第159話 地の底の戦い

「……ダニア分家の女王、クローディアね」


 黒髪の女がそう言うのを見たクローディアは、肌がヒリつくのを覚えながら油断なく剣を構えた。

 女ののどを貫いて一撃で殺すつもりでクローディアは本気の剣を繰り出した。

 だが女はそれを咄嗟とっさに短剣で防いでみせたのだ。


 そんなことは今まで一度もなかった。

 クローディアが本気を出せば、相手を必ず一撃でほうむり去ってきたのだ。

 それを防がれたという事実が、クローディアの身の内に警鐘けいしょうを響かせている。


「あなたは誰? なぜコンラッド王子を手にかけようとするの?」


 コンラッドはクローディアの背後で地面にうずくまりながら言葉にならないあえぎ声をらしている。

 遅れて駆けつけたベリンダがすぐに彼の元にしゃがみ込み、指を4本切断された彼の手に布を巻き付けて止血を試みた。


「王子。お気を確かになさいませ」


 水路に入ってからクローディアとベリンダは松明たいまつを手に走り続けてきた。

 通路の床が増水の影響でまだれていたため全力では走れなかったが、クローディアの視力で前方に松明たいまつの明かりが見え始めた時、2人はすぐさま持っていた松明たいまつを水につけて消した。

 そして足音を立てぬよう早歩きで進んだのだ。

 だが、徐々に前方の光景が見え始めた時、男の絶叫ぜっきょうが聞こえた。


 そこから2人は一気に駆け出したのだ。

 クローディアは水にれた床に足をすべらせないよう気を付けつつ、疾風はやてのごとく通路を駆け抜けた。

 そして前方でコンラッドを襲っている女を目がけて、クローディアは全力で剣を突き出したのだった。


(何なの……この女の嫌な感じは)


 クローディアは自分の警戒心がこれまでにないほどふくれ上がっていることを感じて、剣を握る手に力を込めた。


「今日はツイてるわ。ねらっている首が2つ同時にそろうなんて」


 クローディアを見つめながらそう言う黒髪の女の目に、歓喜の色がにじむ。

 それから黒髪の女は大仰にローブのすそをつまんで軽く一礼した。


「お目にかかれて光栄ですわ。クローディア。ワタクシはアメーリア。公国軍のトバイアス様の……従者です。ワタクシがコンラッド王子をねらう理由は、あなたには説明するまでもなくお分かりでしょう?」


 その名を聞き、クローディアは頭の中で渦巻うずまく疑問が一気に晴れるのを感じた。

 自分の攻撃を受け止めた黒髪の女がコンラッド王子をねらっている。

 そんな人物はこの世に2人といない。


(アメーリア……黒き魔女だわ)


 アーシュラからの情報でトバイアスのそばにはアメーリアがいることを知っていたからこそ、クローディアは即座にそのことに気付いた。

 だが逆にアーシュラが自分の元にいることを絶対にアメーリアに知られてはならない。

 目の前にいるのはアーシュラにとって親のかたきである黒き魔女だ。

 そしてアーシュラの生存を知ればアメーリアはめいを殺そうとするだろう。

 クローディアは慎重に言葉を選びながらアメーリアと対峙たいじする。


「トバイアスは王国にとって危険な男よ。しかもダニア本家のブリジットに取り入ろうとしている。見過ごすわけにはいかないわ」


 今、目の前にいる女が黒き魔女アメーリアならば、ここで始末してしまうべきだ。

 今ここでわざわいの種をり取る。

 クローディアはそう考えた。


「ベリンダ。王子をお願い」


 クローディアは背後のベリンダにそう声をかけると左手で剣を握ってアメーリアをにらみつける。

 先ほどベリンダのむちを握った右手が痛むが、クローディアは左右どちらの手でも同じように剣を扱えた。

 問題はない。

 そんなクローディアを見つめるアメーリアは薄笑みを浮かべていたが、その目には隠そうともしない殺意が宿っていた。


「クローディア。あなたはトバイアス様に危害を加えようとした。そのばつをここで受けてもらうわ」


 そう言うとアメーリアは短剣を手にクローディアに飛びかかった。

 その速度はすさまじく、クローディアは咄嗟とっさの反応でこれを防ぐ。

 短剣の一撃とは思えないほど重いその攻撃にクローディアは歯を食いしばった。


 この相手は本気でかからねば危険だ。

 彼女の本能がそう告げている。

 クローディアは左手一本で握っていた剣を両手で握り直す。

 右手はまだ痛むが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


 クローディアは鋭く剣を振るって全力でアメーリアを迎え撃つ。

 せまい水路の中なので大きな動きは取れず、フットワークよりも剣を繰り出す手数が重要だった。

 しかし長剣を手にしたクローディアより、短剣を振るうアメーリアのほうが動きはこまやかで手数も多い。

 クローディアは窮屈きゅうくつな戦いをいられるが、それでも意地を見せて後退せずにその場で踏ん張っている。

 その様子に唖然あぜんとしつつ、ベリンダはコンラッド王子を抱えて後方に下がっていった。


「あの黒髪の女。クローディアと互角に戦うなんて……」


 それはベリンダにとって信じがたい光景だった。

 自分やブライズ、そして亡き姉・バーサでもクローディアと対等に打ち合うことなど出来なかった。

 そのクローディアの圧倒的な強さを知っているベリンダだからこそ、アメーリアという女の強さは脅威きょういだった。


「さすが天下に名高いクローディア。ワタクシが本気で殺そうとしているのに。すばらしい強靭きょうじんさですわね」


 そう言うアメーリアだが、その言葉とは裏腹にその表情には余裕が感じられた。

 クローディアは冷静にその表情をうかがいながら、鋭く声を発して攻勢に打って出る。


「ずいぶん余裕ね!」


 フェイントを交えて剣を一振り二振りとしていくと、今度はアメーリアが防戦に回る。

 クローディアは攻撃の手をゆるめることなく、果敢かかんに相手を押し込んだ。

 だがアメーリアは後方に下がるかと思われた瞬間、短剣でクローディアの剣を受け流しつつ、その口からフッと何かを噴き出した。


 これを見たクローディアは咄嗟とっさに横にずれてかわそうとするが、ほほにピリッとした痛みが走った。

 アメーリアが口からはりのような物を吐き出したのだ。

 そしてそれがクローディアのほほかすめた。

 途端とたんほほしびれるような痛みが広がり、クローディアは反射的に後方に飛び退いた。


「何を……」

「古典的なやり方で恐縮ですが、はりに仕込んだ毒ですわ。致死性ですので、そんなかすり傷でも死にますよ」


 アメーリアはそう言うとニヤリと笑った。

 クローディアはこれを一笑に付す。


「致死性の毒を口に入れていたというの? つまらないハッタリ……」


 そう言いかけたクローディアは、いきなりガクッとその場にひざをついた。

 急に強い目眩めまいが襲ってきたのだ。

 地面が激しく揺れているような感覚だった。

 足が震え出して立っていられなくなる。


「どうですか? 効果覿面てきめんでしょ? 女王様」


 そう言うとアメーリアはクローディアの脳天を目掛けて短剣を鋭く振り下ろした。

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