後半

「さあお姉ちゃん、もういいでしょう? 尊さんに迷惑だわ」

 先頭にいたはずの桜子がすぐ側におり、巾着を提げているほうの手首を掴んできます。私は仕方なく尊さんに握られていた手をわざと払うような仕草をしました。温もりが、名残惜しくも離れてゆきます。

 桜子は私を連れ、さほど歩かない場所で立ち止まったかと思うと、肩を押して椅子に座らせました。恐らく、鳥居の入口付近に設けられた縁台でしょう。傍らでうちわを扇いでいる人がいるのか、私の頬にまで風が吹きつけてきます。それにのって、屋台の香辛料や焦げの匂いが漂うのでした。

「町内の人たちですごく混んでるから、ここにいたほうが安心よ。私は尊さんと行動するけど、悪く思わないでね。私だって普通に楽しみたいのよ。でも、何か欲しいものがあるなら買ってきてあげるわ」

 桜子は私の意見など聞かず、母から貰った紙幣を巾着から抜き取り、去っていきました。妹はきっと、尊さんと二人きりになりたかったのでしょう。世話のかかる私が足手まといだったに違いありません。

 独りになった私は、急に周りのざわめきが虚しいものに感じてしまいました。

 私だって普通に楽しみたいのよ。

 桜子の言葉が頭を巡ります。私は初めて着る浴衣や、夜の外出を許可されたことに浮かれ、妹の気持ちを蔑ろにしていました。自分だけが楽しめない立場であるのだと、思いこんでいたのです。

 私を連れて歩くことは、桜子にとって負担でしかなかったのでしょう。口に出さずとも、きっと今までも――。

 私は涙が堪えきれなくなり、打ち上がった花火を背にして駆け出しました。途中、何度も人様の肩にぶつかりながら、必死に会場から逃げました。人声も、祭囃子も、屋台の匂いも、あっという間に私から遠ざかっていきます。

 闇雲に走り、ついに草叢に足をとられて転んでしまいました。さらに傾斜になっていたために私の躰は回転し、川原の浅瀬に半身が潜ってしまいました。夏とはいえ、川の温度は氷水に浸っているように冷たく、痛みで動けない私を次第に震わせてきました。

 ですが、助けてくれる人はおりません。私は自力で上体を起こして草叢に這い出ると、その場で声を思いきり出して泣きました。自分の存在を忌々しく感じ、太股を力いっぱい拳で叩きます。ですが、そのうち母から譲り受けた浴衣が不憫になって、やむなく行為を中断しました。

 花火が頭上でドン、ドンと壮大に響き渡ります。それに伴い、人々の歓声が遠くから波のように押し寄せてくるのでした。私は、もしかしたら自分が死んでしまったのではないかと思いました。本来なら神社の境内にいて、周りの町人と花火を楽しんでいたはずなのに。

 ふと私の耳に、草叢を掻き分けてくる摩擦音が届きました。その人は川原の畔にいる私に気付いたようで、途中で駆け寄ってきました。抱き締められた私は彼の背中に腕を回し、頻りに愛おしいその名前を呼びました。

「……ああ尊さん、尊さん」

 こんなに躰を火照てらせて、私のような人間のために跡を追ってきたのでしょう。尊さんは私を抱いたまま何も言わず、不意に唇を合わせてきました。初めてのことでしたから、私は戸惑いつつも尊さんの温もりを受け入れました。顔が見えずとも、彼の優しさが伝わってきます。尊さんは私を解放すると、呼吸を整えてから言葉を発しました。

「……撫子さん、貴女はまだ知らないかもしれないが、僕の父と貴女の母は、……近いうちに結婚するんだ。妹の桜子ちゃんは、とっくに知っていることだ」

 私は耳を疑いました。そんな話を一度として母の口から聞いたことがなかったからです。父亡き後、私の自宅に尊さんの父が時おり訪問してきたのは、ただ母を励ますだけでなく、つまりもっと深い意味があったからなのだと今更ながら理解しました。

「嘘、嘘よ。じゃあ、私と尊さんは……」

「……そうだね。いずれ兄妹になる」

 私は首を振りました。恋心を持つ人と家族になるとは、あまりにも残酷なことでした。母にも妹にも知らされなかったということは、結局私の存在は再婚話の邪魔になるしこりでしかなかったのでしょう。脱力する私に、尊さんは語りかけます。

「勘違いしないで欲しいことが、ひとつあるんだ。桜子ちゃんはね、僕が……君を好きだということに気付いていたんだ。今日だって撫子さんにきつく接していたけど、僕との仲をこれ以上縮めさせないためでもあるんだ。でも、僕は……」

 意外でした。尊さんと家族になるにあたって、桜子が少しでも私たちが正常な関係になるよう、間に入って調整していたのです。ですが、既に歯止めのきかないところまで来てしまっていました。それは尊さんも同じです。

 浴衣の帯を徐々に解かれた私は、草叢に倒れるように横になりました。間を置かずに覆い被さってきた尊さんの手が、半襦袢の下に潜りこんできます。私はじっとして動かず、尊さんに囁きました。

「尊さん、人生で私を最後に愛してくれれば、私はそれで充分」

「だからって赦されない。……でも止められないんだ」

「続けて。……だって、まだ兄妹じゃないわ」

 尊さんは私の髪を優しく撫でると、私の浴衣を静かにはだけました。

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最後の夏祭り 夏蜜 @N-nekoko

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