わたしは幼馴染みふたりの後ろを付いていくしかできない

いなばー

ふたりの後ろを

 ちいさい頃、三人はいつも並んで歩いていた。


 いつからだろう? わたしだけ後ろから付いていくようになったのは。

 前をいく二人はまぶしくて、その隣にいる勇気がなくて。


 お似合いの男子と女子を眺めていると、胸がちくりと痛むけれど。

 一人だけ離れる勇気もまだなくて……。




 いとちゃんが急に振り向いた。

 背にした朝日に透かされて、薄茶の長い髪が光ってるみたい。


「さとちん、今日の宿題やった?」

「数学のだよね? 全部終わってるよ」


 いとちゃんが明るい笑顔を咲かせる。

 次のセリフは分かっていた。


「じゃあさ、ノート見せ……」

「バカヤロー」


 こうくんが隣のいとちゃんに軽くゲンコツを落とす。

 当然、本気の力じゃない。

 中学に入って一年経って、こうくんはすっかり男の子になったから。


「暴力だ! かよわい乙女になんてことする」


 いとちゃんが口を尖らせ抗議する。

 目を細めてにらんでも、この子が美人さんなのは変わらない。


「今は乙女とか関係ねーよ。さとは自力でやったのに、自分だけ楽しようとすんな」

「仕方ないんだよ。お昼休み使っても、自力で解ける私じゃないんだから!」


 なぜか得意げな、いとちゃん。


 自分に自信があるから、勉強できないくらいどうってことないんだろう。

 こういうところ、本当にうらやましい。


「写すのは絶対ダメだ。教えてもらえよ」

「こうくんは教えてくれないんだ?」


 ふらふらと、こうくんの視線がいとちゃんから離れた。

 ここにいる中で、この子が一番勉強が苦手なのは、三人ともよく知っている。


「いとちゃん、わたしが教えるから。それでいいよね?」

「おお、サンキュ、さと」


 そうお礼を言ったのはこうくん。

 助け船なんて出すぎた真似? そんな不安が消えてなくなる笑顔を見せてくれた。


 せっかくのその笑い顔を、わたしはきちんと見ていられない。

 なにかをごまかすみたいに、両手をパタパタと振ってお互いの視界をさえぎって。


 何をごまかしてるの?

 お風呂上がりより火照った頬、走った後みたいな胸の音、へたり込みたくなる落ち着かない足元。

 私をそうさせている、胸の奥にあるらしい想い。


 意識しないようにしているのに、想いは急に胸のうちを占めてしまう。

 そうなった時、どうしたらいいのか自分でも分からない。


 今みたいに変な態度を続けたら、こうくんをきっと困らせてしまう。

 抜け出せない焦りの中で溺れていると、不意に身体が柔らかなものに包まれる。


「ありがと、さとちーん。愛してるっ!」


 高い背のいとちゃんに、ぎゅっと抱きしめられた。

 これはこれで恥ずかしいけれど、助かったという思いの方がずっとおおきい。


 いとちゃん、なんでこんなにいい匂いがするんだろう。

 同じ女の子のようで、二人はまったく別の生き物なんだ。




 結局、いとちゃんの宿題は昼休みの間に終わらなかった。

 放課後に提出するからと頼み込んで、先生にはなんとか許してもらう。


 そして授業が終わった後、いとちゃんが頑張るのをわたしも手伝った。


「終わったー!」

「お疲れさま」


 だけれど、いとちゃんは宿題を終えてもすぐには帰れなかった。

 数学の先生は男子サッカー部の顧問をしているので、部活が終わるまで待っていろと言われたのだ。


「はぁ……どんだけ待たせるんだよぉ」


 机の上に伏せてしまういとちゃん。きれいな髪が机いっぱいに広がる。


 わたしと違って癖なんてないまっすぐな髪は、お姉さんのリンスを勝手に使っているからとてもいい匂いがした。


 いとちゃんに見蕩れていると気付いたわたしは、あわてて顔を上げて教室の時計を読んだ。


「もうすぐだよ、いとちゃん」

「ごめんね~、待たせて~」


 この幼馴染みはうなり声までかわいい。思わず頬が緩む。


 それから数分も経たずにチャイムが鳴った。

 いとちゃん、すぐさま顔を上げる。


「終わった!」


 さらに両手を上げておおきく背を反らせた。


「やっとだぞ、こうくんめ~!」

「こうくんを恨んじゃダメだよ」


 本気じゃないのは分かっているけど、今この場にいない子をかばう。


 いとちゃんは怒った顔で両手を下ろした。


「あいつはホント、恩知らずだよ。日曜にあれだけごちそうしたげたのにさ」

「ごちそう?」


 昨日、日曜日になにかあったのかな? 私は知らない。


「そう。私、服ほしかったから都会に行ったんだよ、こうくん連れて」

「お姉さんじゃないんだ?」

「カナちゃんはカレシとデートっ!」


 思いきり顔をしかめ、不満をわたしに見せつける。いとちゃん、お姉さんが大好きだもんね。


 不満顔のまま、ため息をついて話を続ける。


「仕方ないし、こうくん引っ張ってったの。でもホント、あいつダメ。試着して見せても、マトモなこと言えないんだから」

「ふふ、こうくん、いつもいとちゃんの服をほめられないもんね」


 三人が私服で集まったら、毎回いとちゃんはほめるように命令して、毎回こうくんは適当にごまかした。そのやり取りを、毎回わたしは笑って見ている。


 そういえば、いつからいとちゃんはファッションの感想を言わせようとし始めたんだっけ?


「今でも憶えてるよ、小学五年の私の誕生パーティ。メッチャおめかししてるのに、なんにも言わないんだもん。ホントこいつダメだ、ってなったね」

「ああ、わたしも覚えてる。いとちゃん、お姫様みたいにかわいいのに、すっごいキレちゃってたんだよ」

「はぁ~、あいつなんて連れてくんじゃなかった。それでも荷物持ちしてくれたしさ、喫茶店でごちそうしたげたんだよ」


 それがさっき言っていた、ごちそうか。

 喫茶店って言い方をしたから、前にお姉さんと一緒に行ったという昭和っぽいお店のことかな。すごく気に入ったと聞いているし。


「パフェが美味しいって言ってたよね? でも、こうくんがパフェ?」

「あいつはカツカレー。ガツガツ食べてた」


 その姿がすぐに思い浮かび、笑い声が出てしまう。


「あの調子じゃ、女の子とマトモなデートはムリだね、ムリ。一生ムリじゃないかな?」

「デート? あ、そうか。日曜日のはデートだったんだね」


 それに気付いて胸がちくりと痛んだ。


 文句を言いながらも楽しそうな、いとちゃん。そんな子の買い物を両手いっぱいに提げて、それでもこうくんも楽しかったに違いない。


 お似合いのふたりの隣に、わたしの場所なんてあるわけがなかった。

 邪魔なだけ。


「なに言ってるの! 違う違う! デートじゃないって!」


 両手をおおきく振り回し、いとちゃんが否定する。


 もしかして、わたしの暗い気持ちが顔に出た?

 いとちゃんなら、ちょっとの変化にも気付いてしまうのに。


「ごめん。わたし、ヘンなこと言っちゃったね」


 精いっぱい明るい顔になって、わたしにとっても都合のいい、いとちゃんの言葉を真に受けた。


「そうそう。ホントはさとちんの方がいいんだよ。けど、人が多くって都会はダメでしょ?」

「うん、苦手だね。田舎者だし」

「私も田舎者だよ。都会に出るといっつもキョドキョドしちゃう」


 大げさに怖がる真似をする美人さん。


 そんないとちゃんなんて想像できないんだけど。

 いつもさっそうとしているのが、わたしのいとちゃんなのだから。


「こうくんも田舎者だし。日曜は、田舎者ふたりで都会をキョロキョロうろうろしてたんですよ」


 本当はどんな日曜日だったのか、わたしにはわからないけれど。

 知りたいよりも、知るのが怖いの方がずっと大きかった。




 それからふたりは別れ、いとちゃんは職員室へ。わたしは昇降口でいとちゃんを待つことにした。


 先生は宿題忘れ犯をすぐには解放してくれないだろう。

 小言にうんざりした幼馴染みを慰めるのが、わたしの役割だ。


 廊下の先にある職員室を見ていたら、不意にうしろから話しかけられた。


「いと待ちか、さと?」


 こうくんの声変わりが始まった低めの声に、思わず身体をびくつかせてしまう。


「お、悪い。急に」


 振り返ったら、サッカー部のユニフォーム姿のこうくんが、頭をかいて困っていた。

 あまりにも臆病すぎる自分が恥ずかしくなる。


「ううん。部活、終わったんだ?」


 男子サッカー部の練習が終わったから、いとちゃんは顧問をしていた先生に会いにいけたのだ。

 分かりきったことに、言いながら気付く。わたしにはこういうことが多い。


「まぁな。今日は軽く流して終わりだ」


 それでも汗をかいているのが分かる。

 運動部の「軽く流す」は、帰宅部のわたしの全力をはるかに上回るに違いなかった。


 こうくんとわたしは違いすぎて、どんな言葉を選べばいいのかわからない。

 ズレたことを言ってしまったら消えたくなる。

 不器用なこうくんにフォローなんてさせたくないし。


 どうすればいいんだろう?

 胸の内が想いでいっぱいで、いつも以上に頭が働かない。


「あー、さと?」


 ムリに沈黙を破ったせいか、こうくんの声にはいつもの力強さがない。

 わたしがうまく喋られないせいで。


「ごめん」

「ごめん? なにが?」


 聞き返したこうくんはとまどっているみたいだ。

 なのに、なにがごめんなのかうまく説明できない。


「いや、いい。それより、さと明日の放課後ひまか?」


 こうくんはムリに話題を作ろうとしている。

 美人さんをほめることもできない子なのに。


「ヒマだよ。わたし帰宅部だし、いつもヒマ」


 ぎこちなく、どうにか返事ができた。


「そっか、よかった」


 マトモに会話ができないわたしのせいで、こうくんも居心地が悪そう。

 つま先をタイルの床にこすり付けたりしている。


 それでもこうくんは優しく会話を続けてくれる。


「明日、練習試合でレギュラー決めるんだ。公式戦のレギュラー」

「そうなんだ」


 帰宅部にはわからないけれど、レギュラーになるのは大切なことなのだろう。


 こうくんはなるのかな?

 そう聞きかけて、よくわかってない奴は、よけいなことを言わない方がいいと気付いた。


「あんま興味ないよな」

「え? そんなことないよ」


 なにも言わないのもよくないみたいだ。

 どうすればいいのか正解がまるでわからない。


「あのな、さと」


 そのこうくんの声は余裕なく上ずっていた。

 驚いて、今日初めて幼馴染みの顔をまともに見る。


 なぜだか表情が強ばっていた。とても緊張しているみたいに。

 そうなる理由なんて思い当たらない。


 気付かずなにか失敗したのかな?

 じわじわと不安が覆いかぶさってくる。


「さと。明日、試合見にきてくれ」

「試合?」


 思ってもみないことを言われて聞き返す。


 都会に服を買いにいくのすら苦手なわたしなのだ。

 帰宅部の反対側にいる運動部の試合を観るなんて、想像したこともなかった。


「そう。俺、その試合出るし。見てほしい」

「なんで? なんでわたしが?」

「だよなぁ……」


 こうくんが下を向いてしまう。

 おかしな聞き方をした? けど、なんでわたしが?


「さとちんに見てほしいんだよっ♪」


 急に後ろから抱きつかれた。

 あいかわらずいい匂いのいとちゃんが、わたしの頭に頬ずりしてくる。


「見てほしい? 試合を? なんで? わたしが?」


 わたしは混乱の中にいた。

 幼馴染みふたりの言うことがまるで理解できない。


「だよなぁ~~~」


 こうくんがその場でうずくまってしまう。


 そんなこうくんを指差しながら、いとちゃんがかわいらしい笑い声を出す。

 わたしだけが何もわかっていない。


「さとちん。明日の練習試合とかいうやつは、こうくんがレギュラーになれるかどうかの試合なんだよ」

「そうなんだね。帰宅部にはよくわからないけど」

「私も帰宅部だけど、大事な時は応援ほしいのわかるよ?」


 後ろから抱きついたまま、いとちゃんがわたしの顔をのぞき込んでくる。

 そうやって見つめ合っているうちに、わたしにも少しずつわかってきた。


「じゃあ、いとちゃんとわたしで応援するんだね」


 わたしは余分だと思うけれど。

 応援されるなら、いとちゃんみたいにかわいい女の子の方がうれしいに決まっていた。


「私は行かな~い」


 わざとらしくおおげさな身振りで、いとちゃんがそっぽを向く。

 わたしはまたわからなくなった。


「いとちゃん行かないと、こうくんがっかりするよ?」


 ふたりはちいさな時からずっと一緒の仲よしなのだし。


 ううん。

 

 ただの仲よしじゃない、もっと大切な関係。

 わたしを置いて、ふたりはそういう関係に進んだはずなんだ。


「私なんかどうでもいいし」


 いとちゃんが、自分の長い髪を人差し指で弄りながら言う。


「どうでも……ってことないよね?」

「ううん。こうくんにしたら、私なんてどうでもいいの。さとちんに比べたらね」


 にんまり笑う幼馴染みの言うことがわからない。

 こうくんにとって、いとちゃんは大切な人なのでは?


 あいかわらず下を向いてうずくまっているこうくんを、いとちゃんが軽く蹴飛ばす。


「ほら、こうくんがシャキッと言わないから、さとちん訳わかんないってなってるじゃん」

「……そんなの、まだ言えねぇよ」


 こうくんの地べたを這うみたいな低い声は、今まで聞いたことがないくらい弱々しい。


「公式試合で点入れて勝ってから? そんなのいつになるかわかんないって、私、昨日言ったよね?」


 つま先でこうくんの背中を突っつき続ける、いとちゃん。

 ふたりが知っていることを、わたしだけが知らない。


「いとちゃん、どういうことなの? わたし、きちんと受け止めるから……ホントのこと言ってほしい」


 覚悟を決めてそう言っても、いとちゃんは顔を横に振って応えてくれない。


「私が言うのはダメなんだよ。とにかく、明日の試合はさとちんひとりで行って。一回お家帰って、めいっぱいおめかしするように」

「うん……わかったよ。いとちゃんが言うなら」

「お! やったぞ、こうくん!」


 いとちゃんがおおきく足を振ってこうくんの脇腹を蹴る。

 横倒しになったこうくんは、そうなってもわたしに顔を向けてくれない。


 しばらく様子を見ていると、ゆっくり起き上がった。

 なのに、あいかわらずわたしを見ようとしない。


 謎だらけの中から、ひとつだけ聞いてみる。


「よくわからないんだけど。試合を観るのに、めいっぱいおめかしなの?」


 言った瞬間、こうくんがびくりと身体を震わせた。

 耳が赤くなっている気がする。


 いとちゃんはいとちゃんでおおきな声で笑いだす。

 こうくんの肩をバシバシと叩いてとても楽しそう。


「わかってるよね、こうくん? 昨日私で練習したみたいに、ちゃんとほめるんだよ?」


 そう言ういとちゃんを、しっしと片手で追い払おうとするこうくん。


 いとちゃん、くるりひと回転してこうくんから離れ、ビシッとわたしを指差した。


「めいっぱいおめかしだよ、いとちん。小五の時はぼさっとしてたこうくんが、今度はきっちりほめてくれるからね!」


 小学五年のさとちゃんの誕生パーティ。


 あの時、さとちゃんと一緒にドレスを着てお化粧をして。なのにこうくんは何も言ってくれなくて。

 わたしが泣きそうになったから、さとちゃんは怒ってくれたんだ。


 それから、さとちゃんは女子ふたりのファッションをほめるよう、こうくんに命令するように。

 だけれど、今まで一度もこうくんはほめてくれていない。


 今度はほめてくれるの?


 それがどんな意味を持つのかなんてわからない。

 ただ、止めようもなく胸が高鳴る。


「わかったよ。楽しみにしてる」


 こうくんの背中にそう言うと、確かにこうくんはうなずいた。

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わたしは幼馴染みふたりの後ろを付いていくしかできない いなばー @inaber

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