第3話 争う者共
夜の見回りの翌日は寝坊が許されている。見晴らしの良い昼間は少数人数で敵襲を察知できるため、人員を割く必要性が夜間と比べて低いのだ。
あたしの場合は特に寝坊が容易だ。
王国の兵士たちは王城付近に用意された専用の宿泊所に住むことを義務付けられている。そしてそのいずれもが二人部屋なのだが、あたしの場合は同居人がいないのだ。
……いないというのは誤りで、正確には同居を拒否されただけなのだが。まぁ、その兵士は無理やり作り上げた三人部屋で仲良くやっているのだろう。
その日もあたしはのんびりと早朝の時間を謳歌していた。
眠気が取れるまでベッドの中で過ごし、目が覚めた後は共同のシャワースペースへ行く。
「…………」
やはり一人で利用するシャワーは居心地の良さが段違いだな、と鏡を見ながら思う。
十二歳という年齢を考えれば、あたしの女性としての身体的な曲線は特筆することはない。しかし、あたしの体を見た人は自然とその胸元へ目を向ける。
あたしの胸の中心部には不思議な形の痣があった。上向きの矢印から直線を取り除いた、トゲのような形だ。
両親と過ごした朧げな幼少期に、この痣が生まれつきのものと聞いた記憶がある。あたしの声が出ないこととの因果関係は不明だが、それが呪いのせいだという説は、この痣がきっかけとなって唱えられたものらしい。
呪い……何とも禍々しい言葉だが嫌いではなかった。本当に呪いであるなら、それを解く手段もあるのではないか、と少しだけ前向きな気分になれるのだ。もちろん呪いだからといってその全てが解けるような甘い世界ではないのだが。
時計を見る。そろそろいい時間だ。
前日の夜に魔物の襲撃があったということもあり、報告会が開かれることになっていた。
あたしは城内の会議室へと向かう。
「こっちに来るんじゃあねーぞスティープルッ! あたいの右手にあるものが見えねーのかっ!?」
会議室に入ったあたしは窓際に佇むジョイントの方へ向かい、そして怒鳴りつけられた。彼女は今、右手に持った紙タバコを味わっている最中だった。
その他に会議室にいるのはリムーバともう一人……。
「クックック……怖いのう。煙好きに近づけばわしらも体が蝕まれてしまうわい」
そう言って嫌らしげに笑う男はタッカーだ。青年と老人の中間を彷徨っている時期であり、顔にはややシワが目立ち始めている。薄みがかった紫色のメガネは頭部に巻きつけてしっかりと固定されていた。
彼もまた例に漏れず、自由な服装を認められている。高級な白地のコートを羽織り、その下には流行りのくだけたシャツが顔を覗かせている。革靴やベルトもまた高級な質感を漂わせており、まるで服装で若返りを図ろうとしているかのようだった。
「学のない民衆共は知らんのじゃ、煙が削る寿命の年数をな。金持ちの気分を一時、味わいたいがために向こう数年を捧げておる。これほど愚かな話もあるまいて」
「予言者にでもなったつもりかよジジイ。あたいは将来、素敵な旦那と結婚して子供産むって決めてっからな。今しかできねーやんちゃをやってるだけさ」
「はっ! お前のような体つきに惚れる男がいるものか! 結婚を夢見る前にまずは女を磨くことじゃな! カッカッカッ!」
「ちっ! 世の中が平和になりだしたら次に淘汰されるのはテメーみてぇな人間の方に決まってるぜ。そのうちテメーだけ魔物の繁栄を願い出すんだろうよ」
「ほほう! それは楽しみじゃのう! 貧しい民衆共がどうやってわしを倒すんじゃ? 力も頭も上回るわしを、んん? ぜひ拝みたい所じゃ!」
「んふっ!」
ジョイントとタッカーのやり取りを聞いていたリムーバが笑い声を上げる。
「いや、失礼。タッカーさんがまるで、自分が特別な人間かのように主張しているようで思わず吹き出してしまいましたよ」
「ほう? ならば何だ? わしが普通だと言うのか?」
「だって……ねぇ? 人間が特別たり得る要因は“必要とされるか否か”ですから。それを“強い”とか“頭が良い”とか、カスみたいな履き違えをするタッカーさんは誰からも必要とされちゃあいないでしょう。私と違ってね」
「……ならば試しに一週間の休暇を取ってみるがいい。お主のいないヴェラム王国がどれほど大きく変わるのか、よぉぉぉく観察してみるがいいわ!」
三人の雰囲気がどんどん険悪になっていく。
このまま戦闘が始まるのではないかと思った時だ。
「貴様ら何をしているっ!?」
「っ! た、隊長……!」
勢いよく開け放たれた扉に向かって、ジョイントが慌てて姿勢を正す。
それもそのはず、相手はあたしたちの上司に当たるフラットクリンチ隊長だ。
「くだらぬ口喧嘩に
「いやいや隊長、とんでもない誤解ですよ。私は根拠の伴わない人格攻撃程度で喧嘩など──」
「リムーバ!」
「あ、いえ……すみません」
何かしら取り繕おうというリムーバの試みは隊長の一言で遮断された。
フラットクリンチ隊長は黄金のような色合いの短髪と端正な顔立ちが特徴的な人物だ。あたしたちとは異なり兵士と同様の服装をしているが、その胸元に光るいくつもの勲章は、彼が隊長であるという疑いようの無い証である。
王国内には彼のファンクラブがあるという噂もあるほどに女性からの人気は高い。だが決して優男というわけではなく、その顔つきと態度には歴戦で積み重ねてきた自信が溢れていた。
「私が兵士諸君に求めるのは団結だ! 常日頃からそう口にしていたつもりだが、貴様らには伝わっていないようだな!」
厳しい声色で隊長は三人を順に睨みつける。まるであたしも一緒に叱られているかのような気分だ。
しかし、ここでタッカーが予想外の弁明を始める。
「隊長よ、わしらだって好き好んで喧嘩しとるわけじゃないわい! 全てはスティープルが原因なんじゃよ!」
……え?
思考が固まる。
あたしには彼が何を言っているのか分からなかった。
「そうですよね。私たち普段はもっと穏やかなんです。ですがそこへスティープルが居合わせると決まって喧嘩に発展してしまうんですよ」
リムーバが話を合わせにいく。小説の文章のように自然に、そして間を開けずに自分の言葉を紡ぐ。
「何を言ってんだか……テメーら、もう少し頭の良い言い訳はできねーのかよ? って言ってはみたけどよぉ、否定もしづれーんだよな」
さらにはジョイントまでもが、ばつの悪そうな顔で話し始める。
「スティープルがいるとよぉ、気のせいかもしれねーけど言い争いが多くなる気がするんだよ。もちろん、あたいが言い過ぎちまうのが悪いんだけど……」
「そうじゃ! わしが言いたいのはまさにそれじゃ! わしらの団結を阻害しておるのはあいつなんじゃ!」
何だよそれ……!
いくらあたしが何も言えないからって、こんなの……!
「……スティープル」
彼らの言葉を順に聞いていた隊長があたしへ向かって言う。
「国王の恩情により、貴様はその年と失声の障害にも関わらず我々と同じ舞台に立っている。それは変えようのない事実だ。そして……そのことを不満に思う兵士がいるのもまた事実だ」
「…………」
「昨日は魔物の討伐、ご苦労だったな。この報告会には立会人として参加させようと考えていたが、貴様の存在が不満を増長させるとなればそれは喜ばしくはない。私の言いたいことが分かるな?」
「…………っ!」
……私にできることは頷くことだけだった。
会議室の扉を閉める。
機密情報を取り扱うこともある部屋だ。そう簡単に中の声は漏れてこない。
だからあたしの耳に入ってくる笑い声は被害妄想なのだろう。
「…………」
バラバラになりかけた三人があたしに責任を追わせて分裂を回避する。それが隊長の言う団結なのだろうか? そんな理不尽な言いがかりが“結果だけ見れば”で正しいと言えるのだろうか?
分からない。
分からないけど……!
あたしがいると言い争いが多くなる。
ジョイントの言った言葉がどういうわけか、あたしの胸にチクチクと刺さり続けていた。
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