第169話 会議の前に

 クローディアは一時間後に控えた十血会との会議のために執務室で考えをまとめていた。

 ベリンダを初めとする医療班の懸命の治療によって彼女の体調は劇的に回復を遂げていた。  

 受毒してすぐにベリンダが試みた初期治療が、重傷化を防ぐのに大きな役割を果たしていたとのことだった。

 まだすぐに戦に出られるほどではないが、適度に休憩をはさみながら執務を行えるようになっていた。


(……ボールドウィン)


 彼女はふと椅子いすに深く腰を預けると、心の中でボルドの名を呼んだ。

 昨夜、任務を果たしてクローディアの元に戻ったアーシュラからボルドの気持ちを聞いたのだ。

 彼は逃げることを選ばず、その場に留まることに決めた。


(それはそうよね。ブリジットの元に戻りたいものね)


 ボルドは今もブリジットを想い続けている。

 クローディアの口から思わずため息がれた。

 その様子を部屋の片隅かたすみでアーシュラが見ている。

 執務室には彼女以外には誰もいない。


「彼は……自分が逃げたらクローディアが困ることになることを理解しているのです。クローディアのお立場を何よりも重んじているのでしょう」

「アーシュラ……なぐさめはいいわよ」


 そうは言うもののボルドならば確かにそう思ってくれそうだなとクローディアは思った。

 ボルドには生来の優しさがある。

 彼は決して平坦ではない人生を生きてきた。

 自分の人生をうらみ、他人をうらみ、世間をうらみ、その怨念おんねんから悪漢と化してもおかしくはないのだ。


 それでもボルドはその生来の優しさを失わなかった。

 それは奇跡であり幸運であり、そして彼自身の人としての芯の強さでもあるだろう。

 そんな彼の優しさにレジーナとしての自分も救われたのだ。

 クローディアはふと気になってアーシュラにたずねる。


「ボールドウィン……本当にワタシのこと怒っていなかった?」


 すでにアーシュラから報告は受けている。

 ボルドにはレジーナをうらむ気持ちは微塵みじんもない。

 彼自身がそう言っていた。

 むしろ自分を生かして新たな居場所を与えてくれたことに感謝している、と。

 だがクローディアはその言葉だけではなく、彼の様子を聞きたいのだと感じ取ったアーシュラは、自分が見たままのボルドの様子を伝えた。


「色々とおどろき、戸惑っているようでした。ですがクローディアへの怒りは感じられませんでした。ご安心ください」


 アーシュラの言葉にクローディアは静かにうなづいた。

 本人は表に出さないようにしているが、おそらく安堵あんどしているのだろうとアーシュラには感じられた。

 アーシュラはボルドのことを思い返す。

 彼は確かに整った顔立ちをしているが、それは彼女には興味のないことだった。


 それよりもアーシュラはボルドの持つ奇妙な雰囲気ふんいきが気になっていた。

 彼が軟禁されているセレストの邸宅ていたくに忍び込む少し前から、アーシュラはその雰囲気ふんいきを感じ取っていた。

 それは嫌な感じではないが、アメーリアを監視していた時と同じように、距離が離れているのに奇妙な気配を感じるのだ。

 ボルドのいる部屋に近付けば近付くほどそれは強くなっていた。


 そして気になることに彼は自分の母親やアメーリアと同じく黒髪だった。

 黒髪の一族はもともとこの大陸の西に位置する別大陸からやってきた一族だと言われている。

 いにしえの時代、砂漠島に存在した黒髪の者たちもおそらくはその流れを継ぐ一族だったのだろう。


 そして黒髪の者たちの中には常人には無い不思議ふしぎな力を持つ者たちがいた。

 一言で言えば、普通の人間が感じ取ることの出来ないことを察知する力である。

 アーシュラの母であるアビゲイルや、叔母おばであるアメーリアがそうだった。

 アーシュラ自身は黒髪ではないが、母からその力の一端を受け継いでいる。


(ボールドウィンにも何かあるのだろうか……) 

 

 アーシュラがそんなことを考えていると執務室のとびらがコンコンと叩かれる。

 外から小姓こしょうの呼ぶ声が聞こえてきた。


「クローディア。お時間です。議場へお越し下さいませ。十血会の皆様がお待ちです」


 十血会との会議の時刻を告げる声だった。

 その声にクローディアは肩をすくめると立ち上がった。


「さて、ボールドウィンをどう扱うか、十血会とやり合わないといけないわね。骨が折れそうだわ」

「ご無理をなさらずに」


 アーシュラはそれだけ言うとその場にひざまずき、深々とクローディアに頭を下げた。


「アーシュラ。念のため、ボールドウィンの状況を注視しておいて」

「心得ております」


 そう言うアーシュラに笑顔を向け、クローディアは執務室を後にした。

 小姓こしょうともなって廊下ろうかを歩きながら十血会との会議のことを考えると憂鬱ゆううつな気持ちになったが、ボルドの顔を思い浮かべるとクローディアは不思議ふしぎと力がいてきた。


 今、彼を守れるのは自分だけだ。

 ブリジットではない。

 そう思うとクローディアは気持ちがふるい立つのだった。

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