シェアされたプディングと忘却のカスケード
「仕事はいいのか。今度はまだ辞めてないんだろう?」
父親の言葉に僕は答えない。
母親は何も言わずキッチンで洗い物をしていた。
僕は敗北した。
最終盤まではうまくいっていたはずだ。僕はあらゆるルールを破りながら物語を強制的に前へと転がした。エックスで読んだフィールドの隙間からボスエリアへ移動し、アクセルで敵の動きを見て論理チェーンソーを叩きこむ。その身の半分が巨大な昆虫と化した化け物女も、黒い肉塊が絶えず全身をのたうつ大ダコも、システムの内側から体をこじ開けて掻っ捌いた。問題は最終ボスの手前で起きた。論理チェーンソーの挙動がおかしくなった。ガリガリと何かを刃の間に噛むように動きが鈍り、それに合わせてゲーム全体に細切れのラグが生じる。練習ではこんなことはなかった。まあいい。あと一戦だ。そう考え直して最終ボスエリアにアクセスしたとき、それは起きた。
どうした?
次の瞬間に視界がブラックアウトした。
ハングアップ。ゲームを壊しすぎた。クラッシュしたんだ。
クラッシュは最悪だ。
意識が頭から一メートル上に出ているような虚脱感が二日は続く。味もにおいも希薄になり、全てが薄っぺらなハリボテに変わる。両親といても憂鬱になるばかりなので、行くあてもなく散歩に出る。しばらくはゲームをしようなんて気分にもならない。
コーヒーを買おうと財布を広げたところで、見覚えのない黒いカードが目に入った。手に取ると、表面を緑色の文字列が滑っていった。触れたところが切れて、指先から一滴、血が落ちる。
家に帰ると、相変わらずキッチンに立っている母と、テーブルで新聞を開く父がいた。
僕は父をよく観察する。
たるんだ顎と首の間に、それを見つける。
「なんだ、どうした。仕事に行ったんじゃないのか」
そう言った父を構成するテクスチャの綻びに、黒いカード──ロジカルナイフ──を突き入れた。そのまま力任せに傷口をこじ開けて、腕を肩口まで突っ込んだ。不快な肉の感触を感じながら、体を押し込んでいく。
「お目覚めか」
僕は最終ボスエリアの扉の前に立っていた。
最初に聴こえてきたのは女の声だ。同時にオレンジのシルエットが扉の向こうに消える。ガチャと名乗っていた対戦相手か。
僕はタイマーをちらりと見る。三十四分八秒。僕はここで二十秒ばかり虚脱していたようだ。チップの使いすぎによる現実と虚構の混濁──フラッシュバック。僕としたことが。熱くなりすぎていた。
それから、今はもういない両親に会えたことを思い出して一瞬だけ感傷的になる。
次の瞬間には切り換える。
まだ追いつける。ここからだ。この工程は得意なんだ。
論理チェーンソーはシステムへの負荷が大きすぎる。僕はインベントリにロジカルナイフで切り込みを入れて、アイテムコードを入力する。
[xxx0.50mgx]。
立て続けに入力する。
[xxx0.50mgx][xxx0.50mgx][xxx0.50mgx][xxx0.50mgx]。
ユニークアイテムであるはずのその銃が、インベントリ内に複数生成される。それらを詰将棋のように動かすと、アイコンが重なり、右下に[2]と数字が表示された。武器は本来スタックしないが、特定の操作でバグを誘発させ、このように重ねることができる。弾薬ではなく武器をスタックさせる理由は、この手法なら一発ずつ撃たなくても、システム上で射撃を並列処理できるからだ。
[xxx0.50mgx][xxx0.50mgx][xxx0.50mgx][xxx0.50mgx]。
繰り返す。
ゲームの処理が加速度的に重くなり、ガタつき始めるが、先行入力の要領で構わず操作を重ねていく。
これで充分だ。
六十挺スタックしたハンドキャノン──五十口径マグナムがインベントリに残る。
肌にひりつくような痛みが突き刺さる。ゲームがクラッシュしかけているのだ。
大丈夫だ。あと一発──六十回分の一発──撃つまで保ってくれればいい。
僕は扉に手をかける。
/
その翌日のことだ。
ゲーム関係で使っている携帯のコミュニケーションアプリにメッセージが入っていた。
ガチャと名乗るアカウント──あの対戦相手だった。
破棄された軍用秘匿回線を使ったオンラインのVRTAリーグへ僕を招待したいと言う。最初の試合は十日後。
「種目は何だ。それにオンラインのバーチャなんて大丈夫なのか。塀の中はごめんだ」
「種目は"マイアミ"。回線は安全だ。それから、"バーチャ"なんて言葉はもう使うな。私たちはこのリーグをこう呼んでいる」
それが僕の新しい戦場の名前らしかった。
グリッチヘッド エヮクゥト・ウャクネヵル・²テラピリカ @datesan
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