第8話 噛み締める

 え……?


「え……? 今のは誰の声……?」


 聞いたことの無い声だった。


「初めて聞く声だ……女性の……聞いたことの無い声」


 それにさっきからあたしの考えてることを……!


「あたしの考えてることを喋っている……! それってまさか!?」


 喋っているのは!


「あたしだ! これはスティープルの声っ! 初めて聞くあたし自身の声だっ! でも一体どうして!?」


 戸惑っているのはあたしだけではなかった。


「タッカーさん、これは……どうすべきなんでしょうね? あまりにも予想外のことが起きているんですが、隊長に報告すべきなんでしょうかね?」

「ば、馬鹿な! あの小娘が喋れたから何だというんじゃ!? わしが鎖であやつを止めている間に、お主が処刑を執行すれば結果は同じじゃ! 何も問題なく終わるじゃろう!?」

「違いますよ」

「なんじゃと……!?」


 気づけばリムーバの体は小刻みに震えていた。

 あたしに定めている狙いを外さないように努めながら、何かに対して抗っていた。


「そうじゃあない、私が予想外と言っているのはあいつの方じゃあないんです。私の指の方なんですよ」

「指……?」

んですよ指が……矢を放ってくれない。そうでもなけりゃあ、さっさと射殺してやってるってのに」

「ふざけとる場合か!?」


 タッカーは怒り心頭という表情で、構えたままになっているリムーバの指へと視線を向ける。

 だがその怒りはすぐに驚愕へと変わった。


「な、なんじゃこれは……!? リムーバ、お主の指の腹にあるのは……!」

「……! タッカーさん、今気づいたんですが、あいつの喉にあるのって……!」

「あたしの喉……!?」


 指で触れると不思議な感覚があった。

 ぷにぷにして柔らかい物に囲まれたのは穴だった。

 穴の中に指を入れると何やら硬い物が並んでいる。


「何これ? 表面が滑っていて壁みたいものが穴の中に……それに動いてる? いや、壁だけじゃない。あたしが喋るたびに穴全体が動いてる」


 その内部はじんわりと濡れていて温もりがある。

 これは……まさか!?


「口だ! あたしの喉に口が付いていて……本物の口の代わりに喋っている!」

「口じゃ! お主の指に口が付いていて、矢に食いついて止めておるんじゃ!」


 一体これは何なんだ!?

 魔法じゃない! 魔法なんて覚えようと努力したことも無いんだ! あたしには魔法は唱えられない!

 でも……魔法でないとすれば……?


「これは……まさか、いやそうとしか考えられんぞ」

「タッカーさん、何か知っているんですか……!?」

「パンケーキじゃ」

「……は? 何ですって?」


 パンケーキに何を乗せるか?

 タッカーの言うその話をあたしは読んだことがある。大賢者シナバル・スィーリンの人生を綴った物語だ。


「世の中には何も着飾らなくても周囲と渡り合えるパンケーキが存在する! 剣や魔法などという通俗的なものではない! その人間だけが持つ唯一無二の能力!」

「何が言いたいんです!? パンケーキだの何だの余計な説明はいらない! あいつは何だと言うんです!?」

「プレーンじゃ!」

「プ……何ですって?」

「シナバル・スィーリンはそういった能力を持つ者をこう名付けた、プレーンと!」


 無地プレーン……!

 あたしの喉に開けたこの口は魔法ではなく、あたしだけの特殊な能力……プレーン能力だと言うのか……!?


「なるほど、もう結構ですよタッカーさん。私の指が離れないのはスティープルの仕業だということは分かりました。他に問題はありません、処刑を再開しましょう」

「ふん、言われずともやってやるわい! その指についた口を外せばいいんじゃろうが!」

「っ……!」


 タッカーが私に刺した鎖を維持しながら、リムーバの指先に手をかける。

 まずい、早く逃げないと……!


「無駄じゃ無駄じゃ! わしの鎖は刺すだけでなく、魔力によって傷口に固定される! わしを倒さん限り、お主はそこから逃げられんのじゃよ!」

「ぐ……!」

「さて、お主はめでたくも産声を上げたわけじゃが、同時に罪人として相応しい立場に立てた思わんか? 今から断末魔の悲鳴を上げながら処刑されるのじゃよ! これほど相応しい変化があるか! カーッカッカ!」


 ブチッ!


「……あ?」

「な、なんです今の音は……!?」


 その光景を見た時、あたしは大賢者の言葉に納得した。

 確かに彼の言葉の通りだった。プレーン能力は、ただそれだけで周囲のパンケーキと渡り合える。


「が、が、が……がああああァッ……!」


 リムーバの指に付いた口が、それを外そうと伸ばしたタッカーの指を噛みちぎっていた!


「わ、わわわ、わしの……おおおォォォッ!」


 悲痛な叫びを上げるタッカーだったが、よろめくことはできなかった。

 彼の足元の床はあたしが触れていた床だ。最初にわざと逃された直後、あたしがリムーバに体当たりした時に触れていた床。

 そこに形成された口が四つ、タッカーの靴に噛み付いている!


「おおおおおおォォォォォッ!?」


 指を奪われた衝撃と固定された靴に足を取られたことで、タッカーはパニック状態に陥る。

 ガツン、という大きな音が響き渡った。タッカーが受け身も取れずに後頭部から床に叩きつけられた音だった。


「タッカーさん!? 何をボケたことをしているんです!?」


 ビシュッ!


「っ!? 矢が……!?」


 リムーバがタッカーに気を取られた瞬間、その指先に形成されていた口が開き、矢が放たれた。

 もちろん既にあたしから狙いは外れている。だからこそ口が消えた……いや、あたしが自分の意思で消したのだ。


「最初は驚いたけど、やっぱりあたしの能力なのね。こうやって思い通りに動いてくれるなんて」


 タッカーの気絶と同時に、あたしの背に繋がっていた鎖の魔法が解けた。

 自由になった体であたしは狙いの外れた矢を拾う。


「戦うわ、あたし……戦って生き延びてみせる。呪われた人生に一筋の光が射したのよ! この光があたしを戦わせてくれる!」

「こ、この反逆者がぁっ!」


 リムーバが弓を構えて矢を引く。

 だが無駄だ。その指先にはまだ口が残っている。


「うっ!? ゆ、弓が!」


 今度は矢を止めることはしない。弦を噛み切った。


「でも、そうなると名前が欲しいわね。口と呼ぶのはあんまりだし……!」

「うおおおおおおォォォーッ!」


 リムーバは弓を捨てると、矢を握りしめてあたしへと向かってきた。飛ばせないなら直接、脳天に突き立ててやろうというのだ。

 あたしはそれに対して拾っていた矢を放り投げる。

 先端の向く方向など気にせずに無造作に放られた矢を、リムーバは無警戒に受け止めた。


「え? 矢を返すなんて、いきなり親切なこと……」


 矢の表面が口で覆われる。


「っ!? しまっ──!!」


 リムーバが絶叫する。あっという間に彼の手は血塗れになった。


「そうね、決めたわ」


 そっと見つめた手のひらに口が浮かび上がり、ニコリと笑う。


「“噛み締める”、こうやって言葉を伝えられる幸福を、そしてあたしの戦う相手を! 噛み、そして締める! この能力は『ファングド・ファスナー』と呼ぶ!」

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