第17話 隣国
瞼を照らす眩しさに目を開ける。
見えたのは朝日だった。いつのまにかあたしは眠っていたらしい。
「おはよう、スティープル」
「……ん。ごめんなさい、あたし……」
「睡眠のことなら大丈夫だよ、僕も寝てたから」
「え……? じゃあ馬は?」
「ちゃんと走ってるよ、僕が見ていなくてもまっすぐ……ずっとねー」
チョキはあっけらかんとした表情で言う。
馬に一任して大丈夫なのか……とは思ったけど大丈夫な仕組みになっているのだろう。最初からチョキの馬術と関係なく走っていたのだ。チョキが途中で眠っていたとしても、変わらずに走り続けていたに違いない。
「あ、ごめん。ちょっと止まってー」
「ブルルルッ!」
チョキのお願い……もとい命令に、素直に馬が従う。
馬車の停止と同時にチョキはさっと飛び降り、貨物席の方へと向かった。
「どうかしたの?」
「もうそろそろパーチメント王国に着く頃だからさー」
「……?」
ガチャガチャと金属音が聞こえてきた。
何をやっているのだろう、とあたしも馬車を降りる。
「あぁ、貨物席を外そうってこと?」
「うん。ちょっと人目に着くからねー」
確かに、こんな真っ黒な貨物席を引く馬車なんて怪しすぎるものな。
あたしもできることなら外した方が良いとは思う。しかし……!
「うーん……外れない」
「まぁ、簡単に外れたらそれはそれで困るし。何か専用の道具が必要なのかもね」
「初見の素人じゃ無理か。仕方ないなー」
チョキが連結部から一歩、後ずさる。
諦めたか、そう思って運転席に戻ろうとした時だった。
ビシュッ!
「チョキ!?」
空気を切る音。いつのまにかチョキが剣を手に、貨物席へと切りかかっている。
「外れろ」
違う、シザースだ。その瞳は朝日の中で改めて見てもやはり赤い。
彼の命令と共に連結部がバチンと大きな音を立て、貨物席が分離する。
「そのままお家に帰れ」
「っ!?」
分離した貨物席が……坂道を登って後進していく。
「これで大丈夫だよー」
「シザース……いや、チョキか」
もう彼はチョキに戻っていた。
仕事が早いというか、最低限のことしかやらないというか。あるいは、他に楽しみが無いから引っ込んだのかもしれない。
昨日の彼は、死にかけの狼を痛めつけるというお楽しみがあったからこそ長居したような気がする。
「怪我人は早いうちに殺すか隠すかしないと問題になるってことか」
「スティープル、怖いこと言ってるよー」
「もう一人のあなたのせいよ……」
一つ息をついた後、あたしたちは軽い伸びをして、運転席だけになった馬車を再び走らせた。
ほどなくして、あたしたちの前に真っ白な石灰作りの門と検問所が見えてきた。
「あたしにとっては初めての外国ね。あれが隣国の……」
「そう、パーチメント王国の入口」
緑色に生い茂る山と、真っ青に広がる海を繋ぐ純白の都市。
既に人々の賑わいが聞こえてくる、ここがパーチメント王国か。
「おい、そこの馬車! ここで止まりな」
検問所の中から二人の兵士が眠たげな顔を覗かせる。
当たり前だが彼らの服装はヴェラム王国の物とは違うな。すごく新鮮な感じだ。
「チョキ、後はお願いね」
「うん、任せて」
それだけ告げてあたしは失声の少女に戻る。
「なんだ? 子供が二人だけで朝っぱらから……何の用だ?」
「他に人は? 保護者はいないのか?」
案の定、兵士たちは次々と質問をぶつけてきた。
あたしには本当のことしか答えられない。チョキだけが頼りだ。
「色々あってさ、親とは逸れちゃったんだよねー。行く宛も無いから、ひとまずこの国に入りたいんだけど駄目かな?」
「色々? 馬連れで迷子や誘拐じゃああるまいし、まさか駆け落ちなんてことは……」
「あ、バレたー? やっぱりスティープルの可愛さは万国共通なんだねー! いてっ!」
「…………」
無言でチョキの尻を抓る。
あたしが言い返せないからってからかわないでくれる?
「そういうわけだから中に入れてくれない?」
「……まぁ、いいだろう。身分を証明する物は無いようだが、こんな子供二人に我が国の平和が脅かされることもあるまい」
「ありがとう、それとついでに聞きたいんだけどー」
「身寄りの無い子供の行き場所なら、ここから真っ直ぐ向かった先の教会だ。それ以外に何かあるのか?」
「うん。ギルドの場所を知りたいんだ。依頼したい仕事があるんだよ。馬を停留させる場所があればそこもお願い」
ギルド……仕事の委託と受託を仲介する組織か。依頼したいというのは嘘で、実際は依頼を受けるのが目的だな。
それにしても……兵士と会話するチョキを見て思う。
以前、あたしはチョキの態度を危機感がないと表したが、それと同時に悪意の無い純粋な笑顔が詰まっている。
だからこそ兵士たちも親切に対応してくれている。ギルドの場所や馬車の停留所について事細かに教えてくれるのも、相手がチョキだからだろう。
「いい人たちだったねー」
「そうね」
門から離れた所で、あたしは声を出す。
「あたし一人だったらここで露頭に迷ってた。チョキのおかげよ」
「買いかぶりすぎだよ。僕たちが子供だからたまたま上手くいっただけだってー」
「それはどうだろうね」
チョキではなくシザースの方だったらこんな簡単には……なんて事例が極端すぎて良くないか。
「それで、これからどうするの? あなたが場所を聞いたギルドに行くの?」
「うん。持ち合わせも少しはあるけど、これくらいの額はすぐに無くなっちゃうからね。お金を稼ぐ手段は見つけておかないと」
運転席に置かれた革袋に目をやりながらチョキが言う。言うまでもなくシュージーのお金なのだが、この状況で持ち主に返そうなんて言えるほどあたしたちは聖人ではない。その持ち主もいなくなったしな。
「ギルドか……あたしたちみたいな子供で仕事が受けられるのかな……」
「それなら心配いらないよ。パーチメント王国は実力主義だからねー」
チョキが語り始める。
パーチメント王国は山と海に挟まれた豊かな土地であり、様々な職業の人々が働いている。この国で"りょうし"とだけ言っても漁師と猟師が共存しているために伝わらないほどだ。
もちろん狩りをする人だけではない。鍛冶や染物といった職人たちや家事代行、弁護士、画家など、豊かな土地に惹かれた人々が各国から集まって今なお発展を続けている。
「この国には自分と違う人が溢れてるんだよ。自分にできないことを専門とする人ばかり。それがいつしか実力主義の文化を作り上げたんだ。自分の専門分野外だと、見た目で実力を測れないでしょ?」
「ふーん、詳しいのね」
「うん。だって旅人だもん。行き先の国に何があるかくらいは調べているんだ」
「……そういえば、あたし……あなたのこと何も知らないのね」
「言ってないし、聞かれてもいないからねー」
屈託のない笑顔でチョキが応える。
どこかから仕事を求めてヴェラム王国に来て、駄目だったから次の国に行こうとして今に至る。そんな所だろうか。
「……まぁ、あなたもきっと大変なんでしょうね」
「スティープルほどじゃないと思うけどねー」
「聞いてもいないくせによく言う。でも、ありがとう。聞けばいつでも答えるのに、聞かないでくれて」
「僕の方は聞かれればいつでも答えるからねー」
「そのうちね」
そう言って、あたしたちはしばらく無言で馬車に揺られ続けた。
……とはいえ沈黙は五分も持たなかった。
「ねぇ、スティープル。僕お腹すいちゃったよ。ギルドに行く前に何か食べない?」
「うん、あたしも今、思い出した。昨日から何も食べてないんだった。チョキが決めていいよ、この国のオススメとか詳しそうだし」
「イジワルだなー、旅行じゃないんだからさー」
左を向けば山の幸を閉じ込めて焼き上げたフルーツタルト。右を向けば海の幸を織り交ぜたパスタ。
もちろんそれだけではない。選択肢は無限と言ってもいいくらいだ。気づけば、あたしたちの周囲はありとあらゆる香りで埋め尽くされていた。
「じゃあねぇ……君のオススメを聞こうか」
チョキの言葉にあたしたちを運んでいた馬がヒンと高く鳴いた。
「……なるほど、見る目がある馬ね」
そうしてあたしたちはしばらくの間、朝食に勤しむことになった。
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