第16話 二人

「おかしいなー」


 無言で立ち尽くすあたしを見つめながら彼は言った。


「質問したら答えてくれるって、そう思っていたんだけど。君は自分の名前を言ってくれやしない」

「あなたは何者なの……?」

「そっか、頭の中がごちゃごちゃになって何を喋ればいいのか分からないんだね」


 その少年はニコニコと笑ったかと思えばチラリと人狼を一瞥し、そしてハッとしたように再びこちらを向く。


「あっ!そうだよ、スティープルだ!さっきこいつが言ってた!君の名前はスティープル!そうでしょ!?」

「え……うん」

「あ、答えた!良かったー!それで、えっと何だっけ?僕が何者かって話?」

「そ、そうよ……あなたはチョキなの?」

「僕はシザース」

「シザース……!?」

「あっ!違うよ、僕が何者かじゃない!思い出した!」


 シザースと名乗った少年はあたしに背を向けた。


「こいつが代わりになるっていう話だよ!シュージーの代わりにねー!」

「ガ、ガァ……!?」


 そう言って人狼へ向かって歩いていく彼の背中は、とてもウキウキしているように見えた。二本の剣をぶんぶんと振り回しながら、これからお祭りに行く子供のように喜んでいる。

 お目当ての人狼は崖際で両手を地面に食い込ませ、ブルブルと体を震わせながら落下に抗っている。

 あたしにもようやく彼がやろうとしていることが分かり始めてきた。


「ま、待てェ……待ってくれェ……!死にたくないんだァ、助けてくれェ……!」

「そっか、死にたくないんだー。僕も一緒だよ。おそろいだねー」

「ねぇ、チョキ……じゃなくてシザース!」

「なーに?」

「もしかして代わりっていうのは……こと?シュージーの代わりにそいつを殺してやるっていうの?」

「ひ、ひィィィーッ!」

「そりゃあ、あたしだって苛ついてはいるけどさ。あれだけあたしのこと殺そうとしてきたくせに命乞いなんかして……あたしが同じこと言ったら応じてくれるのかって問い詰めたい気分よ。でも……なんていうか無意味って感じがするの」

「無意味……?」

「うん。魔物を殺しても罪に問われないことくらい知ってるけど、ズタボロの体で負けを認めてる奴をさらに痛めつけて命まで奪うっていうのは……なんだか罪悪感を無駄に背負い込むような気がして……」

「それなら心配いらないよー」


 シザースが胸を張って言う。


「僕はね、生まれてこの方、“殺し”というものをしたことが無いんだ。蚊を叩き潰そうとすればいつも逃げられるし、蟻を踏み潰そうとしても靴底の隙間で避けられる。きっとそういう運命なんだよー!」


 そして右手の剣を振り上ると……!


「だから大丈夫。死にはしないよー」


 ザクリと音を立てて狼の指を切り落とした。


「アアアアアガガガァァァァァーッ!」

いくよ。どこまで耐えられるかなー?」

「ちょ、ちょっと!何をやっているの!?」

「スティープル、一桁で好きな数字は?」

「六……じゃなくって!」


 シザースから見て右から六番目、狼の右親指が切り落とされる。


「何をやっているのよ!?あたしの話を聞いてた!?」

「僕の特技は誰かを傷つけることなんだ。罪悪感のことなら心配ないよ。僕の心は傷つかないから」

「……!!」


 シザースの笑みには敵意も悪意も無い。純粋な喜びがあるだけだった。

 イカれてるぞ、こいつ……!


「ウ……ウウゥゥゥッ!ウウウウガァァァァァァ…………」

「あっ!」


 狼が残っていた指を地面から離す。数える間も無く、その姿は月明かりも届かない漆黒の谷底へと消えていった。

 もう耐えられない、そんな思いがひしひしと伝わってくるようだった。


「あーあ……まだ八本も残ってたのにー」

「自分から死を選んだのね。こんな目に合ったら当然かもしれないけど」

「死なないよ。死ぬとしてもトドメは他の人が刺す」

「本気で言ってるの?」

「そういう運命なんだって。信じてないの?」

「信じられるわけないでしょ!?」


 あんな残忍な……それとも無邪気と言うべき?

 ともかく、あんな性格をしている奴が人殺しを未経験だなんて思えない!


「仕方ないなー。スティープルのために見せてあげようかなー」

「な、なによ……!?」


 シザースが剣を構えて……次はあたし!?


「『デュアル・ブレード』」

「っ!?」


 違う。彼が走っていったのは、あたしではなく馬の方だった。


「待って!何を──」


 あたしの静止は無視された。

 シザースの奮った刃はあまりにも呆気なく……馬の首を刎ね飛ばす!




「ブルルッ!」

「え!?」


 分断された首が胴体の元へと戻っていく……噴出した血も。

 馬は何事もなかったかのように首を振るわせて嘶いている。


「ね?言った通り、殺せてないでしょ?」

「今のは……何をしたの?」


 あり得ないことが起きていた。

 気のせいじゃない。あたしは見たのだ。馬が首を飛ばして、その首がくっついた瞬間を。

 もしも、そのあり得ないことを説明できる言葉があるとすれば……!


「プレーン」

「…………」

「シザース、もしかしてあなたも……」

「僕の役目はもういいかな。せっかくの楽しみがもう無くなっちゃった」

「……!?」


 シザースの持っていた剣が二本とも消えていく。

 その瞳の赤色が水色に変わっていく。


「スティープル」

「…………」


 少年の声と口調は、やはり変わっていない。

 でもあたしはその質問をぶつけなければならなかった。


「あなたはチョキなの……?」

「そうだよー」


 少年は白い歯を見せて笑った。




 その後、あたしは運転席に座り、横で手綱を取るチョキの取り調べを開始した。本人に許可を取っているとはいえ、『ファングド・ファスナー』の口を付けて本音を聞き出すという、れっきとした取り調べである。

 どうしてチョキが馬を操れるのかについては後述するとして、あたしは聞き出した情報を改めて確認する。


「つまり、あなたは多重人格ってことね」

「二重だよ。多重じゃなくて二重」

「細かいことを気にするのね。チョキとシザースの二重人格……えっと、失礼な言い方かもしれないけど優劣はあるの?どっちが表でどっちが裏とか」

「うーん、どうなんだろうねー?考えたことないや」


 チョキは自分の口で答える。あたしの能力で付けた口は微動だにしない。彼の言葉が本音であるため、改めて本音を吐き出す必要が無いことを示している。


「普段は僕が主に行動しているから僕が表なのかな?記憶っていう意味では僕が裏かもしれないし……」

「記憶……?チョキは覚えてないの?」

「うん。シザースの方は覚えてるって話だけど、僕の方は全然なんだー」

「そう……まぁ、その方が良かったかもね。あなたの方は人を傷つけないのが特技なんだし」

「でも、これからやるべきことだけは頭の中に残ってるよ。今回は馬に命令して馬車を引かせることだねー」

「馬ねぇ……」


 もちろんチョキには手綱を取った経験など無い。だが彼が馬に向かって命令すると、馬はその言葉に素直に従ったのだ。


「命令……言うことを聞かせるのがあなたの能力なの?」

「違うよ、シザースの能力」


 『デュアル・ブレード』……斬り殺したものを蘇らせて言うことを聞かせられるのだと、チョキはそう言った。腕輪のような無生物は生死の概念が無いから斬っただけで良いらしい。

 ……殺しをしたことがない……か。確かに命を奪っているわけではないが。


「いやぁ、嬉しいな。プレーン能力、僕もシザースに関わることだから知ってはいたけど、実際に見たのはこれが初めてなんだよねー」


 左手の甲に付けられた口を見ながら、チョキが感慨深げに言う。

 ……それについてはあたしも同感だ。


「ところでスティープル、質問していい?」

「いいよ。あなたのこと見てたら、あたしが隠したがってきたことなんて些細なものに思えてきたもの」

「そっか。じゃ遠慮なく聞くけど、スティープルはこの後どうするの?パーチメント王国に着いた後」

「分からない」


 逃げるのが目的だったからな……その目的を達成した後のことなんて考えていなかった。


「じゃあさ、僕と一緒に行こうよ」

「……チョキと?」

「うん。そっちの方がお互いのためになると思うんだけど、どう?」

「確かにそうね……」


 チョキが見た目を理由に仕事を断られたのはあたし自身が目にしている。きっとあたしも同じだ。自分一人で行動した所ですぐに限界が来るだろう。

 それに、あたしには自分の代わりに喋ってくれる人がどうしても必要だ。その事情を理解してくれている人は彼以外には存在しない。


「でも気乗りしないなぁ、チョキはともかくトチ狂った暴走モンスターなんて。あたし一緒にやっていける自信ないんだけど」

「酷いよー、シザースのおかげで僕も戦力になれるんだよー?」

「あなただってシザースに頼らずに戦う手段が必要なんでしょうが」

「あはは、バレたかー」


 平凡な一般人と危険なプレーン。二人で一人の少年があたしの相棒か……。

 先行きの見えない未来にわずかな不安を感じつつも、あたしは馬車の揺れに身を任せて目を瞑った。

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