第10話 夜間の来訪

 労働者にとって日々の鬱憤を解放する酒場も深夜帯ともなれば静かなものだった。

 まだ灯りのある店内の表に閉店の印が掲げられていることを確認しつつ、あたしは酒場へと入っていく。


「マスター、いる?聞きたいことがあるんだけど」

「なんだい、今日はもう閉店だ。宿を探してるって言うなら……、……あっ!?」


 マスターが驚愕の表情であたしを見る。その拍子に倒れた椅子が、床の拭き掃除をしていたのかバケツへと当たるが、その方向を見ようともしなかった。


「す、スティープル!?このクソガキ、どのツラ下げて私の店に来やがった!い、いやそれよりどうして喋っ──ぎゃっ!?」


 マスターが言葉を紡ぐ前に飛びかかり、床へと押し倒す。


「あたしがこうやって喋っていることや、昨日の昼間に互いに不愉快にさせあったことはどうでもいいの。それよりも重要なのは、あたしが聞きたいことがあるっていうこと。いい?お互いの時間のためにも手っ取り早く行きましょう」

「ふざけてんじゃあねーぞクソガキがっ!市民にこんなマネしやがって、このことはテメーの上司に報告してやるからなっ!」

「え!?それは駄目よ!」


 ガリッ!


「ぎゃっ!い、いだだだ!?」

「報告されるとマズいから脅すことに決めた。もちろんあなたが服従するって言うならこんなことしなくて済むんだけど、あたしのこと見下してたし無理でしょ?」

「ゆ、指が!?手が!?あがががががっ!!」


 マスターに覆いかぶさっているあたしのコートに口を付けて、彼の肌に噛み付いている。噛み千切りはしないが、痛みは与えるように。

 ついでとばかりにナイフを抜き、マスターに先端を突きつける。


「もう一度だけ言うけど、あたしには聞きたいことがあるの。それ以外の話……例えばあなたのあたしに対する憎しみとかはどうでもいい。いや、どうでもよかったらこんなマネはしないかも?ともかく、質問するのはあたしだけ!いい!?」

「は、は、は、はい……!」

「よし。それじゃ聞くけど、あたしは今すぐこの国から出たいの。明日とか明後日とかじゃなくて今すぐ。翌朝よりも今すぐ。何か良い方法はある?」

「は……!?」


 どうしてそんなことを聞くのか、とでも言いたげな顔を浮かべるマスターだが、もちろんそんなことは許していない。

 あたしの持つナイフを見てマスターは必死に頭を巡らせる。


「む、無理だ……この時間帯じゃあ町の外は危険すぎる。一歩でも道を外れたら魔物の巣だ。子供一人じゃあ道なんて分かりっこない……」

「分かってるよ、それくらい。それでもあたしは何とかしないといけないの。だから事情通のマスターに会いに来たのよ」

「で、でも無理なものは無理だ。普通だったら隣国への道を知っているガイドと馬車が必要だ。こんな夜遅くに協力してくれる奴はいない……普通なら」


 マスターはそこで目を大きく開くと、キョロキョロと周りを伺って声を落とす。


「普通なら?」

「い、いや……なんでこんなこと言ってるんだ?駄目だって、これは違法な……奴隷商だよ。この国じゃあ人身売買は違法だが、商品を調達するために国外から来る奴がいるんだ。そいつらなら夜間に馬車で移動する」

「奴隷商……本当にいるのね」


 『ファングド・ファスナー』を利用すれば隠し事を暴くことができる。

 まさか奴隷商なんて言葉が飛び出すとはね。一部の兵士たちの噂で聞いたことはあったが、確固たる証拠が無いために本格的な調査は行われていない状態だ。


「利用できるかもしれない……どこに行けば会える?」

「じょ、冗談じゃあない!言ったら私が殺される!私が奴らと繋がっていることは誰も知らないんだ!この店を出て右に真っ直ぐ、突き当りだ!えっ?あっ!?」

「さすがマスターね、あたしの予想以上に色々と知ってる。続けて」


 必要な情報を根掘り葉掘り聞き出していく。

 その後は後始末だ。


「おい、何だ!?私をどうするつもりだ!?」


 『ファングド・ファスナー』からロープへ拘束を切り替える。


「チャンスをあげる。お金をもらっていくから強盗のせいにしなさい」

「ふ、ふざけるな!狂ってるぞお前!」

「よく聞いて、あたしは反逆罪で追われてるの」

「え……は!?」


 マスターが目を丸くする。

 本来なら信じるには無理がある話だが、あたしが喋っている時点で現実離れした光景だ。マスターはあっさりとあたしの話に耳を傾けた。


「もしスティープルを見たなんて言えばフラットクリンチ隊長の尋問を受けるはめになるよ。あたしがどこへ向かったか言うまでここには戻れない。嘘をついても無駄、逃亡者あたしの罪が重すぎるせいで裏付けが取れるまでは拘束される。だからといって本当のことを言えば、奴隷商とあなたとの繋がりを暴露することになる、つまり投獄ね」

「うぐ……ぐ……」

「だからチャンスをあげるのよ、あなたが無関係な事件の被害者になれるチャンスをね。別に今すぐ決めなくてもいいよ。あなたが発見されるのは朝になってからだろうし、それまでゆっくり考えればいい」

「…………」

「そうそう、お金のことなんだけど……さっき奴隷商の情報と一緒に聞いた、昨日の売上代金だけで勘弁してあげるよ。あたしの悪口で盛り上がったんでしょ?使用料ってことで」


 すっかり無言になってしまったマスターに、あたしは猿ぐつわ代わりの布を噛ませる。

 その後、店内の灯りを消し、あたしは目的の場所へと向かった。




 酒場を出て右の突き当り。奴隷商がいるという噂の建物はすぐに見つかった。馬小屋が隣接している建物などそういくつもあるものではないが、見た目は一般的な建物だ。地味を装っているのだろう。奴隷商を悟られないためのニオイ消しというものか。


「…………」


 周囲を確認する。見回りの兵士に関してはここに来るまでに散々、注意を払ってきた。それ以外の一般市民に関しても念のためだ。

 ……よし、誰もいないな。


 ゴンゴン!


 扉を叩く。思ったよりも響いた音に思わず再び周囲を見回す。

 中からガサゴソと音が聞こえたのを確認し、あたしは口を開く。


「ごめんください、スティープルと言います。お願いがあるんですけれど……」

「……子供か?何の用だ?」


 扉越しに低い男の声が聞こえた。

 当たりだな、と思った。男の声には夜分遅くに尋ねられた時のような不機嫌さや気だるさというものが感じられない。ただただ警戒心だけがそこにあった。


「はい、子供です。馬車に乗せてほしくて来ました」

「帰れ。うちは交通機関じゃあねぇ」

「うん、知ってるよ。だからこんな時間に来たんだ」

「なに……!?」


 下手したてに出ても話を聞いてもらえないと分かった以上、あたしは即座に敬語を捨てて威圧的な口調を選ぶ。


「夜に商品を運ぶんでしょ?ついでにあたしを馬車に乗せてほしいの。商品が何人いるのか知らないけど、あたし一人増えた所で大したことないでしょ?」

「っ!?お前、俺たちのことを──」

「情報源は聞かないでほしいの、あたしも訳ありだから。一応、金は持ってきた。臨時の仕事ってことで受けてもらえない?」

「…………」


 放置……はないだろうな。

 歓迎してくれるか、あたしも奴隷にされるか?場合によっては力づくで何とかすることも考えないといけないな。

 あたしがまだヴェラム王国の兵士であるなら、こいつらは壊滅させなければならないのだろうが……今はそんな義務はない。


「入りな」


 しばらく時間が経った後、扉がわずかに開いた。

 案内人は大柄で人相の悪い、いかにもな男だった。だが、あたしの警戒を解くためか武器は身につけておらず、そのうえ一人だった。


「こっちだ」


 誰もいない一階部分の床板が外れて地下への階段が開いている。

 地下とはね……!嫌な記憶が蘇る、すっかりトラウマになったかもしれない。

 案内人に先行して階段を降りていくと、そこは意外にも賑やかな空間だった。ランプの灯りが至る所に設置されて一階部分よりも明るく、メンバーと思しき男性が数人で娯楽や雑談にふけっている。

 部屋の中央にはリーダーであろう男が椅子に座り、こちらをじっと見つめている。


「……!?」


 だが、それよりもあたしの目線は部屋の奥に釘付けになった。

 おそらく誘拐した商品を入れておくためであろう牢屋の中で一人の少年が眠っている。それは今日の謁見で、一番最初に王城を訪れたあの少年だった。

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