第13話 次の挑戦

 狼たちの姿が見えなくなっても、あたしは貨物席の扉を閉めずに後方を見つめ続けていた。

 チョキは壁にもたれかかりながら、眠るわけでもなく天井を見つめている。

 あたしは『ファングド・ファスナー』を解除し、無言の自分に戻る。チョキが何か聞いてきても心が漏れないように。

 しかし、そんなあたしの予想とは裏腹に、チョキは何も言葉を発しなかった。


「…………」


 慣れているはずの無言が気まずい。いや、慣れてはいないか。無言なのはいつだってあたしの方ばかりだからな。

 さっきの狼との戦いで、チョキはあたしに何を感じたのだろう? 戸惑い? 恐怖? あるいはそれら全てを受け入れた上での、何も聞かないという配慮?

 分からない。

 それをどうやって知ればいいのかも、あたしには分からない。


「キンバム、止めなさい」

「はい、ボス」


 シュージーの指示で馬車が止まる。

 また何かあったのか。うんざりした気持ちで息を吐いている所に、運転席を降りたシュージーがやってきた。


「そう警戒なさらずに。ここで小休憩をと思いましてね。この辺りには魔物はいないようですから」

「…………」


 貨物席から降りて周囲を見渡す。

 馬車の片側には相変わらず暗闇の森が広がっている。一方でもう片方は崖になっていた。随分と高い所まで山道を登ってきたようだ。


「先程は助かりました。まさかミス・スティープルに戦闘の心得があるとは……いやはら驚きましたよ」

「あたしも驚いたわ、まさか余計なマネをしてあたしたちを危険に晒すとはね」

「それについては新たな知識を得たと思いましょう。赤目狼クランベリー・ウルフを狩る上での失敗例を一つ知った……これはプラスなことです」

「“した”ってだけよ。危うく大きなマイナスになる所を被害ゼロで食い止めることができた。マイナスからゼロまでプラス“した”ってだけ」

「ミス・スティープル、ビジネスというのはね」


 またシュージーの語りたがりが始まった。

 さすがにあたしも学習した。反応はしてやらない。

 今度は溜息すらも抑えて、貨物席に向かって踵を返した。


「スティープル!」

「えっ……?」


 ガシャン!


「っ!?」


 チョキがあたしの方を向いて叫んだ。同時に響いた金属音と湧き上がった閉塞感は、いずれもあたしの左腕からだった。


「『受刑呪輪シュトレーフリング』!」


 シュージーの発した言葉は紛れもなく魔法。

 あたしの左腕には金属製の腕輪が付けられていて、その表面に黄色の紋様が浮かび上がっていく。


「お前っ!」

「おっとっと、もう遅い!」


 斬りかかろうとしたあたしの足がガクンと崩れ落ちる。

 あぁ、すぐに理解した。術者に危害を加えられない、これは紛れもなく呪い!


「ビジネスというのはね、知識もそうですが挑戦が不可欠なのですよ! リスクを冒してでもタネを拾おうとする挑戦のチャレンジ精神! それを持たない者は、他人がタネを拾う様を指を加えて見ているしかないのです!」

「シュージー、この腕輪は……!」

「世の中は他人の失敗を嘲る人ばかりです。それも誰かが失敗した所に後から姿を見せて、あたかも最初から予期していたかのように得意げに。今のあなたのようにね、ミス・スティープル! しかし私に言わせれば彼らの方こそ失敗なのですよ! 彼らは私の心を理解できない! 挑戦することも、タネを拾うこともできない! 一生をかけても何も獲得できない真の敗者なのです!」

「やかましい! そんなことよりこの腕輪がどういうことか説明しろッ!!」

「落ち着いてスティープル」


 貨物席から降りたチョキがあたしの肩に手をかける。

 彼の袖の下に光っていたのは……あぁ、やっぱりあたしと同じ腕輪だ。


「そこの奴隷商はタネを拾ったってわけだよ。スティープル、君というタネをね」

「あたしを奴隷にする気!? あたしは金を提供してあなたはそれを獲得した! 獲得と提供がビジネスの本質じゃなかったの!?」

「本質は絶対ではありません。たった今、私はこう言ったのですよ。挑戦すると!」

「こいつっ……!」


 嘘と裏切りリスクを冒して……自分さえ良ければあとはどうでもいいってわけか。

 そんなものはビジネスなんかじゃない。瘡蓋かさぶたほどの薄っぺらい言葉で取り繕っただけの単なる自己主義だ、クズ野郎が!


「……くれぐれもあたしに今の心境を質問してくれるなよ? お年頃の女に汚い言葉を使わせるな」

「あぁ、一商品との会話はもう必要ありません。時間を有効的に使うのが成功する秘訣です。キンバム、そろそろ出発しますよ。彼らを中に入れなさい」


 シュージーはあたしを無視して、ご機嫌な様子で運転席の方へと向かった。

 はぁ……とりあえず冷静になろう。一つ深呼吸でもして、そうしたら隣にいる同族となった少年に確認したいことがある。


「チョキ、この腕輪なんだけど……シュージーから離れられないってのは聞いた。他には何か知ってる?」

「正確には魔法だよ。腕輪自体は鍵と対になっているただの流通品。その腕輪に対してあいつが魔法をかけた。装着した者に作用する魔法をね」


 チョキが自分の腕輪をさすりながら言う。


「魔法の詠唱者、つまりシュージーには攻撃できないようになってる。さっき君があいつに斬りかかろうとしたけど、できなかったでしょ?」

「えぇ、急に足の力が抜けてナイフを振るえなくなった」

「でも言ってみればそれだけだよ。何かを命令して従わせることすらもできない下級の魔法さ。あいつ自身の魔力がたいしたことないレベルだからねー」

「命令か……」


 なるほど。言われてみれば、馬車に乗せるよう指示されたのはキンバムであって、あたしたちに命令したわけではない。逃げられず攻撃できずってだけで、詠唱者の言いなりになるわけではないのか。

 だったらチャンスはある。あいつが持っている鍵を奪うのに、わざわざ危害を加える必要は無いんだから。


「ねぇ、スティープル?」

「なに?」

「これで僕たちお揃いだねー」

「はぁ……あなたって本当にのんきな人ね」

「だって僕には助っ人がいるからねー。大丈夫、スティープルも助けてくれるようにお願いしておくよー」

「…………。なんかイライラしてきた」


 そして、そのイライラしているのはどうにも私だけではないようだ。


「キンバム! 馬を放って勝手にどこかへ行く運転手がどこにいるのです!?」


 シュージーが携帯用のランプを手に運転先の方から戻ってきた。

 キンバムの名を呼んでいるが……いつのまにか持ち場を離れていたのだろうか?


「変ね……」


 何の用事で席を外したのかは分からないけど、ボスの呼びかけに返事くらいはしても良さそうなものだ。あたしの見た限りでは一貫して忠実そうな男だったし。


 ビチャビチャビチャ……!


「キンバム?」


 返事の代わりに聞こえてきたのは水音だった。森の方向、すぐそこの木の陰から聞こえてくる。


「キンバム! 用を足しに行くならランプくらいなら持っていきなさい! ズボンに引っ掛けたらどうするんです!? まさかそのズボン履いたまま私の隣で運転する気じゃあないでしょうね!?」


 シュージーは水音の元まで歩いていき、ランプを掲げた。






 そこには誰もいなかった。


「キンバム……?」


 照らされたのは水音の正体だけ。

 木の上から滴り落ちるその液体は……あたしたちの予想に反して真っ赤に染まっていた。


「あ……」


 シュージーが真上を見た。

 あたしのいる場所からは木の葉に遮られている。急いでシュージーの元へ駆けつけ、彼の照らし出す光景を確認する。


「馬鹿な……キンバムッ! そんな馬鹿なことがっ!?」


 木の枝に引っ掛けられていたのは……体。

 人間から首を取り除いた残骸だけだった!


「チョキッ! 中に閉じこもって扉を閉めて!」

「な、何なんですかこれは! 私が目を離したわずかな間に……!?」

「何かいるっ! 獰猛で木の上に登れるような奴だ! 近くに潜んでいるっ!」


 ナイフを抜く。

 マズい状況だ。さっきの赤目狼クランベリー・ウルフとは違う……こいつには知能がある! 秘密裏に襲撃を実行する知能が!


「ま、魔物!? まさか魔物だって言うんですか!?」

「お得意の知識に聞いてみなさいよ。こんな殺し方をするのは人間だって言うの?」

「人間のわけないでしょう!? それどころか魔物のわけもない! 私共は何度もこの道を通って商品を運んでいるんですから!」

「む……あれは!?」


 その時、キラリとした何かが視界に映った。

 赤い球体が四つ。だが鮮やかというより濁っている。そして移動している。


「クソッ! 逃げ隠れしていないで出てきなさい! 卑怯ですよ!」


 シュージーが誰もいない森の方へと叫ぶ。


「卑怯ォ?」


 その声に答える者がいた。

 木の上から飛び降り、あたしたちの前に現れる。


「聞き間違いかァ? 逃げたり隠れたりしてンのはァ……人間ンンン」


 四つ目の狼が二足歩行で歩き、人間の言葉を喋っている。


「お前らの方じゃあねぇかァァァーッ!」


 その体格は一般的な狼はおろか、シュージーのような大の大人よりも一回りは上だった。

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