第15話 最低の使い方

 邪眼人狼ブラックベリー・ウルフを追って馬車の元へ戻る。そこであたしが目にしたのは二種類の血だった。

 あたしの攻撃を受けて傷ついた人狼、そしてその人狼の攻撃を受けたであろうシュージー。彼らの肉体が月明かりの下で赤く彩られている。


「何を……やっているの?」

「来たなァ、スティープルゥ……ゲホッ!やってくれたぜェ……はぁ……はぁ」

「ミ、ミス・スティープルッ!た、た、助け──」

「割り込んでんじゃあねェーッ!」

「あげげっ……がああああァーッ!」


 あたしには人狼がシュージーの胸ぐらを掴み上げたように見えたが、よく見ると爪が食い込んでいるのが分かった。

 シュージーが悲鳴と共に脚をバタつかせる。


「本当に何をやっているの?まさかそいつを人質にしようって言うんじゃないでしょうね?」

「このクソ人間に人質が務まるのならそれでもいいがなァ……どうなんだァ?」

「論外ね。どうしてあたしが自分の命を投げ売ってまで、そんな奴を助けないといけないのよ?」

「そ、そんなっ!さっきのことは謝ります!だから……ギャァッ!」

「割り込むなって言ってんだろうがクソ人間ンンン!」

「あがが……がっ!ま、待って……待ってくださっ……ああがァァァーッ!」


 傷口をグリグリと穿られる痛みに大泣きしながらも、シュージーは人狼へと言う。


「な、なんで私を……こんな目に……!悪いのは……あなたの敵は、あ、あの女の方なのに!」


 あたしに媚びるのは諦めたのか。もう少し頑張ってみたらいいのに……あたしの答えは変わらないけど。


「ああそうだなァ……俺様の狙いは変わっちゃあいねェ!俺様の仲間と誇りを傷つけたスティープル、お前だけだァ!」

「だ、だったら助けてくださいぃぃぃ!私を傷つけても何も得られない……あ、あなたの誇りが失われるだけですぅぅぅ!」

「人間ごときが俺様に講釈を垂れてんじゃあねェーッ!お前が垂らしていいのは血とクソとションベンだけだァァァーッ!」


 シュージーの頭部が何度も地面に叩きつけられる。

 馬車に繋がれた馬がちらちらと見ているが、不思議と怯えて逃げ出す素振りは見せなかった。


「こいつは自分の保身だけを考えている最低のカスだァ……運転手の死体を見つけたときも、同じ種族の仲間が殺されたってぇのに、こいつは自分が助かることしか考えちゃあいなかったァ!スティープルゥ、お前を見捨てたときもなァ!」

「ぇ……げふっ……っ……!」

「確かに戦いと無関係の奴を殺すってのはカッコ悪い行為だなァ……!だがこいつは別だァ!種族の誇りを欠片も持ち合わせてねぇカス野郎なんざブッ殺して利用するのに何の躊躇いもねェーッ!」

「利用……?」


 利用する?そう言ったのか?

 あたしを倒すこととシュージーをなぶり殺すことに何の因果関係がある?


「不思議そうな顔してるなァ……だがすぐに分かるぜェ!俺様の勝ちだってなァ!」


 ブン、と人狼がシュージーを……それこそゴミのように放り捨てた。

 シュージーは何やら口を動かしていたが、その声は誰の耳にも届くことなく崖下へと消えていく。


 グググ……!


「……!?」


 何だ……あたしの体が震えて……!?

 それに、見えない何かに腕を引っ張られているような……!


「っ!!『ファングド・ファスナー』ッ!!」


 近くの木に飛びかかり、右の手のひらに口を出して噛み付く!

 震えているのはあたしじゃない!あたしの左腕に装着された腕輪だ!


「そこの崖は高さ二十メートルで谷底には激流が流れているゥ……運が良けりゃあ助かるかもだがそんなことは些細な問題だよなァ」

「ぐ……マズいっ!」

「重要なのは、あのクソ人間の体が“離れて”いくってことだァ!谷底に落下しても終わりじゃあねェ、そこからさらに流れて“離れて”いくゥ!それがどういうことか分かっているよなァーッ!?」

「あたしの腕輪が……引っ張られてっ!奴隷はシュージーからっ!」


 逃げられなくなるだけだと思っていた……逃げようとしても体が動かなくなるのだとばかり!

 だが違う!無理やり主人の方向へと引っ張られるのだ、それも想像以上に強く!


「ん?待てよ?もう一人いたなァ、お前に腕輪の効果を話していたガキがァ……」

「っ……!チョキ……!」

「だがそいつは別にどうでもいい、無関係な奴だァ……!スティープルゥ、お前が死ねばそれで落とし前はつくんだからなァ!」


 チョキは……確か貨物席の中にいるはずだ。

 車両が動いている様子は無い。腕輪に引っ張られて壁に押し付けられているかもしれないが、無事ではいるだろう。

 シュージーが命を落とせば魔法の効果は無くなる。それまで辛抱すればいい……!

 ……しかし、バキバキと絶望的な音が鳴り響く。


「だ、駄目……木の幹が……もう限界!引っ張る力が強すぎるっ!」


 バキン!


 乾いた大きな音を立てて、幹の皮が剥がれ落ちた。

 右手が離れて自由になったあたしの肉体は崖の方へと、落ちるような速度で水平に滑っていく。


「終わりだァ!もうお前に掴む物は無いィ!」

「『ファングド・ファスナー』!この腕輪を!」


 腕輪に歯を立てる。何度も何度も何度も……!

 でも金属製の腕輪はビクともしない。

 あたしを嘲笑うように無慈悲に、紋様が黄色く光を放っていた。


「外れてっ!お願い外れてよっ!」

「あばよ!あのクソ人間と一緒に地獄の底まで落下していくんだなァァァーッ!」

「外れてっ!外れろっ!チクショウ、外れろォォォォォーッ!」




「外れろ」


 ガシャン!




 ……え?

 何が起きた?

 分からない。分からないが……目の前で起きたことだけを説明すると……。


「腕輪が外れた……」

「馬鹿なっ!なぜだァッ!?」


 シュージーが死んだのか?

 いや、それで消えるのは腕輪の魔法……すなわちシュージーの方へ近づくという効果だけだ。腕輪の拘束力そのものは彼とは何ら関係がない。

 それに腕輪の動きは停止していなかった。あたしの腕から外れた後も変わらずに崖の方向へと向かっている。


「そいつの目をえぐれ」


 誰かの声が聞こえた。

 次の瞬間、腕輪がトビウオのように跳ね上がり、人狼の眼球へ突っ込んだ。


「ギアアアアアアアアアオオオオオァァァッ!?」


 四つある目のうちの一つに腕輪がはめ込まれ、眼球をえぐり飛ばす。そのまま眼球周りの皮膚を貫いて腕輪が閉じ、輪っかとなった。

 そしてその頭部を引きずりながらシュージーへの接近を再開。

 あっという間の出来事……崖際に追いやられる役割は人狼に移ったのだ。


「ガアアアアアァッ!」


 人狼が両手の爪を地面に食い込ませる。頭部を後方に強く引っ張られ、下半身を崖の上にさらけ出しながらもギリギリで踏みとどまった。


「な、なん……なんだこれはァ!?なぜ俺様の目に……ガアアアアアァッ!何をしやがったスティープルゥーッ!」

「…………」


 あたしのわけが無い。

 じゃあ誰がやったのかと聞かれれば……!


「シュージーを倒さなくても別にいいんだよね。腕輪を外すだけならあいつが持ってる鍵を奪うか、あるいはー」


 声が聞こえたのは車両の上からだった。

 そいつは月の灯りを背に立ちながら、あたしたちを見下ろしていた。


「命令するだけでいいんだよ。『外れろ』ってねー」


 あたしの知っている人だ。あたしと同じくらいの背丈で、髪型は丸みを帯びた栗色。そして危機感の無い朗らかな口調で話している。

 でも……何か違う!


「アジトで捕まっていたときに『デュアル・ブレード』で支配しておいた。僕は牢屋の中にいたけど、腕輪は剣の届く位置だったからさ」


 その言葉の通り、彼は片刃のサーベルを両手に持っていた。

 ……だが、抜身の状態とはどういうことだ?肝心の鞘はどこにも見当たらない。

 そもそもあたしの知っている彼は武器なんて持っていなかったはずだ。


「ところでさ、シュージーにはもう一つだけ大事な役割があったんだよ。もうどこかに行っちゃったから他の誰かが代わりにならないといけないんだけどー」


 彼は車両から飛び降りると人狼へ向かってそう言った。そしてそいつの方へと歩いていき、足元に転がっていた眼球を拾う。


「やっぱり代わりはこの魔物だよねー」


 ……眼球を見つめる彼の目も、また赤みがかっていた。あたしの知っている水色の瞳とは似つかない。血を数滴、溶け込ませたかのように薄っすらとだが、やはり赤い。


「ねぇねぇ、君もこいつが代わりってことでいいでしょ?スー……ス……あれ?」


 こいつは……!


「忘れちゃった。君、誰だっけ?」


 こいつは何者なんだ……!?

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