第186話 遭遇

「走りましょう。ボルド。足元には気を付けて下さい。ワタシの走った道をそのまま走ってきて下さい」


 そう言うアーシュラに先導されてボルドは暗い山道を走り出す。

 足元は暗くて覚束おぼつかないが、アーシュラのすぐ後ろを走ると不思議ふしぎと道が平坦で走りやすかった。

 先程まで静寂せいじゃくを保っていた谷底の宴会場が騒がしくなってきた。

 それもそのはずで、異様な黒いよろいの集団がなだれ込んできてダニアの女たちと交戦し始めたのだ。


「こ、これではブリジットにお会いしている場合ではないんじゃ……」


 走りながらボルドは前を行くアーシュラにそう言うが、彼女の考えは違った。


「このまま向かいますよ。恥ずかしながらワタシはダニアの女であるというのに満足に戦えません。この状況で何者かに襲われたらあなたを守りきれないのです。ブリジットとクローディアの元にいたほうが安全……」


 そう言った彼女は不意に足を止めた。

 ボルドもあわてて急停止するが、勢い余ってアーシュラの背中にぶつかりそうになった。


「うわっ……ア、アーシュラさん? どうしたんですか……」


 そう言いかけたボルドは前方十数メートル先のやぶの中から突如として現れた人影を見た。

 それは真っ白な髪を持つ1人の騎士だった。

 その騎士は2人を見るとまゆを潜める。


「おや? こんな時間に若い男女が逢引あいびきか? 仲間たちが戦っているのを見てあわてて引き上げる途中……ん?」


 その白髪の騎士はボルドを見ると物珍ものめずらしそうに目を見開く。


「黒髪の坊やか。おまえ……名前は?」


 そう言うと白髪の騎士は一歩ずつ悠然ゆうぜんと近付いて来る。

 アーシュラはボルドを背に守りながら腰の剣を抜き、一歩ずつ後ずさった。


「あなたに名乗る名はない。そこを通してもらいたい」


 アーシュラがそう言うと白髪の騎士は目を細めた。


「これは失礼した。ではこちらから名乗ろう。俺は公国軍のトバイアス。そして……おまえはアーシュラだな?」


 トバイアスはそう言うとニヤリと笑う。

 アーシュラが息を飲む気配が伝わってきた。

 ボルドは本能的に悟る。

 このトバイアスという騎士は敵だと。

 何も言わずに剣を構え続けるアーシュラに、トバイアスは平然と一歩ずつ近付いてくる。


「アメーリアから聞いている。めいであるおまえの外見的特徴をな。ダニアの女にしては随分ずいぶんと背が低いな。この先にいるクローディアの元に向かうつもりか?」


 そう言うとトバイアスは腰の剣を引き抜いてアーシュラに斬りかかってきた。

 アーシュラは咄嗟とっさに自分の剣で応戦するが、トバイアスの剣を受け止め切れず、力で押し負けて後方に倒れ込む。

 そんなアーシュラをボルドはあわてて抱き止めた。

 それを見てトバイアスは愉快そうに笑う。


「ハッハッハ。アメーリアの言う通りだったな。アーシュラ。おまえに戦う力はない。だが恥じる必要はないぞ。おまえの才能は刃を握ることではないのだから」


 そう言うとトバイアスは剣を右手に持ったままアーシュラに左手を差し出す。


「アーシュラ。おまえの能力はアメーリアから聞いている。すばらしい力だ。俺の部下にならないか? そうすればおまえの命の保証はしてやる。アメーリアにもおまえを殺させないと約束しよう」


 トバイアスの言葉にアーシュラはハッキリと嫌悪感を表して言った。


「ワタシはクローディア以外の誰にもつかえるつもりはない。殺したくば殺すがいい。貴様の部下になど死んでもならない」


 その言葉にもトバイアスは笑みをくずさない。


「すばらしい、主思いじゃないか。そういうところも気に入った。だが残念だな。おまえのつかえる主はもうすぐアメーリアに殺されてしまう。そうなればおまえはり所を失うぞ?」

「クローディアは殺されたりなどしない!」


 彼女にしてはめずらしく怒気をにじませた声でそう言うと、アーシュラは剣を手に再び立ち上がる。

 ボルドは自分に何か出来ることはないかと必死に考えをめぐらせるが、まともに剣を握ったことすらない彼では、騎士であるトバイアスの相手にもならないだろう。

 怒りに震えるアーシュラにトバイアスは冷然とした目を向けた。


「まあいい。死体になったクローディアを見たら気も変わるだろう。……ところで後ろにいる黒髪の坊やはおまえの恋人か? 随分ずいぶんと大切そうに守っているじゃないか。おまえが言うことを聞いてくれないなら、そちらの坊やにお願いしようか」


 そう言うとトバイアス剣をブンッと振るって近付いてくる。

 アーシュラは背後のボルドに鋭く声を放った。


「来た道を逃げて下さい。ブライズ様たちのところへ……早く!」

「で、ですが……」


 戦えないアーシュラを1人残して逃げるわけにはいかない。

 今からあの小屋に走って戻り、ブライズ達を呼んでここに来るまでには、アーシュラは殺されてしまう。

 それにブライズ達が今もあの小屋にいるとは限らない。

 彼女たちも宴会場での戦闘には当然気付いているはずで、そちらに出向いている可能性が高い。

 ボルドは必死に思考をめぐらせ、思い切ってアーシュラの前に出た。

 

「私は彼女の恋人などではありません。お亡くなりになったブリジットの情夫ボルド殿の代わりに、ブリジットに献上される情夫です」


 ボルドのその言葉にトバイアスがわすかに動きを止めた。

 そして背後でアーシュラが息を飲むを感じながら、ボルドはじっとトバイアスの目から視線を外さない。

 少しでもトバイアスのきょを突きたかった。

 そして同時にボルドは心の中のあの感覚を用いてアーシュラに合図を送る。

 まだ不慣れなそれにアーシュラは確かに合図を送り返してきた。


 今この場には2人しかいない。

 誰かの救援を期待することが出来ない以上、アーシュラと力を合わせてこの局面を乗り切るほかないのだとボルドは覚悟を決めた。


「なるほど。ブリジットはよほど黒髪が好みと見える。情夫の代わりを用意させるとは何とも欲深いものだ。浅ましくはしたない下品な女王様だな。そうは思わんか?」


 そう言うトバイアスの目に侮蔑ぶべつの色がにじむ。

 ボルドは顔色を変えぬよう努め、内心にき上がる怒りを押さえ込んだ。

 

「その辺りの事情は私には分かりません。ですが……」


 そう言いかけたボルドの首すじに冷たい刃の切っ先が向けられる。

 トバイアスが鋭い動きで剣を突き付けていたのだ。

 ボルドは目を見開いたまま動けなくなる。

 そんな彼にトバイアスは言った。


うそだな」

「えっ……?」

「俺はうそを見抜くのが得意なんだ。その顔や声で分かるぞ。おまえはうそをついている」


 そう言うトバイアスの視線は、じっとボルドの目の奥までものぞき込み、その内心を見透みすかすように思えた。

 アーシュラがボルドの背後からわずかに動こうとしたが、トバイアスは剣の切っ先をボルドののどに直接当てて牽制けんせいする。


「動くな。坊やの首を一瞬で切り裂くぞ」

「くっ……」


 仕方なくアーシュラはくちびるみ締めて動きを止めた。

 それを見たトバイアスはボルドの顔をまじまじと見つめ、口を開く。


「それにしてもおどろいたぞ。死んだものとばかり思っていたが、まさか生きていたとはな……情夫ボルド」


 そう言うトバイアスの顔が嗜虐しぎゃくの喜びにゆがんだ。

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