第160話 銀と黒

 全身に回り出した毒のせいで立っていられずに片ひざを着いたクローディアの脳天に、アメーリアは容赦ようしゃなく短剣を振り下ろした。

 クローディアは剣を落としてしまっている。


「クローディア!」


 見かねたベリンダの叫び声が響く。

 その声にハッとしたクローディアは、自らの生存本能だけで咄嗟とっさに動いた。

 すばやく手を伸ばしアメーリアの手首をつかむと、それをグイッとひねって短剣の刃先を逃れた。

 そのままクローディアは肩で当て身を浴びせてアメーリアを壁際に押し込む。


(これが毒ならすぐに体の力が弱まっていく。勝負を決めるなら今しかない!)


 クローディアは左手でアメーリアの短剣を持つ手を押さえたまま、右腕でアメーリアののどを壁に押し付ける。

 2人が押し合い、銀髪と黒髪が入り乱れた。

 クローディアは右手の痛みにも構わず、右腕に体重をかけて思い切りアメーリアののどつぶしにかかる。


「かっ……」


 気道を押されてアメーリアは呼吸が出来ずに苦しげな声をらすが、それでも彼女はクローディアの腹部に連続で膝蹴ひざげりを浴びせる。

 しかしクローディアは突き上げられる衝撃と痛みを、腹筋に力を込めて耐えた。

 絶対に放さない。

 そうした決意を込めてアメーリアの息の根を止めにかかる。


 一方のアメーリアはクローディアの力におどろいていた。

 クローディア同様、彼女も自分と互角に戦える相手に出会うのは初めてのことだったのだ。

 クローディアに押さえつけられて容易に振りほどけないまま、アメーリアは呼吸が出来ずに苦しみ出す。


(な……生意気)


 クローディアは自分を殺すことの出来る相手だ。

 そう認識したアメーリアは空いている左手でクローディアの右手をつかんだ。

 彼女の右手が何やら負傷していることをアメーリアは見抜いていた。


(さっきから血のにおいがしているわよ)


 腕というのは手の痛みを感じれば、わずかにその力がにぶるものだとアメーリアは知っていた。

 彼女は鋭いつめを立ててクローディアの右手を思い切り握った。

 アメーリアのつめが手の傷口に食い込んだ途端とたん、クローディアが苦痛の声をらす。


「くうっ……」


 わずかだがクローディアの右腕の力が弱まった。

 それを感じ取ったアメーリアはそのまま全力でクローディアの腕を押し返す。

 のどを押さえつけていた力が弱まり、呼吸が出来るようになった。


「ヒュウウウウッ!」


 急激に肺に酸素が満ちる影響で頭がクラクラするが、そのまま彼女はクローディアに連続で膝蹴ひざげりを叩き込んで押し返す。

 それでもクローディアは苦痛に耐えてアメーリアの首に再び腕を押し込もうとする。

 毒を受けているため長くは戦えないという判断から、彼女はここで確実に自分を仕留めようとしているのだろうとアメーリアは感じた。

 膝蹴ひざげりを何発浴びても揺るがないクローディアの心身の強靭きょうじんさと勝利への執念にアメーリアは苛立いらだつ。

 だがクローディアがあと一歩押し込もうと踏み込んだその足は、運悪く水でぬかるんだこけを踏んでしまった。


「うあっ!」


 足をすべらせてクローディアは思わず態勢をくずす。

 全体重をかけてアメーリアを押し込もうとしていたため、クローディアはこらえ切れずに両膝りょうひざを着いてしまった。

 アメーリアはそのすきを見逃さず、クローディアのあごをガツンと蹴り上げる。


「がっ……」


 強烈な前蹴りを食らってクローディアはたまらず仰向けに吹っ飛んだ。

 即座にアメーリアは短剣を握り直してクローディアに飛びかかろうとする。

 だがその時、コンラッド王子を守りながら戦いを見守っていたベリンダが動いた。

 彼女は口に何やら液体をふくんでいて、手にした松明たいまつかかげると、それに向けて液体を鋭く吹き出した。

 それは松明たいまつの炎を巻き込み、火炎放射となってアメーリアを襲う。


「ぐっ!」


 アメーリアは咄嗟とっさにこれをかわすが、着ていたローブに引火して、腕の部分が激しく燃え上がる。

 だが、それでもアメーリアは構わずにそのままクローディアに襲いかかった。

 確実に彼女を殺す。

 最大の邪魔者を排除する。


(それさえ果たせば、この場はどうとでも出来る)


 そう思ったアメーリアだが、倒れているクローディアは思いもよらぬ超反応を見せた。


「くぅぅぅうああああああっ!」


 上からのしかかり短剣を突き立てようとするアメーリアに対し、クローディアは跳ね起きると同時にアメーリアに組みつき、その体を抱え込むと後方に投げ飛ばした。

 彼女の剛腕で投げ飛ばされたアメーリアは反対側の壁に激突する。


「がっ!」


 アメーリアはそのまま水路に落ちた。

 水しぶきを上げて水底に沈みながらアメーリアは全身をさいなむ痛みに顔をしかめる。


(まだ……あんなに動けるのね。ちょっと甘く見過ぎたわ。でも……これで炎も消えるしちょうどいい)


 先日までの増水のせいで水の流れは速いが、水路の深さはせいぜい2メートルだった。

 アメーリアはすぐにクローディアに反撃をすべく水からい上がろうとする。

 だが水中で自らが吐き出した呼気が白い気泡となって舞い踊るのを見るうちに、彼女の心身に異変が起きたのだ。


(……!)


 アメーリアの脳裏のうりに唐突に幼き頃の光景がよみがえった。

 砂漠島で呪いの子と恐れられ、両足におもりをつけられて海に沈められたあの日の海中で見た光景だ。

 途端とたんに体が思うように動かせなくなった。

 足が重くて動かず、彼女の体はどんどん水底に沈んでいく。

 まるで幼きあの日のように両足にかせをはめられているかのようだ。


(何で……こんな……トバイアス様……)


 アメーリアは水の流れにあらがうことが出来ずに、そのまま水路を流されていった。

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