、手数料の上昇を引き起こした。ここまでは以前に言ったな?」

「えぇ」

「だが失敗と言っても、受託者の自己申告ギブアップだけで受託料は上昇しない。受託者に役立たずの烙印が押されるだけで、依頼自体は変わりなくギルドの壁紙へ戻るものだ。ではこの依頼において繰り返されてきた失敗とは何か?」

「何かって言われても……」

「一つしか無いと思うよ、スティープル。申告が無いにも関わらず依頼が失敗したと分かるってことは……」

「……!」


 レサルタはゆっくりと頷き、答えを告げる。


「そう、受託者の死だ」

「死……!」

「ある冒険者がいた。ギルドから強い信頼を寄せられていた優秀な男だ。人当たりも良くて私は気に入っていた。バンケシーも同じ気持ちだったようだ。『君ならできる。囚われの奴隷たちを全員、助けてやってくれ』……そう気兼ねなく頼めるほどに確かな腕前を持っていた」

「…………」

「だが、その男を待ち受けていたのは怪死だった。驚いたよ……彼が失敗したということだけではない、その死因も含めてな」


 レサルタは右手のグラスを持ち上げ、ゆっくりと揺らし始める。まるでそこに遺体があるかのように、波打つ表面を見つめながら言う。


「依頼を受けた翌日、そいつはゴミ置き場で息絶えていた。地面を転げ回ったように衣服は汚れていたが、外傷を含めた戦闘の痕跡は何も無かった。そんな彼の死因は、王国の調査によれば溺死だったという」

「溺死……つまり溺れて死んだ……」

「彼の死についてはギルドの方でも調査が行われた。ギルドにとって彼の死は大きな損失だったからな。そして明らかにされたのだが……彼だけではなかったのだ。この依頼を受けた者のおよそ六割近くが溺死していた」

「なんですって!?」


 溺れて亡くなる人はそう多くはない。

 当たり前だ、溺れるような水場がそういくつもあるわけではないし、無理やり溺れさせるにしても相手は抵抗するのだから。


「ある者は路地裏で、またある者は宿の自室で。水源などありそうもない場所で溺死する事例が多く確認されている。中にはこの館のすぐ近くで死亡した者もいる。私の話を聞いて依頼を断ろうとした男だった」

「……それがあなたの言っていた依頼を断るっていうリスクね」

「その通りだ」


 しかし、そうなるとまた疑問が生まれる。

 依頼を受けた人が死ぬというなら動機は考えやすい、口封じだ。だがそれなら依頼を断った人までどうして狙う必要がある?

 無差別なのか? 敵意という意味では間違ってなさそうだが……。


「それにしても不親切だね。ウェバリーのお姉さんってばそんなこと一言も言ってくれなかったよー」

「奴らは頭の固い連中だ。六割程度の数値では因果関係を認めないだろう。偶然かも分からない不確かな情報で受託者を混乱させる必要は無いということだ」

「まぁ、そうよね。あいつらにとってあたしたちは使い捨ての駒だもの」


 他の職員は知らないが、客にペンを突き刺す女が窓口担当という時点でなぁ……。


「話は終わりだ、邪魔をしたな」


 水を飲み干したグラスをマルルに渡し、レサルタはあたしたちに背を向ける。


「最後の晩餐を楽しむといい、マルカの料理は天下一品だ」

「はぁ……楽しめるかしら? あなたのせいでまったくもう……」




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「この世で最も希少な物を知ってるかね?」


 薄暗い部屋の中で男はそう言った。黒マントで飾られた体に、白鳥を模した仮面で覆われた顔。右手に転がしている三つの球体は邪眼人狼ブラックベリー・ウルフの眼球だった。

 彼の問いかけを受けた三人組……ブロード、ファイン、デウム、いずれも彼の正体は知らない。ただ彼が依頼人であることは分かっている。


「肉体だよ。この世に同じ肉体を持つ生物は存在しない。私と君は共通して人間ヒトという生物だが見た目は違う。髪の毛の一本一本、細胞の一つ一つを比べれば異なる肉体だと分かる。若造共が食いつきそうな言い方をすればオンリーワンというものだ」


 仮面の男がチラリと横に目を向ける。その先には全裸の少年が一人、這いつくばっていた。


「それが私の目的だ。女性が花束に惹かれるように私は肉体に惹かれている。この眼球も……表向きは狼の討伐ということにしているがね」


 眼球を一つ少年の方へ放り投げる。少年は犬の鳴き真似をしながら眼球へと駆け寄り、口に咥え始めた。


「しかし、生物というものは肉体に心を宿らせる。嘘や裏切りに満ちた醜く不完全な概念は、それだけで肉体の価値を乏してしまうものだ。そうは思わんか?」

「…………」

「わん! わん!」

「おお、よしよし。この人間いぬのように清らかな心であれば問題は無いのだがね」

「……ゴボッ!」


 ブロードが口元から音を鳴らした。空気が泡となって水中に放出される音だった。

 

「君たちは私の期待を裏切ったな?」

「ゴボボッ!! ゴボッ!」

「ひっ!」

「ブ、ブロード……!」

「ならば肉体に価値を取り戻してやろう」

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