SUMMER LIMIT
ことと
SUMMER LIMIT
俺は自分の故郷をただの不便な田舎としか思っていないが、この丘は好きだ。
丘の上から見るこの景色は、少し高い所から見渡せるため、小さな自分が大きくなったように思えるからだ。
いつも俺の目の前に移るのは、昔から変わらないこの景色。
──変わるはずがなかったこの景色──
「新学期に1/2成人式をやります。その時のスピーチでどんな大人になりたいのか発表してもらうから、夏休みの内に考えておいてね」
教壇に立って開口一番、担任の先生はクラスの全員に向けてそう言った。
(1/2成人式ねぇ。正直何の意味があるのかわかんねぇな)
その先生の話に対して、俺は内心そう思っていた。
話によるとこの大人である20歳の半分の年である10歳を迎える小学4年の俺たちに対して親子参加形式でイベントを行いたいらしい。
しかし俺はそれ自体が気に入らない。法律で定められてもいないのに10歳を迎えてあと少しで大人なんだと言われたところでピンと来るはずがない。
(ま、どうせ「もう君たちは半分大人なんだからしっかりしなさい」って言いたいだけの大人の都合なんだろうけどな)
手間がかかる子供に対して、少しでも大人の負担を減らしたいだけの策略のようなものだろう。俺は全部わかっているんだよと心の中でそう思っていた。
「皆は大人まで後半分なんです。だからこれからはよりしっかりして、勉強やスポーツを頑張りましょうね」
ほらやっぱりそうだ、とその後の先生の言葉で確信した。
年は30代後半で、幼稚園に通っている子供がいる女の先生。その立ち位置から話す口調こそ穏やかだったが、そこには何処となく棘が含まれているようにしか聞こえなかった。
(大人って人種は、直ぐに「赤ん坊じゃないんだから自分でやりなさい」って突き放すんもんだよな)
クラスの奴らははしゃいでいるけど正直のせられすぎだっつうの。
~~~~~~~
「しんや! お母さん、もう仕事行かなきゃいけないから早く朝ごはん食べちゃいなさい!」
夏休みが始まって1週間も経った朝の事だ。
既にスーツ姿に着替えてアタフタしている母親は、俺にそう急かす。言われなくてもちゃんと食べてるっての。
「わかってるよ。忙しいんだろ、構わず仕事行きなよ」
俺はけだるげにそう言いながら、目の前のトーストに噛り付いた。
「あぁ、そうそうお母さん今回の仕事で5日間は家を空けちゃうから。その間一人になっちゃうけど家の事お願いね」
俺の父親は、単身赴任で遠くに行っている。そして母親も仕事熱心な人間だからこうして泊りがけで家を空ける事はしばしばある。おかげでずいぶんと料理や掃除といったスキルが身についてしまった。
(まぁお金はしっかり用意してくれるし、貧乏しているって訳じゃないから文句も無いけどな)
「それにしてもここ最近バタバタしてて困っちゃうわ。噂によると引っ越してくる人もいるみたいだし…」
もう引っ越しのうわさが立ってるのか、越してくる人は大変だな。
預金通帳はいつもの場所にしまってあるから。そう言い残して母親は慌てて仕事に出かけて行った。
「まさしく母さんみたいな人こそ、『早く大人になれ』って言いたがるんだろうなぁ」
誰もいなくなった家で、一人俺はそう呟いた。今日の目玉焼きは固かったな、俺は半熟の方が好きなのに。一人でいる為か知らないが、そんなよけいな事をついつい考えてしまう。
「まぁ宿題の締め切りにも余裕があるし。今日はいつもの場所であいつらと遊ぶか」
どうせあいつらも暇だろ。そう思いながら俺は家を出た。
~~~~~~~
「おいおいマジかよ~。ちょっと付き合いが悪いにもホドがあるんじゃね?」
しかし俺の予定は、携帯のスピーカーから聞こえてきた友達の、ゴメン今日から3日間は無理という非情な返事に砕け散る事になった。
この携帯は家を空ける事が多い両親が心配だからと持たせてくれたものだ。流石に小学生だからスマホじゃなくて通話とSMSだけのガラケーだが、クラスで持っているのは俺一人なので若干の優越感はある。ある意味鍵っ子の特権だ。
「サッカークラブチームの夏合宿は5・6年生だけで俺たちは関係なかったはずだろ?」
「ゴメン、おとといコーチからお前も勉強になるから出ろって言われてさ。それよりしんや君はいつもの丘にいるの?」
「そうだよ。秘密基地」
そう、俺は秘密基地から電話をかけている。と言ってもたいそうな隠れ家なんてものでは無く、近所の児童公園にある丘の上にブルーシートと簡単な雨よけをして、そこで漫画を読んだりできる場所なだけだ。
正確には丘という訳でも無い。芝生の草原では無くあちこち木が植えられている為か、地面は土であり、所々には落ち葉がある。その為か夏は木陰になって涼しいのだ。
何とも昔の偉い人のお墓、古墳って言うんだっけ、そんな場所だ。お墓の上に溜まり場を作るなんて罰当たりな気もしたけど、俺としては何かに守られてるようで悪くなかった。
「今日こそお前とのゲームでの対戦、勝ち星の白を多くしようと思ったのによ」
「そりゃ残念。大体僕だけじゃなくて、ポーキーもいるでしょ?そっちは?」
「あいつの家は、昨日から来週明けまで家族旅行だってよ」
「そっか」
俺はこいつらとこの場所を作り上げた。勉強も運動もできて、常に柔らかい笑顔を絶やさない完璧超人。だけどその為か特定の親しい友人作りが苦手だった、今電話で話しているコイツ。給食ではお代わり常連というクラスで一人はいる大飯食らいで太っちょのポーキー。
入学してから4年の知り合いだが、どこかぶっきらぼうで近寄りがたいと言われクラスの皆から距離を置かれている俺とは何故か気が合った。この秘密基地は小学2年生の頃から半年かけて作り上げたものだ。
因みにポーキーと言うのはあだ名で、小さい子ブタを思い出させる容姿からつけられたものだ。何とも不名誉な物だと思ったが、当の本人は可愛いからいいって受け入れているらしい。いいのかそれで。
「とにかく、合宿から戻ったら連絡するよ。また日を改めて遊びに行こう」
「わーったよ」
「しんや君も合宿明けの練習には来なよ。最近休みが多いってコーチも心配していたからさ」
「別に体を動かしたいから入っただけだし…そんなガチでやるつもりはねーよ…」
「そう言うなよ、実力はあるんだから。それじゃまたね」
「またな」
そう言って俺は電話を切った。頭の中で考えていた楽しい一日の予定が崩れて出鼻を挫かれた気分だった。周りに聞こえるのは風に揺れる木の葉の音だけで、人がいる様子など全く無い。まさに一人だ。
「一人でここにいてもしょーがねーよな…金はかかるけど隣町のショッピングモールで暇を潰すか」
そう思い立った俺はさっそく現地に向かおうと丘を降り始めた。丘の斜面に立つと、さっきとは違った景色が見えた。
下を見ると、ブランコや鉄棒などが置いてある広い砂利の広場。
正面を見ると、数多くの真っ白い家が並んでいる住宅団地。
少し上を見上げると、横一列に並んでいる大きな山々。
今は夏で日差しが強いからか、見える物全てが白く照らされていて霞んで見えた。
俺はここから眺める事が出来る景色が昔から好きだった。まだ身長はチビと言っていい位な俺にとって、ここではいつもより高い視点で周りを見る事が出来る。自分が少しデカくなった。そんな気分にさせてくれるからだ。
特に山が好きな俺は、上を見上げる事が多い。
「相変わらず、この辺の山はでっけーよな…中学生になったら登山部とか入りたいけど、さすがにねーよな…」
少しナイーブな気分になりつつも、いつものように景色を楽しんだ俺は隣町に向かおうと視線を戻して、丘を降りようとした。
下した視線の先には、人がいた。
背丈の様子からすると子供だ。おそらく俺と同じ年くらいだろう。
誰だあいつ? 気になった俺は広場に降りて少し近づいてみた。うん、さっきよりは姿が良く分かる。
改めて見るとやっぱり俺と同じ年くらいの子供だった。
黒の長袖のシャツを着ており、ズボンは傷が入っているGパンだ。頭にはジーンズ生地のキャップをかぶっている。上向きの目つきも併せてクールな印象を受けた。
(この辺じゃ見ない顔だな…別の地区の小学校の奴か?)
相手は何もしゃべらず真正面にこっちを見ている。正直に言って愉快な気分はしなかった。
「お前だれ? ここらじゃ見ない顔だけど近所の奴じゃないだろ」
俺はポケットに手を入れながら、そう言って相手に近づく。少し怖い印象を与えれば、すいませんの一言位出るだろう。そう思っての行動だった。
しかし俺の考えとは裏腹に、相手はこちらを見つめるだけだった。
「なぁ、何とか言えよ」
その姿にイラっとした俺は、相手を小突こうとして胸元を押した。その時だった。
ふにっ
胸元の妙な感覚を覚えた俺は不思議に思って、手のひらを自分の方に向けていた。男相手にじゃれつく事はあるから知っているが、こんな柔らかいものが付いている男はいない。何だこれは…
バシィィ!
そう考えている最中、俺の右のほっぺたに強い衝撃が走った。あまりに強い勢いだったので、思わず横に倒れそうになったほどだ。最初は何が起こったのか分からなかったが、どうやらビンタを食らったらしい。
「お前っ、何すんだよ!」
「それはこっちのセリフなんだけど。この変態」
いきなりの激しい暴力に思わず声を上げたが、謝られるどころかむしろ変態呼ばわりされた。
「ちょっと胸を押しただけじゃねーか! こんな勢いで殴らなくてもいーだろ!」
「いきなり人の胸触っておいて何言ってんのよ」
「男同士だろ。女みたいな事言ってんじゃねーぞ!」
「私を見て男だと思ってたのなら、なおの事失礼なんだけど」
そう言って女は、頭のキャップを外す。そこには長い黒髪を後ろに縛り額を出している姿が見えた。オールバックというやつだ。
「お、女? お前女の子だったのか?」
俺は改めて、目の前の相手を見る。良く見れば髪の他にも肌がきめ細かい事に気付く。男でこんな肌をしている奴はいない。それに髪の毛からはなんかいい匂いが…って何考えているんだ俺は。
しかし相手に主導権を握られている気がしたので、俺は少しは反撃してみた。
「別に胸触ったくらいで騒ぐんじゃねーよ…雑誌の表紙に乗ってる女みたいにある訳でもねーんだし…イテテテ!」
言い終わる前に女は俺の後ろに素早く回り込んで、自分の腕を首にかけて締め上げてきた。忍者かこいつは。
「だれが、ぺちゃぱいの貧乳だって…!」
そう言いながら、女は締め上げる力を強めてきた。ヤバいこの女、殺る気だ。
「そこまで言ってねーだろ…っ! 雑誌に載ってる女みたいにある訳じゃないってだけで…わ、バカ!これ以上は不味い止めろっ、マジで死ぬ…」
アーッ!
誰もいないこの場所で、俺の悲鳴だけが大きく響き渡った。
~~~~~~~
「はぁ…はぁ…」
ひとまず、チョークスリーパーから解放された俺は、息も絶え絶えながらも仕掛けてきた張本人の女と広場のベンチに座っていた。
さっさとこの場から離れようとも考えたが、いくらこちらが勘違いしていたとはいえ、過剰な肉体言語に訴えられた身としては一言言わずにはいられなかった。くそっ、せっかくの一日が台無しだ。
「それで…お前は誰だよ。お前みたいなやつ小学校で見た事無いし、近くに住んでいる訳じゃないだろ」
改めて俺は隣の女に尋ねた。
「いきなり人の胸触ってきた男子に、いちいち詮索されたくないんだけど」
「それは謝ったじゃねーか…お前みたいな格好している女、クラスにはいないから分からなかったんだよ」
それは事実だ。俺の学年の女子はプリンセスみたいなスカートだの、可愛いフリルがどうだのという事しか興味がない。コイツみたいな恰好をしたいと考えている女子はいなかった。
「大体それを言うならあんたも同類だと思うけど。どう見ても小学生男子の恰好には見えないし。ここに来るまですれ違った男の子はみんな半ズボンを履いていたよ」
女は俺を見渡しながらそういった。俺の恰好は少々ダル着いた淡い藍色のカッターシャツに、足の裾が大きくラッパのようになっているダボついたチノパンだ。
「半袖半ズボンはガキっぽくて苦手なんだよ…クラブでサッカーする時以外は着ない事にしてる」
ふーん、そう。女は何とも興味無さげに呟いた。
「まっ。あんたの言った事は間違ってはいないけどね。私はここの子供じゃないし、地元は別にあるよ」
ある程度俺を締めあげたから気が済んだのだろうか。以外にも女は俺の疑問に答えてくれた。もっとも自身の膝に肘をつき、手のひらを顎にあてながらと気だるげではあったけど。
「なるほどね。だから俺をじっと睨みつけていたんだな。地元にはいない珍しい奴がいるって」
ようやく理解できた。せめて説得力がある理由が無いと睨みつけられる事に納得がいく訳が無いからな。
「は? 別にアンタを見ていたわけじゃないし。自意識過剰すぎ」
思わずガクッとなる。というかいちいち喧嘩腰でしか話が出来ないのかこいつは。
「じゃあ、何を見ていたって言うんだよ?」
「私が見ていたのはアンタじゃなくて、この丘。珍しいよね、木が植えられてい落ち葉がある丘なんてさ」
女は顎をしゃくれさせ、その丘を示しながらそう言った。
「厳密には丘じゃなくて、なんつーか…まぁお前の言うようにこんな場所は珍しいかもな」
やたら大きい木が沢山あるし、広さもあるから中に入ると森みたいな感じだし。
「ま、そんなにここが珍しいならいくらでも見て行くがいいさ。俺はさっさと退散するから。じゃーなー」
俺は今度こそ本当に立ち去ろうとして、ベンチから腰を浮かせた。
しかし女はそんな俺に声をかけてきた。
「そうだ。あんた私にこの辺を案内してくれない?」
まさか出会って十数分の俺に、ガイドを申し立ててきた。
「はぁ? 何で見ず知らずにお前にガイドなんかしなきゃいけねーんだよ」
「いや、あたしの地元は都会でさ。こんな風景とは無縁のビル街とかで育ったから。勝手が分からずに迷子になっても嫌だし」
無意識なんだろうが、女はナチュナルに田舎をディスってくる。憐れ俺の故郷。故郷はこの女に何をしたって言うんだ。
「俺にそんな事する筋合いはない。誰か他の奴でも捕まえてやってくれ」
「ふーん…断るんだ。そっか~…」
断ったそんな俺を女はいやらし気に見つめながら、面白い事を考えたと言わんばかりの表情を浮かべながらこう言った。
「断るって言うなら、近所の子供に勝手に胸を触られたって色んな人に言いふらしちゃおうかな~」
女は俺に悪魔の取引を持ちかけてくる。冗談じゃない、名前こそ特定されていいいがこの辺にたむろしている子供がいる事は何となく近所には知られている。そんな状況で変態大王だのエロ魔人だの噂を流されたら、俺の学校生活は一貫の終わりだ。
「き、汚ねーぞ!テメー!」
「まぁ良いじゃん、どうせ一人でいるって事は友達にドタキャンされて暇してたりしてたんでしょ? 私お小遣いはもらっているし、お礼にお菓子やアイスぐらいはオゴるから。悪くない取引だと思うけど」
痴漢のレッテルを貼られそうになって文句を言ったものの、その後の女のその言葉に言葉が詰まった。親からもらっている小遣いで生活している俺にとって、お菓子代がここで浮くことはデカい。悪くない案件だ。
悩んだが俺は決断をする。
「…それプラスで漫画雑誌も追加な。今週号まだ買ってねーし。300円するかしないかだから高い買い物でもねーだろ」
「うわ、がめついねアンタ。けどそれでいいよ」
互いに納得した俺たち。女はさっそく案内してもらいたいのか、それじゃ行きますかと言わんばかりに勢いよくベンチから立ち上がった。
「そういや、あんた名前は? これから案内してもらうのに、いつまでもおっぱいタッチの変態君じゃあれだし。私は『まお』小学五年生」
誰が変態だ誰が。けど確かに名前が分からないとやりにくいのも事実だ。俺は素直に答える事にした。
「しんや…近所の学校に通っている小学四年生だよ」
「なんだ、あんた年下じゃん。敬語使いなさいよ敬語」
「中学でもクラブチームの先輩でも無いんだから、別に構わねーだろ。もしもそんな立場になったら、ちゃんと敬語を使ってやるよ」
「うわ…生意気…」
どっちが生意気何だか。そう考えている俺を尻目に女、まおはさっさと先を歩きだしていた。ガイドを置いていくんじゃねーよ。
「ほら行くよ、しんや」
そう言ってまおは俺がそばに来るのを促した。その声は何処か楽しそうだった。
~~~~~~~
そんなことで、俺は見ず知らずの子供に自分の町をガイドするという思いがけない事をすることになった。しかも相手は女の子だ。今まで女の子と二人きりで歩いた事なんてなかったから、どうも勝手が分からない。もしかしてこれはデートと言うやつなのだろうか。
(この辺りに知り合いがいなくてよかったぜ…もし見つかったら学校でどんだけからかわれるかわからねーからな…)
しかしデートというにはどうにも違和感がある。案内している場所は俺が通っている小学校、クーラーが効いていてたまり場には最適な図書館、町の歴史が分かる歴史資料館と言った、俺が昔から知っていたり、学校の総合学習で利用している場所程度だ。こんな色気のない所を回ってる時点でロマンチックな行為をしているなんて無理があるだろう。
しかしまおは俺の案内する場所全てに興味を持っている様だ。分かりやすく喜んでいる訳では無いが口元が緩んでいた。
けれど、そんなあいつが一番興味を持ったのは意外にも丘を取り囲んでいる住宅街のようだった。周りをキョロキョロするように見渡し、始めて見た場所かのように夢中になっている。
「そんな珍しい物なのか? 家が並んでいる団地何てお前の地元にもあるだろ?」
キョロキョロし過ぎてムチ打ち症でもなるんじゃないかと思ったほどに疑問に思った俺は、まおにそう尋ねた。
「流石にこんな場所は地元にはないから。近くに畑があって、その先には地平線すらも見えそうな広い団地何てさ」
「ふーん、そういう物なのかね」
流石に地平線は見えないけどな。俺は内心突っ込んだ。こいつ案外子供っぽいのかもしれない。
「ねぇ、畑の中に木が植えられているけどさ。あれは何?」
そう言ってまおはとある畑を指さした。畑には俺たちの伸長と変わらない程度の幹を持つ木が植えられている、その幹には目にまぶしい緑の葉っぱが付いていた。
「あぁ、桑畑じゃん。カイコがこの葉っぱを食べにくるからそれを捕まえる為に植えてるんだよ。カイコの繭からは糸がとれるからそれ目的だな」
「あ~なんか桑畑の地図記号、社会科の授業で教わった記憶がある」
そう言いながらまゆは物珍しそうに、桑の木を見つめていた。
「最近じゃ全国でもあまり見ないって聞いてはいるけど、この辺はカイコを育てている農家も多いからな」
俺の発言を尻目に、まおは手を組み大きな伸びをした。歩き過ぎて疲れたのかと思ったが、顔から察するに満足した事での行動だろうと俺は察した。
「あ~楽しい」
やはり満足していたらしい。
「それにしても、こういう町って私は好き。ゴミゴミしていないし空気は綺麗だし。なんか昔からの日本の姿が残っているというか、そのままの美しさがあるって気がする」
思いもよらず、まおは俺の田舎を気に入ってくれたようだ。まおの顔と感想を聞いた俺は素直に嬉しさを感じた。しかし何処か引っかかるものも感じてしまった。
「そうでもないぜ…。ちょっと着いてこいよ」
その心中を伝えたかったのかは分からないが、俺はまおを促して住宅街の路地裏を歩き出した。
路地裏を歩いて30秒も経っていないだろうか。抜き出した先の目の前の光景はただっ広い国道が広がっていた。目に追い切れぬ程の自動車が走り回っている。
その光景をみて「まさしく昔からの日本の姿です!」なんて思う奴がいたらそれこそへそが茶を沸かすってもんだ。
「お前はこの町の田舎が好きだって言ってたけどさ。少し外れたらこんなもんだよ。田舎の美しさとか素朴さ何てありゃしない」
今は夏休みで、旅行に出かける人が多い為か車の数がやたら多いからどうしてもそんな事を考えてしまう。
「かといっても、遊ぶ場所があるかって言ったら無いんだけどな…ゲーセンも本屋もねーし。漫画を買いに行くだけでも、親に手を合わせて隣町に行かなきゃならねー」
子どもである俺はどこでも自由に行ける訳じゃない。不便があり過ぎる。
田舎程穏やかじゃないし、都会程開けている訳では無い。それが俺がこの町に持っている気持ちの全てだ。
「ようするに中途半端なんだよな、この町。それでも好きって言ってくれたのは何か嬉しいけどさ」
俺が話し終わった後、まおは俺の方を初めて会った時のように見つめていた。最も車の騒音が大きくて俺の声が聞こえているかどうかも分からないが。
「結構歩いたしもういいだろ…そろそろ菓子を買いに行こうぜ」
そう言って、俺はまおを促して先を歩き出した。なんかガイドを始めた時と逆の立場になってるな。
~~~~~~~
ある程度の案内ができたという事もあったので、俺たちは近くのコンビニでお菓子やアイスを買いこんだ。
結構な数を買い込んだので、お金が足りるのか心配だったが、まおが5000円札を出して会計をしていたのは驚いた。コイツの家は結構な金持ちか、親が金だけは残しておく放任主義なのかもしれないと思った。
そうした買い込んだ食料を持って、俺とまおは秘密基地に戻り、ビニールシートの上でくつろいでいる。
初めは俺の家に案内しようかとも考えたが、いくら親が不在でもあってばかりの女の子を家に上げるのは流石に気が引けた。木陰になると言ってもお昼時になると流石に暑いが、あいつも丘の事は気に入ってたし丁度いいだろう。
因みに漫画雑誌はしっかりと買ってもらった。しかしあいつは基地につくや否や、最近忙しくて読めなかったから読ませてと、過去に買ってあった雑誌のバックナンバーを勝手に手に取り読み漁っていた。
俺はと言うと、すっぽかされたあいつと対戦する予定であったモンスター育成ゲームの手持ちパーティーのレベル上げをやっていた。
手持ちのモンスターのレベルは45を超えているが、戦闘を多くこなした状態でレベルアップした方が強くなるという情報を学校で聞いたので、わざわざレベル4の雑魚モンスターを倒して経験値を稼いでいる。おかげで経験値がちっともたまらない。
(戦闘を500回繰り返してもレベル1もあがらないとか、どんな苦行だよ…)
内心毒づきながら、俺は永遠と戦闘を繰り返している。その間まおは真剣な目で漫画に食らいついていた。
それにしても沈黙が気まずい。俺とまおは互いに離れた場所に座っているからお互いに話している訳では無い。ビニールシートの中央に置いてあるお菓子を取りに行くと一緒になる時はあるんだが、それでも会話がある訳では無い。そんな状況がもう2時間は続いている。
流石にゲームにも飽きてきた。何よりこの沈黙にはキツイ。そう思った俺はまおに話しかけた。
「あのさ」
「なに?」
急に話しかけられたからなのかびっくりしたのか、まおの声は少し大きかった。
「おまえかなり熱心に読み込んでいるけど、そんなにおもしれーの?これ少年誌だから女のお前が読んでもピンとこないと思うんだけど」
「うわ、古臭い考え。今の女子が一番読む雑誌は週刊少年誌だから」
割と熱い口調で反論された。おそらく暇つぶしという訳じゃなくて本当に好きなんだろう。
「そうか…それじゃ連載されている中じゃ何を読んでんだ?」
「この雑誌のは全部読んでるから。あえて言うならスポーツ漫画に嫌いな作品は無い。私もスポーツ好きだし」
「じゃあ一番好きな作品は?
」
「真っ先に読むのは『ジャッジライズ ハンター』かな」
意外な答えが返ってきた。力押しのバトルじゃない、知力戦と大人びた雰囲気が特徴の能力バトル漫画だ。
「まじかよ…俺も読んでるけど、クラスじゃ話が難しいから読み飛ばしている奴も多いんだぞ…」
「私は一番好きだけどね、あとは『ユーフォニウム・メロディアス』とかも好き」
流石にそれは俺も読み飛ばしている作品だ。高校生の青春恋愛物なんて小学生の俺にはピンとこない。
「そういう、しんやが好きな作品は何なの」
まおは俺に質問を返してきた。あまり人に好みを話すのは好きでは無かったが、こいつなら何となく話してもいいかなと思った。
「少し前に終わったけど、『笑劇戦士 バトルライザー』…」
「…やっぱあんた子どもだわ」
「うるせぇ」
馬鹿にする感じでは無かったが、まおは生暖かい目でこっちを見つめてきた。小さい子向けのギャグ漫画が好きで何が悪いっていうんだよ。
ある程度話し合った俺たちだが、会話が尽きると再び黙り込んでしまった。気まずい沈黙がまたやってくる。
どうしたらいいものかと俺は内心焦っていた。そしてそう考えている事についてもどこか不思議に思っていた。
俺はこいつと話したいと思っているんだろうか。確かに俺とどこか似ていて同類のようにも思えるけど、会って間もない女だぞ。
「ねぇ」
そう考えている矢先に、まおの方から声をかけてきた
「あんたのとこの学校ってどんな行事やってるの? 4年生も夏休み明けには色々あるでしょ」
夏休みなのに学校の話とは空気が読めないな。そう内心俺は思ったが、この沈黙が破られることは嬉しかった。
「別に特に変わった事はしねーよ…ただ9月の終わりごろに1/2成人式ってのをやるって言ってたけど」
こんな行事、全国にあるのか分からなかったが、珍しいものだと思ったので話を振ってみた。
「あぁそれ私も去年やったな。どこにでもあるんだね、その行事」
「マジか」
意外な言葉が返ってきた。どうもこの行事は全国共通らしい。
「私の学校じゃクラスの皆でケーキ作ったな。それを授業参観で来ているお母さんお父さんと一緒に食べるんだよね。結構楽しかったな」
まおは思い出を振り返るように話を続けた。
「なんかこういうイベントでもさ、無いよりはあったほうが認められたって気がして気持ちいんだよね。子ども扱いしないで対等に扱ってくれるっていうかさ」
結構楽しい、気持ちが良い。その言葉がコイツの口から出た事が驚きだった。
「楽しいねぇ…俺はそんな事全く思えないけどね」
あいつの返事に対して言葉に表せない感情を感じた俺はつい口から言葉が出た。
まおは俺の言葉に反応してこっちを見る、細い目が少し見開いていた。
「要するに、早く大人になりなさいって大人が勝手に作り出したイベントだろ? 私たちに手間をかけさせないで早く自立しなさいって言いたくてさ」
言葉が勝手に続いていく。
「大人になるなんて責任っていうのが増えて、頼れる人もいなくなって不便になるだけじゃねーかよ。そんなんだったら俺は大人に何かなりたくないし。それを楽しいなんて絶対に思えないわ」
まおは目を見開いた状態で俺を見つめている。
「あんた…」
まおが何か言おうとしたその時、俺の頭の上に水滴が落ちてきた。
「なんだ、これは?」
俺がそんな風に言ったが直後、頭に降りかかる水滴の量が徐々に大きくなっていった。
「ひょっとして、夕立?」
まさしくまおが言った通りだった。晴れていた空はいつの間にか雲に覆われていて、濃い灰色になっていた。
しくじったなと、俺は内心舌打ちした。ゲームに集中していてたから天気の事なんか全く気にしていなかったし、ここは沢山の木があり葉っもが生い茂っているから空の様子が分かりにくいのもついていなかった。
「このペースだと本降りまで近いな。まお、お前の家はどの辺りなんだ?」
「遠くはないけど、ここから歩いて15分はかかると思う」
「微妙だな…下手に道に迷うと確実に降られるぞ…」
そんなことを話している間に、雨の勢いはますます強くなっていった。いくら木の下にいたとしても、これじゃびしょ濡れは時間の問題だろう。どこかで雨宿りをするしか仕方がない。
「…ちょっとついて来いよ」
俺はそう言ってまおを引き連れて、丘の奥に入っていった。
「凄い大きい木ね…」
そういったまおは、目の前の光景に驚いていた。
俺が連れて行ったのは、この丘で一番大きい木の下だ。幹は俺たちが20人手を繋いで輪を作っても足りないほど大きい。何とも樹齢1000年は超えるご神木らしい。父親からそんなことを聞かされた覚えがある。
「ここを見て見ろよ」
俺はそう言って、まおに大木の幹を指示した。この幹には子供が入る分には十分な空洞があるのだ。
「ここの中なら、雨に濡れる心配はないだろ。濡れるのは嫌だし、しばらくここにいるしかないな。この辺にはこういった場所が多いから、物を隠すにも都合がいいんだよ」
秘密基地にある漫画本もお菓子もこういった所に隠してあるんだぜと合わせて説明しておいた、事実そういった穴があちこちになかったら、秘密基地はとっくの昔にボロボロになっていただろう。
「濡れないなら何でもいいや。とにかくしばらく場所を借りるよ」
まおは先に穴の中に入っていき、俺もそれに続いて同じ穴の中に入っていった。
雨の勢いはますます強くなっている。これは治まるまでしばらく長引きそうだ。
~~~~~~~
こうして俺たちは夕立が過ぎるまで穴の中で雨宿りをすることになった。その間俺とまおは同じ穴で体を寄せ合っていた。
距離間が近い、俺はそれしか考えられなかった。いくら子どもと言っても二人はいるには体を詰めないと少々厳しい大きさだったからだ。かといって他に子供が入れる程の穴は無かったからどうしようも無い。俺もそこに入るしかなかった。
おかげでまおの横顔がまつ毛の形や肌のツヤしっかり見れるほど近づくことになってしまった。そのせいでにいい匂いまで感じ取ってしまう。
(女っていうのは、何で男とは違った匂いがするんだよ)
俺は女子を意識したことは無かったが、これだけ近いと言おうがままにそんなことを考えてしまう。
それにしてもずいぶん長い夕立だ。時計を見るとかれこれ穴に入ってから1時間は経っており、夕方の6時半を回っていた。周りも段々と暗くなっていく。
「悪かったな…」
俺はまおに話しかけた。
「雨が降りそうなの気が付かなくて悪かった。地元の俺が気を使うべきだった」
罪悪感を抱えた俺はまおに謝った。しかしまおからは
「別に気にしていないよ。私も気を配るべきだったし」
そう返事が戻ってきた。話の口調が淡々としているからもしかしたら本当に気にしていないのかもしれない。それとも俺に気を使ってそう振舞っているだけなのかもしれない。本当の所は分からなかった。
「それでも流石に門限はあるだろ? あまり遅いと親が心配するだろ」
「今日はパパとママも夜の8時までは出かけているからそれまでは私一人。どうしても遅れそうなら走って帰るから大丈夫」
その言葉を聞いて俺は少し安心した。いくら何でも女子を夜遅くまで連れ回す事なんてしたくなかった。
「そういうアンタは大丈夫なの? アンタだって親が心配するんじゃないの」
「親父は単身赴任中、母親は今日から3日間短期出張で家を出てる。それまでは一人暮らし」
ふぅん。とまおは言った。
「それじゃ私たち似た者同士なのかもね」
「かもな」
何だかんだ初対面でここまで長く一緒にいた理由に、どこか気が合う所があった事は事実だ。
だが俺にはほんの少しだけだが、心の中で引っかかっている事がある。俺はそれを聞いて見たくて再び口を開いた。
「俺たちが似ているならさ。何でお前は1/2成人式何て楽しめるんだ?」
俺は言葉を続けた。
「だって俺たちは放任主義でほったらかしにされているんだろ? それで早く大人になりなさい何て言われても、もうあんた達なんか知らないからって言われているのと同じじゃねーか」
前々から思っていた事だ、つい口が軽くなってしまう。
「そんな大人の都合になんか絶対にのりたくない。俺は大人に何かなりたくないね」
コイツと俺は似ている、だったら俺の気持ちは少しは分かってくれるだろう。そう思って本心を話した。
「何度か言ったけどさ、やっぱしんやってガキだよね」
しかしそんな俺の期待とは裏腹に、まおから出てきたのは俺を罵倒する言葉だった。
「ガキ? 俺がガキだって?」
思いがけない言葉だったからか、俺は語気が少し荒くなっていた。
「だってそうじゃん。あんたの話を聞いてると親に構ってもらえないからかまって欲しいって言ってるだけだし」
まおは言葉を続けてた。
「それを大人の策略に乗りたくないなんてクールぶっちゃってさ。要するに甘えられなくなるのが嫌で駄々こねてるだけでしょ?」
まおの言葉は続く。
「あんたも小学4年生になるんだからさ。もっと周りの事を考えた方がいいんじゃないの?」
「テメェ!」
俺はまおの胸倉を掴んでいた。掴まずにはいられなかった。
「お前に何が分かるんだよ…会ったばかりでろくに知らない俺の事をよ…」
気持ちが溢れてくる。
「朝起きて一人で朝飯を食べてる気持ちが分かるかよ…学校から帰ってきてもおかえりって言ってもらえない気持ちが分かるのかよ…挙句の果てに何日も家を空けて、家に一人でいる気持ちが分かるかよ…」
声が震えているのが自分でも分かった。それでも言わずにはいられない。
「たまに親戚から言われることもあるよ、『しんや君はしっかりしてて偉いね』って。けどこれが大人だって事なんだろ? こんな気持ちをもっと味わうくらいなら、俺は大人に何かなりたくねーんだよ!」
興奮していたからか思わず息が上がってしまった。同時に俺は我に返って、まおの服から手を離した。
「悪い…服がしわになっちまうよな」
まおは何も言わずに、襟を正していた。そして正し終わった後に俺に言った。
「別にアンタの気持ちなんてわかんないよ。だって私は早く大人になりたいって思ってるし」
「何でだよ…」
俺はいら立ちを抑えられずに聞き返した。さっきの事は悪いとは思っているが、それでもまだ冷静にはなれそうにない。
「だって大人になったら、自分で好きな場所に好きな時に行く事だって行けるんだよ」
「は?」
「今は子供だからさ、こうして親に連れて行ってもらわないと遠くにだって行けないけど、大人になってお金を稼いだら自分の車や新幹線に乗って自分の好きな時に好きなだけ好きな場所に行けるじゃん。沖縄とか北海道、さらには海外とか」
もしかしたら宇宙の星にだってさ。そう言ってまおは星を掴むように手のひらを空にかざした。
「大体、さっきから聞いているとしんやの話はおかしい所しかないし」
コイツの言っていることが分からなかった。あれは紛れもなく俺の本心だ。
「どこがだよ…」
「だってアンタも大人になりたいんでしょ? この町は中途半端で遊ぶところもないって言ってたし、それって早く自分で他の所に行きたいって事なんじゃないの?そんなこと考えている奴が、大人になりたくないなんて考えないと思うし」
まおはそう言って俺に『お前の発言は矛盾しているぞ』と投げかけてた。
「俺が、大人になりたいだって?」
「それに、親からほったらかしにされているって言ってたけどさ、別にずっと顔を合わせていない訳でも、口をきいていない訳じゃないでしょ? 誕生日やクリスマスとかの記念日は祝ってもらってたんじゃないの?」
俺はまおの言葉を聞いて思い出す。確かに俺の両親は俺を置いて仕事に行くことは多い。けれどあいつが言う記念日には必ず家にいて、家族団欒を忘れていなかったし、プレゼントは必ず俺の欲しいものを買ってくれた。
「私の家もさ、しんやみたいに親が家を空ける事も多いけど、お父さんとお母さんが自分を愛していないなんて思ってないよ。何だかんだで大切な時は家にいてくれてたしさ。むしろもっとしっかりしなきゃって思っている」
何ら根拠がない話でもある。けれどこいつの言葉は俺の心にしみこむようだった。俺は親に思われていない訳じゃなかった。それはこれまでにはない考えだったからだ。
「ま、大人になる事に不安になるなんて誰にでもなると思うよ。自分はどんな仕事をしているのかとか、どんな人と結婚しているとかさ」
それでも自分の未来が良い方に向かって欲しい、そんな気持ちを込めるかのように、自分に優しくするように話し続けた。
「だからさ、しんやも不安に思ってるなら一緒に大人になろうよ。私といっしょにさ。一人じゃ怖くてもみんなと一緒なら不安じゃないでしょ?」
まおは俺をしっかりと見つめながらそう言った。そして恥ずかしくなったのかすぐに顔を前に戻した。
「なんか柄にもない事を言っちゃったな」
「お前…」
「お前じゃなくて『まお』。別にいいけどさ。それとしんやはこの町の事中途半端だとかボロクサに言ってたけど、それでもやっぱりこの町好きだよ」
「何でだよ、そんなにこの丘が気に入ったのか」
違うよ。そう言ってまおは再び俺に向き合った。
「だってあんたのような悩んでいる奴が育った町でもあるからね! 私悩みが無くて生きてる奴より、悩みながら前を進んでいる奴の方が好きだし!」
そういってまおは、二カっと笑った。今日見た中で一番の笑顔だった。
「全くお前は…一つしか違わないのにお姉さんぶるんじゃねーよ」
「そんな奴に泣きながら悩みをぶつけた奴が何言ってるんだか。あーあ弟に服を伸ばされたお姉ちゃんかわいそー」
「誰が弟だ誰が! それと泣いて何かいねーし!」
「泣いてましたーお姉ちゃんハッキリと見ましたー」
口喧嘩が始まる、けれどこれまでコイツとしてきたどの会話よりも心地よいものを感じた。
「あっ、それより見て。もう雨がやんでいる」
まおはそう言って穴から出て行った。俺も続いて穴から出る。
確かに雨は上がっていた。空を見ると暗くなっていた、けれど雲は無く、空には月が浮かんでいた。
「雨が上がったのに気が付かなかったなんて、よっぽど俺たち熱く話していたんだな…」
「そうだね」
~~~~~~~
俺とまおは児童公園の広場に戻ってきた。
「時間は大丈夫か? 良かったら近くまで送っていくけど」
「別にいいよ、この時間なら走って帰れば大丈夫。街灯もついてるし、私夜道は苦手じゃないから」
時計を見ると夜の7時を過ぎていた。流石の夏と言ってもこの時間になれば真っ暗になってしまう。
「今日は悪かったな、こんな夜遅くまで付き合わせてよ」
「だからそれはもういいって」
とは言えこれ以上遅くなるわけにはいかない。そろそろコイツと別れる時が来た。何処か寂しさを感じてしまうのは何でなんだろうか。
「それじゃ、俺は行くから。お前も時間に間に合うように帰れよ」
そう言って俺も自分の家に帰ろうとした。
「待って」
そんな俺をまおは呼び止める。
「色々案内してくれてありがとう。最後に何かお礼がしたい」
振り返ると、まおは後ろに手を組みながらそう言った。
「別にいいよ…菓子やアイス奢ってもらったし」
「それじゃ私の気が済まない。どうしよっかな…何か上げる物も今は持ってないし…」
うーんと言いながら、まおは立てた人差し指を顎に当てながら考えていた。
そしてしばらく考えて。
「決めた。ちょっとあんたしばらく目を瞑ってて」
まおは俺にそう頼んだ、何故だか知らないが少し早口になっている。
「なんでお礼を受け取るのに目を瞑ぶってたらおかしくねぇか?」
「いいから」
(たくっ、何だってんだ)
納得はいかなかったが、これ以上時間を喰う訳にもいかない。俺は黙って目を瞑った。
そのまましばらく待っていてもまおは何も言ってこない、いい加減にしてしてくれ。
「なぁ、お前-」
しびれを利かせた俺は、そう言って目を開けようとした。
その時俺の髪がかき上げられ、額に暖かいものが触れるのを感じた。
何だこれは? そう思った俺は、あいつにバレないようにうっすらと目を上げた。
そこには、目を瞑りながら唇を俺の額に押し付けてるまおの姿が見えた。俺は思わず目を見開いた。
夜の風に髪が穏やかに揺れている。まつ毛の一本一本が艶を放っている。鼻から出てくる色っぽい吐息が俺に吹きかかる。しかし俺はそれを冷静に判断する余裕はなかった。
―俺は今、キスをされてる―
唇が触れてから、どれくらい経ったんだろう。まおは静かに俺の額から唇を話し、俺から少し距離を取る。そして、手を後ろに組み、俺をしっかり見据えてにっこり笑った。
「唇じゃないけど私からのファーストキス。あんたしかもらえない物なんだから大切にしなさいよね!」
そう言い残したまおは後ろを向いて、公園を走り去っていった。雨上がりの水たまりが離れる音が夜の公園に響いた。
風のように唐突にキスをして風のように去っていく。あまりの急展開にしばらく俺はボォっとしていた。
「はは、何が何だかわかんねーや…」
力が抜けた俺は、広場に大の字になって倒れこむ。そこには多くの星が沢山きらめいていた。
(きれいだな。考えたらこんな時間までこの場所にいた事なんて今までなかったな…)
俺は星を見つめながら、そんなことを考えていた。
「大人になれば、こんな光景も自由に見られんのかな…だったら、大人になるって事も嫌な事ばかりじゃねーのかもな…」
俺は、昼の熱をまだ残してる夜風にあたりながら、しばらくの間この場所と一つになってまどろんでいた。
~~~~~~~
その後の俺はと言うと、なぜか家に帰っていた母親に出くわして大説教を食らった。
何でも、出張スケジュールが延期になって、会社で仕事をしてきて日帰りになったそうだ。そこで夜遅くになっても俺が帰っていない事に酷く取り乱してたらしい。
「こんな夜遅くまでうろついて! あんたに何かあったら私はどうすればいいのよ!」
そう泣きながら母親は俺に言ってきた。その姿を見て俺はやっぱり少しは親に思われていたのかもなと考えた。
そして秘密基地だが、あの日から5日もしない内に立ち退きを余儀なくされた。
御神木を県の重要文化財にするために県庁から働きがあった事は知っていたが、今回の件で周辺でたむろしている少年が明るみになった事もその運動が推し進められた要因だったらしい。
「まぁ…潮時だったのかもな」
完成から3年目だ。むしろ良く持った方だろう。別に立ち入り禁止になった訳じゃないし。一緒に作ったあいつらには悪いが、しっかりと謝れば許してくれるだろう。
「何やってんだよ~しんや君。そんな遅くまで外にいれば問題になるのは分かってたでしょ?」
そんな俺の願望とは裏腹に、あの日俺の誘いをクラブの合宿で断ったこいつはネチネチと愚痴ってくる。最も冗談めかした口調だから、本心から怒っている訳では無いのが分かっているので、俺としても不快ではないけど。
因みに今俺たちは、隣町のショッピングモールのゲームコーナーにいる。
「だから、何度も謝っただろ…それに俺だけが原因じゃねーし。第一お詫びのしるしに1000円渡しただろ。それでメダルゲーム楽しんでくれよ」
「そんなのここに来て10分で使い切ったよ。今は自分のお金で2000円目に突入した所」
何でそんなペースで使い切ってるんだ。こいつはギャンブルをやったら破滅するタイプだな。
「けど確かに潮時だったかもね。代わりに集まる場所がゲーセンになった訳だし。それもまたヨシかな」
「来るたびに電車代がかかるのがアレだけどな」
そんな軽口をたたき合う、俺とこいつはそんな関係なんだ。
「それで、その女の子にはその後会えたの? どんな子? 可愛い? おっぱいは大きい? 小さい?」
「その言葉聞いたらなおさら教えたくねーわ」
なんでそんなエロ親父みたいな聞き方をしてくるんだコイツは。黙っていれば髪の毛サラサラの色白美少年なのに。
「ちぇっ、つれないな。もうそんな君は置いておいて、僕は残り20枚のメダルで大勝負かけてくるよ」
そう言いながら、そいつは奥の大型メダルプッシャーゲームに向かっていった。ていうか自分の2000円分もスリそうなのか、あいつは。
「あいつは時々妙なテンションになるのが困るんだよな…ポーキー」
となりにいるポーキーに同意を求めたが、肝心の奴は併設しているスーパーマーケットで買ってきたスナック菓子をぼりぼり食べていた。のんきに食ってんじゃねーよ。
あの女、まおはあの日以来会う事は無かった。
何となく毎日あの丘に足を向けてはみたが、それは同じだった。
別に恋しくて会いたいわけじゃない。ただ、大人になりたくないと思っていた俺に「大人になってもいいんじゃないか」と一時でも思わせてくれた、その理由があいつと会えばもっとわかるんじゃないか、そんな気がしたからだ。
けれど、ある日急に現れてそのある日から全く会えなくなったなんて、自分は幻でも見ていたんじゃないかという気持ちだ。この辺にいるキツネや狸に化かされたのかもしれない。何て馬鹿な事を考えてしまう。
(それでも、来年になったら、またこっちにこねーかな…)
ゲーム筐体の機械音の喧騒を遮るように、俺は目を瞑って想いを馳せっていた。
「今日から、このクラブチームに加入する。『伊藤 真緒』君だ。今学期から本校の5年生としてやってくるが、先行してこのチームに加入する事になった」
夏休みも後10日を残す事となったある日のサッカークラブの練習日。コーチが紹介している隣に、上向きの目つきに長い髪をポニーテールにしたオールバックの女子。あの夏に出会った女がそこにいた。
「彼女は神奈川の川崎の強豪チームでレギュラーを張っていた逸材だ。参考にできる物があれば、お前たちもどんどん盗むといい」
「よろしくお願いします」
隣の女は、涼し気に挨拶している。
「女の子でサッカーってこの辺じゃ珍しいよね。けどあそこのチームでレギュラーやってたなら相当強いんだろうね」
隣の友人が小声で何か俺に話しているが、全く耳に入らない。
それでは解散! コーチの一言に皆バラバラになって個人練習を始めた。ただ俺一人呆然となってその場に立ち尽くしていた。
それを見てその転校生、まおは俺の傍にやってきた。
そして俺に指をさしながら、にやっと笑ってこう言った。
「今度は、ちゃんと敬語で呼んでもらうからね!!」
―どうやら俺があの日に感じた熱情は、夏が過ぎてもまだ消えそうにないようだ―
SUMMER LIMIT ことと @pokopon_tokoton
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