レーヴ・フェルム
WASHI(ワシ)
閉ざされた夢
僕は死ぬ。
本能的に悟ったそれは、面白みなく、逃げ場なく、ただその前に佇んでいた。
潰れた内臓、割られた脳、剥き出しとなった神経系に、効かない五感。
無理に外からブーストをかけて動かすにも限界がある。時期に思考は永遠に閉ざされるだろう。
ああ、僕は、やはり最強では無い。最強にはなれない。
僕は最強の力を持っている。世界を虚無へと還すことも、世界を作ることもできるだろう。
しかし、知っている。知ってしまった。
万物の無限の創造性。僕には辿り着けなかった、発展。愛。
そんな生物を、人類を、愛してしまった。
共存し、受け入れて、せめても護る存在となりたかった。
彼らの権利を、永遠を護れるものがいないのであれば、僕がなろうと。
……気づいたことはあったのだ。
万物を司ることは不可能だと。
万人を真の意味で助くのは不可能だと。
自分に失望し、今度こそ自分のために生きようと、星の数ほどの文明が終わった頃、世界の次元を跨いだのに………!
何度見ても美しいのだ。
生態系の織りなす無限大の進化、人間の作る文明や感情。
かつての次元のかつての時代にあった文明、世界、自然も、新しく渡った世界の情景も。
諦められなかったのだ。
力及ばずとも、少しでも多くのものを残したいと思った。
これがこの有様だ。
僕の愛した、彼らの「発展」は、渦巻き、変容し、いつしか数を得た。安寧を得た。力を得た。
足りない力を人らしからぬ
幸福を祈り、護るだけのシステムに過ぎなくなった僕は、殺された。
億の文明の中でも見たことのないような、巨大な謀略の灯火に。
もう良い。
永く生きた自分もまだ、護る対象の人間と同じだったことに皮肉にも笑みを溢す。
自分勝手だ。
僕が望んだ発展の世界だ。僕の知らない、彼らにしか辿り着けないからこそ、憧れて、護った世界だ。
嬉しい。彼らが彼らだけだ紡げるようになったことが、嬉しい。
なのに、なのに!
死の間際に、捨てたはずの人間としての僕が、本当の僕が、破滅を願ってしまった。
ああ、世界は最初から掌の上で、もう疲れて、僕が自由なら、それで良くて………ッ!
動かなくなった僕の体から溢れるは、万を生きた守護者の、億の文明、兆の感情の受容器の中身。僕が人間として死んでから、僕の魂の代わりとして僕を生かしたもの。
その混沌は時空ごと、この次元は愚かパスの繋がった遠い次元までも焼き切るだろう。僕が生まれた次元も、僕が護った次元も、ありし日の友も、弟子も、生きた存在そのものが。
護った分滅ぼす、世界の理を覆すことが出来なかった。
消したくない。消したくないのに、死んだって構わないのに、なのに、どうして破滅を望んでしまうのだ………!
術とも言えない暴走した中身が、周囲を時空ごと焼き切っていくのを茫然と眺めながら、自分かも分からない意識が消えていく………。
遠い夢を見た。
こんな時になって。
年若き4つほどの少年が、戦乱の中、寒さに凍えている。
少年より2つほど年上に見える少女の、まだ温もりのある死体が、彼に覆い被さっている。
「おねえちゃん………。」
嗚咽を流すことしか出来ない。無力だ。足掻いて、抵抗し、声を出せばきっとこの子は殺される。
僕を、ぼくをまもったおねえちゃんが、その心が、とてもきれいにみえた。だから、ぼくは生きないといけなかった。
………死にたくない。
兵達は、足音を近づかせ、遠ざからせ、返り血に染まっていく。
………死にたくない。
忌まわしい力を持ち迫害された僕を、懸命に育ててくれた親代わりの姉。
………死にたくない。
姉を殺した兵が、武勲を掲げ、下卑た笑いをあげて遠ざかっていく。
………でも、みんな死んでしまえば。
一面の真白の筈の大地は、見る影もなく深紅であった。血に濡れていた。
ぼくにはなにもできない。
みんなにこわがられたこのちからでも、なにもできない。
なにをすればいいかもわからない。
ただ、いまは、おなかがすいて、のどがかわいて、さみしくて………。
少年は少女を抱きしめて、凍りついた涙を流し、枯れた喉から嗚咽を流しながら、少女の肉を喰らい、生きた。
少女のために、姉のために。
深紅と曇天の鳥籠の中で。
これが、人間である僕の原点か。
思い出すことなどできない。大事な記憶。
暖かい姉と、死んだ姉の記憶。
破滅を願う、根幹の僕。
天が降らす雪が赤を上書きし、冬のみの季節が流れ行く。
少年はまるで凍りついたかのように動きを止め天を仰ぎ、深く呼吸を繰り返す。生きる。
どれだけ経ったのか。
ローブを纏った妙齢の人物が現れた。
「6年前に忌み子が生まれ、2年前粛清を敷いた地と聞いてきたが、いやはや。」
「これほどの存在が産まれれば、世界は揺るぐだろうよ。」
「しかしこれはこれは、なんとも不可思議で、素晴らしい。」
少年に告げる。
「君は、優しくて温かいな。」
穏やかな声で。
間を置いて、
「しがない私が君に与えられる選択肢が2つしかないことをどうか、許してほしい。」
少年は俄然として動かない。
「一つはここに凍りついて縛られること。もう一つは、君の多くを贄に別個体の肉体を貰い受けて生きること。所謂、転生というやつだ。」
瞳孔の開ききった瞳孔は、静かに、しかと彼女の目を見据える。
確固たる意志。
生きなければ。
「分かったよ。君の意志はよおく。」
妙齢の女性は少年と女性の足元に紋様を描いていく。この世界には存在しない、まるで異世界へ引きずるような。
「縛りの呪いを解く代償として、君はここにいることは出来ない。追手を振り切るには、君の記憶や肉体に残った痕跡を消し、遠い世界の、魂の形の近い個体の肉体を使うしかない。」
力を巡らせながら、彼女は言う。
「私は知っている。世界は広い。良いことばかりではない。むしろ、悪逆こそが世界かもしれない。」
微笑んで
「君は、優しい。慈しみと優しさ、というのを見るのは、お姉さん少し得意なんだ。」
「君の魂からは、もう一つの魂を感じる。
その子も君も、訴えている。意志を。慈しみの意志を。」
「君は、愛されたんだね。」
「優しさは孤独を産み、正義は悪を生み、少年、君みたいなのはいつも割に合わない目を食らい、正義に殺される。」
「無力な私は、君に選択させることしかできない。どうか君に、ハッピーエンド、いや、終わらぬ幸福を………。」
眩い閃光が走る。
瞬間、少年と女性だけの世界は、何もなかったように真白となった。
得た命で、生死を超えた存在となって。
忘れていた。
約束したのだ。幸せを。
これは幸せなんかじゃない。
ましてや、幸せな終わりですらない。
名前も知らない人の、友の、姉の、僕の、どんなものであろうと、生が虚無になるなんて、
破滅を願う人間のぼく、本当にそれは、望みなのか?
君を苦しめては、いないだろうか。
……まだだ。まだきっと出来ることは。
僕の体なのだろう?死を経験し、はじまりもおわりもなくなった図太い体なのだろう?
なら、動いてくれよ。なあ………!
無情に世界は焼き切れる。焼き切れていく。僕の意識ごと………。
そのはずだった。
然れども僕の意識は未だある。
何故?
まして、体は思うように動かせないのに、僕の体は何者かの意志で動いている。
僕の意思ではない。僕の意思はもう、体の所有権を失ったのだから。
僕の屍を取り巻いて、全ては無に向かった筈なのに。
原型を止めない爛れた体で僕では無い何かが構築するこれは、何だ。
世界や次元を跨ぎ多くの叡智を得た僕でも、こんなものは見たことがない。
これは駄目だ。
まさに、こんなのは……。
辿々しく紡がれる。
「神々よ。我が持ちし大いなる神々よ。或いは文明を作り、或いは文明を護り、或いは文明を吸い尽くし、或いは存在したかも知れない神々よ。」
一つ一つは知っている。かつて自分が平伏させ、世界を守る手駒として置いた神々への文言。
これは、次元を焼くよりも。
「肉体に刻まれた魂の刻印を持って命ずる。」
この術は、もっとずっと、惨い。駄目だ。
喉も脳も無くなった意思だけで叫ぶ。
「やめてくれ……」
届かない筈の言葉が届いたかのように、僕の体は微笑んで此方を向く。
「我らが魂を、永遠の贄として捧げる!」
「願うは一つ」
意識が暗転する。
「————————————!」
一面の雪原。あの日見た真白。
終わると思われた僕の意識は、今そこにある。
霊体となった僕が、立っている。
先の光景が、鮮明に焼き付いている。
聞こえなかった願い。
その答えがこれだ。
僕が生きているということなのだ。
……僕は、なんてことを。
護れなかった。護れなかった……!
「ねえ、意識が戻った!戻ってる!ぼくたち、成功したんだ!」
雪原は、僕一人がいるのではなかった。
4つほどの少年と、それより2つほど年上の、見覚えなどないのに思い出される、少女。
「そうよ、私たちは、悲願を果たしたの。」
少女は少年の頭を撫でてはにかむ。
陽の差した笑顔を少年は少女と僕に向けた。
「おねえちゃん……?」
僕は震えながら声を出す。
護れずとも救うことがきっと出来たのに、出来るのに、救えなかった、守護者である僕の、守り人。
最強になった後の僕なら、他次元の魂のひとつ、造作もなく生き返すことも、祝福を与えることも出来た。
原初の、はじまりやおわりという概念が無くなった僕の、僕だけが、僕でさえ覚えていない原初の、全てを贄にした解呪。
結局のところ、その贄が呪いとなって降り掛かったのだ。
きっとそれは、魂となっても僕を護った、姉にも。
僕を守るという、呪いが。
「ずっと居たんだね。それなのに、何も……。それどころか、貴方を……!」
「いいの。貴方がとても幸せで、とても大切で、大切な人が出来て、人理を超えた過酷な目に、あって。全部、見てた。」
少年が言う。
見覚えはある。
幼い、転生してすぐの僕にそっくりだった。
でも、見覚えが無い少年。
「はじめまして。おはよう。こんにちは!ぼく、いや、お兄ちゃん。」
屈託のない笑みを浮かべる。
その笑顔は、気休めの偽善の笑顔でもなく、純真無垢な痛い笑顔でもない笑顔だった。
「ああ。はじめまして。君は僕、なのか。」
「ぼくはね、お兄ちゃんじゃないよ。」
「あいさつ、ジコショウカイ、いつかしてみたかったんだあ。お兄ちゃんに。」
「こんにちはお兄ちゃん!ぼくは……えーっとなんて言うのかな。転生?したお兄ちゃんの体にもともと居たタマシイだよ!どうしよう、わかりにいかなあ。お姉ちゃん以外とお話するなんてはじめてで。」
あり得ないことではなかった。
死産した者の魂が産まれた子の魂と生きていたり、融合して1人になった複数体を見たことがないとは言わない。
けれど、転生は違う。
魂の形の近い別個体の肉体で新たな生を受ければ、元居た魂は別体として転生するはずなのだ。
魂が肉体に残るなど、ましてや億の時間を転生してから生きた僕の……。
驚きよりそれは、僕に課せられようとした縛りの呪いより、酷いことだと思った。その上、彼は、いや彼らは……。
「そんなに悲しそうな顔しないで。お兄ちゃんはやっぱり、優しい。」
「ぼくはね、ありがとうがしたかったんだ。」
「ぼくはたのしかった。とってもたのしかった。このながい、ながいあいだ。」
「いろんなものをみたよ。おっきなそら。そらより遠いところ。それよりもっと遠いどこか。しらないいきもの。しらないおにいちゃん。しらないおねえちゃん。変わっていくいろんなものと、残っていくいろんなもの。たのしいこと。かなしいこと。つらいこと。」
「ぼくじゃ見れなかったいろんなものを、見せてもらった。」
辿々しく、しかし真摯に伝えるその言葉に嘘偽りがないことは、術なんか使えなくても、使わなくても、明らかだった。
少女が言う。
「私は最初、貴方を守りたかった。でもいつか、貴方の温かな心の中で守られて、多くをもらった。私は、私たちは辿り着いたの。したいこと、やりたいこと、魂の果てまで。貴方を守ることが、私の願い。」
「お兄ちゃんはまだまだ、あるんでしょう?なくならないほどいっぱいの、おねがいが。」
「ならだめだよ。あきらめたくないのにあきらめるなんて。この世には無限の自由があるって伝えてくれたのは、お兄ちゃんなんだから。」
「私たちは貴方を守って、貴方にもらったものを返すことが出来る。全部が叶うなんて、幸せ者なの。」
口を出て叫んでしまう。
嘘偽りない、心の底からの気持ちだと、分かっているのに……。
「何を馬鹿なことを!僕は君たちの何万回もの生きる機会を棒に振らせて、それで、こんな終わりを、いやこんな終わりすら生ぬるい……こんな!こんな!」
崩れる僕。
同時に一面の雪景色も文字通り崩壊し、白昼夢の如き世界は消えようとしている。
「いやだ!だめだこんな!護れていない!僕は決して全部をなんて!」
「君らの願いは聞き届けられちゃ駄目だ!僕のようにはじまりもおわりも無くな……」
崩れる中二人の顔が視界に映る。
その笑顔が、全てを語っていた。
「ぼくね、したいことが2つあったの。」
「お兄ちゃんにあいさつすること。あともうひとつは、ありがとうをすること。」
「ありがとう。」
少年の影は景色へと吸い込まれる。
「もうここへは返ってこないでね。橋は焼いたのだから。」
光などない世界で、彼女の瞳の涙はキラキラと反射した。
「大好きよ。ハル。」
重力に逆らえず堕ちていく中、あのときの二人の声を聞いた。
「我らが魂を、永遠の贄として捧げる!」
「願うは一つ」
「其方らが主に、生のはじまりを返せ!」
僕は立つ。
微風の吹く大通り。
今日も明日も、いつまでか人々の暮らす、この世界に。
「師匠!何してるんですか!次の街に行くんでしょう!準備できてるならテキパキしてください!全く……長く生きると時の流れを遅く感じるってマジなんですか?」
「……何か、昔のことでも?」
掠める風には、温もりがあった。
「いや、何も。」
レーヴ・フェルム WASHI(ワシ) @WASHI_8756
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