認識加速論理のラグドールチェーンソーエッジ
僕はガレージの巨大な鉄扉の前に立っていた。
この農場の地下では宿主の体を異様なものに変態させる未知の寄生カビが繁殖していて、それによって怪物化した元人間を時には倒し、時には避けながら、ここに辿り着く。
普通にゲームを進めるのであれば、ここまでには様々な敵との戦いがあったはずだ。謎解きがあったはずだ。小さな成功体験と成長を繰り返してここに辿り着いたはずだ。
ゲームは過程を楽しむもの。
でもそんなことは今の僕には関係のないことだ。
視界右上のタイマーのデジタル数字が六分三十五秒を指していた。
僕はすべての過程を圧縮して破壊し、ここにいる。
扉の向こうにはエリアボスが待っている。
バグを多用したスピードランといっても、ひとっ飛びにゴール地点まで行けるわけじゃない。クリアのためにために必要な条件──言い方を変えればフラグ──がある。
このゲームでいえば、幾つかのイベントと複数のエリアボスがそれにあたる。
関門になるのはエリアボスだ。
普通にプレイしていれば手元にあるはずの武器や、有効な手立てを持たないまま、ボスを打倒する。それも、出来うる限りの速さで。
僕はヴァーチャルコンソールから少量のアクセルを投与して、赤く塗られた観音開きの巨大な扉に手をかけた。
始まったイベントムービーを最短のタイミングでスキップすると、待ち焦がれたとでも言うように禿げ頭の大男がこちらに向かって突進してくる。二メートルを軽く超える体躯に、本能的な恐れを覚える。鼓膜を暴力的に叩く意味不明な怒声。その丸太のような両腕が握りしめるのは巨大なチェーンソーだ。改造車のエンジン音のような不快な爆音が轟く。
パターンは決まっている。こちらが動かなければ相手は正面から来て、右上から袈裟切りでチェーンソーを振り下ろしてくる。触れれば問答無用でゲームオーバーとなる即死攻撃。冷えた頭でそのモーションの出始めを確認したところで、先ほど入れたチップ、アクセルが効き始めた。
アクセルは精神加速の作用を持ったチップだ。
体の至るところに鉛の重りを結び付けられたような不快な感覚。次いで、急に部屋が水で満たされたかのように、すべての動作が緩慢になる。スローモーションでこちらに向かってくる大男の、ぬらぬらと顔面を伝う汗まで確認できた。
アクセルはなかなか難しいチップだ。認識が加速するといってもこちらの動作が早くなるわけではないから、そのギャップを織り込んだ上でアクションを起こす必要がある。使用にかかる負荷も大きい。投与量を間違えば、船酔いを五倍酷くしたような症状で即座に気を失う。
僕はあくまで自分の主観にのめり込みすぎないように注意しながら、冷静に大男を観察した。チェーンソーを振り上げる肘のあたりに僅かな綻びが見える。アクセルの影響下では長い隙に見えても、実際にはチャンスは一瞬だ。短く息を吐いて、そこにロジカルナイフを滑り込ませる。
瞬間、激しいラグが生じる。コマ送りのように視界がガタつき、大男は体を構成するポリゴンを派手に明滅させた。壊れたラジオを思わせる太くひび割れた絶叫。僕は脳に熱湯をかけられるような不快感に耐えながら更にナイフを突き込む。大男の腕の傷口から、ゲームの内部へ。現実をまるごとミキサーに入れて撹拌したような衝撃の後に、男は一瞬ぴたりと静止したかと思うと、その場で黒い肉塊の山に変わった。
僕の手には、男の腕からシステム上で切り離したチェーンソーがある。普通であればプレイヤーに扱える武器ではないが、ロジカルナイフによる論理干渉──ロジカルハック──がこれを可能にする。最速攻略には、このチェーンソーが不可欠だ。ダメージ値でなく、即死攻撃という機能だけを持った武器。いわば、論理チェーンソー。
手の中のそれを見下ろしていると、オレンジのシルエットがすぐ横で両手を握ったり閉じたりしているのが目に入った。恐らく相手は、グローブのような形にハックツールを加工しているのだろう。なんとも凶暴なプレイスタイルだ。
僕は切れたアクセルが頭を締め上げるような不快感に耐えながら、ガレージから裏手の沼地へ抜ける地下通路へアクセスする。その曲がり角からテクスチャをこじ開けて、セットの裏へ回る。全身を撫でる疼くようなポリゴンの感触を無視して、歩みを前へと進める。
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