第161話 生還

「王子。少しばかりお待ち下さい」


 負傷してうずくまるコンラッド王子にそう声をかけると、ベリンダはすばやくクローディアに駆け寄った。

 激しい格闘の末にアメーリアを投げ飛ばしたクローディアはしゃがみ込んで荒く息をつき、それでも油断なく前方を見据みすえている。

 アメーリアはすぐに水から上がってくるはずだ。


「すっかり忘れていましたわ。クローディアが素手の格闘戦を得意にしていたことを」


 ベリンダはそう言うとクローディアのとなりにしゃがみ込んでその肩に手を置く。

 そんな彼女にクローディアは厳しい声で言った。


「ベリンダ。離れていなさい。アメーリアが上がってくるわ。悪いけれど、あなたの実力でも彼女の相手はキツイわよ」

「分かっていますわ。けれど今のクローディアの状態でも、彼女の相手は厳しいのではなくて?」


 そう言うとベリンダはクローディアの表情や肌、眼球の状態などをすばやく確認する。

 そしてふところから紙に包まれた粉薬と水筒を取り出した。


「とりあえずの応急処置ですわ。飲んでくださいまし」


 有無を言わせぬ口調のベリンダに、クローディアは苦しげな顔でうなづくと、粉薬を口にふくんですばやく水筒の水を飲んだ。

 その間、ベリンダは清潔な布にツンとしたにおいの消毒液を染み込ませて、それでクローディアのほほの傷をぬぐった。

 アメーリアが口の中から鋭く吐き出したはりかすめた彼女の傷の周囲は、紫色にれ上がり始めている。


「致死性の毒などと彼女は言っていましたが、そういうものを口にふくむなら必ず中和剤はあるはずです。あの女はそれをあらかじめ服薬しておいたのでしょう。クローディア。こちらへ」


 そう言うとベリンダはクローディアを引き立たせてコンラッド王子の元へと向かう。

 どこからアメーリアが襲ってくるか分からない今、出来る限りひとかたまりになっておいたほうがいい。

 

「クローディアはそのまま警戒をしていて下さい。ワタシが思いつく限りの応急的な治療を行いますから」


 そう言うとベリンダはクローディアの体の状態をさらによく見て、適切な投薬を続ける。

 クローディアはその間もじっと水路を注視して、アメーリアが上がってくる気配を感じ取ろうと集中していた。

 しかし10分っても、20分ってもアメーリアは戻って来なかった。


******


「ワタシを連れて行って正解でしたわね」


 クローディアに肩を貸して誇らしげにそう言うベリンダに、クローディアは反論もなくうなづいた。 

 ベリンダが強引にでも同行を申し出たことは、結果としてクローディアには大きな幸運となったのだ。


「まったくその通りね。返す言葉もないわ。あなたがいなければ今頃、毒に苦しみのたうち回っていたでしょうね。ありがとう。ベリンダ」


 ことのほか素直すなおにクローディアがそう言うのを聞き、ベリンダは目を細める。

 薬や毒に精通したベリンダがあの場にいなければクローディアを救うことは出来なかっただろう。

 彼女がその身に受けたのはおそらく毒キノコを粉末状にして水で練り込んだ物だとベリンダは予想した。

 クローディアには呼吸困難や全身のしびれの症状が出ていたからだ。


 ベリンダはそうした症状を中和できる薬をクローディアに飲ませたのだった。

 そのおかげでクローディアは最悪の状態は脱して、その強靭きょうじんな心身の力でようやくまっすぐ歩けるほどにはなった。

 とはいえベリンダがほどこしたのはあくまでも応急的な救命措置であり、これからとりでの中できちんとした治療をしなくてはならないだろう。

 今は症状がおとなしくなっているが、決して油断は出来ない。


 水路から出てとりでの1階に戻ると、そこでは総指揮官の他にオーレリアが待っていた。

 十血長のオーレリアはクローディアらの出兵を見送った後、さらに女戦士たちをかき集めて200人の増援部隊を編成し、自ら指揮をってこのクルヌイとりでせ参じたのだ。

 これによってブライズが指揮する本隊は活気付き、逆に形勢不利と見た公国軍は被害が増大する前に撤退を決断したのだった。

 

「クローディア……」


 オーレリアはクローディアの傷ついた姿に絶句する。

 彼女がそこまで傷つけられたのを見るのは初めてのことだった。

 オーレリアは長い赤毛を振り乱してクローディアに駆け寄って来る。

 それをベリンダは手で制した。


「オーレリア。今はお説教はご勘弁していただきくてよ」

「ベリンダ様。これはどういうことですか?」


 怪訝けげんそうにそうたずねるオーレリアに、ベリンダは地下の水路で起きたことを手短に話した。

 アメーリアという女がコンラッド王子を亡きものにしようとし、それを阻止したクローディアと激しい戦闘となった。

 クローディアはその戦いで手傷を負い、アメーリアは行方ゆくえ知れずとなった。

 だがその話をオーレリアはすぐには信じられなかった。


「そんな……」

「……オーレリア。世界は広いわ。ワタシと互角にやりあえる人間もいるってことよ」


 アメーリアが公国軍のビンガム将軍の息子であるトバイアスの配下の者だとオーレリアに告げたクローディアは、次にコンラッド王子の状態について話した。

 コンラッドは指を4本失う重傷ではあったが、ベリンダの止血処理が適切だったため命に別条はなかった。

 だが指を切り落とされたショックが大きく、口もきけずにおびえ切った様子で医務室で治療を受けている。

 今後は厳重な警備の上、王都へと移送されることとなるだろう。


「……お命は救えたわ。だけど、あの様子ではワタシは王から叱責しっせきを受けることはまぬがれないでしょうね」


 その言葉とは裏腹にクローディアは平然としていた。

 いつもならばそんな彼女の態度をいさめるオーレリアだが、この時ばかりはただ気遣きづかいの言葉を口にするのみだ。


「今はそのことは置いておきましょう。クローディア。まずは治療を受けて体をきちんと直して下さい。ワタシは……何よりもあなたの命が大事ですから」


 オーレリアの言葉が本心であることはクローディアにも分かっていた。

 いつもは口うるさい彼女だが、幼き頃から自分のことを心配してくれている。

 ありがたい姉のような存在なのだ。

 だが……その数日後、クローディアは思いもよらぬオーレリアの話に怒りをつのらせることとなるのだった。

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