第158話 暗闇の水路

「お、おまえ……どういうつもりだ」


 暗闇くらやみの水路。

 炎の明かりがいくつか揺れていた。

 水路といってもその脇には人が2人並んで通れる程度の通路が整備されている。

 

 いくつかの松明たいまつがその通路の上に落ちてなお、炎を燃え上がらせて水路内を煌々こうこうと照らしている。

 その明かりの中、通路には数人の男女が倒れていた。

 全員、首や胸から血を流し、すでに事切れている。

 

 今、立っているのは男が2名と女が1人。

 そのうちの女が男2人と対峙たいじしながら言った。


「王国の第4王子コンラッド様。あなたは……公国のトバイアス閣下かっかの暗殺をくわだてましたね?」


 コンラッドと呼ばれた男は、近衛このえ兵である屈強くっきょうな男の背に守られている。

 そしてその2人と対峙たいじしているのはコンラッドの侍女だったはずの女だ。

 元より侍女の顔になど興味のないコンラッドは、いつの間にか自分の侍女の1人が殺され、まったくの別人に入れ替わっていたことに微塵みじんも気付かなかった。

 その女がとりでからの脱出に際して深く頭巾ずきんを被っていたことや、脱出時の緊張感やあわただしさによって他の者もそのことに注目しなかったのだ。


 その結果、水路を一時間ほど歩いたところで、いきなりその女が他の侍女や近衛このえ兵たちを次々と刃物で刺し殺すという凶行に及んだのだった。

 近衛このえ兵らは抵抗したが、あまりにも鮮やかな女の手口によってあっという間に殺され、床に伏した亡骸なきがらと化した。

 中には水路に落ちて流されていった者もいる。


「おのれ……この不埒者ふらちものが!」


 最後に残された近衛このえ兵は、コンラッド王子を守るべく決死の覚悟で女に向けて剣を突き出した。


「でやあああああっ!」


 だが決死の雄たけびはすぐに断末魔の悲鳴へと変わる。

 侍女はそれをギリギリのところで平然と避け、体をひるがえして手にした短剣を近衛このえ兵の首に突き立てた。

 激しく鮮血が舞い散る。


「ひぐっ! かはっ……」

 

 王子を守る最後のたてだった彼は、あっけなく自らの血の海に倒れ込んで絶命した。

 そんな男の遺体を冷然と見下ろしながら、侍女は返り血を浴びた頭巾ずきんを、鬱陶うっとうしそうに水路に投げ捨てる。

 現れたのは黒髪の美しい女だった。


「な……何者だ?」


 コンラッドにとって見覚えのない女だった。

 恐怖でうまく声が出ない中、必死に言葉をしぼり出すコンラッドを前にして、女はニヤリと笑うと、着ている黒いローブのすそをつまんで優雅に一礼して見せた。


「ワタクシはアメーリア。トバイアス閣下かっかの使いでやってまいりました。コンラッド王子。あなたはひどい御方です。トバイアス様は何も悪くないのに、彼を暗殺しようだなんて。残念ですが、あなたにはここでむくいを受けていただきます」

「ば……馬鹿なことを……私は王の息子だぞ。この私を殺せば父上はだまってはいない。必ず公国を滅ぼすぞ。そんな大それたことを貴様はしようとしているのだ。身の程を知れ!」

 

 必死にそう言いつのるコンラッドにアメーリアは目を見開き、白々しくパチパチと拍手をして見せる。


「すばらしい。この局面でそれだけ気位の高さを見せられるなんて。王位継承からは遠く離れた第4王子様とはいえ、さすがは王族ですわね。ですがコンラッド王子。これまでどんなに素晴らしい功績を残されたか存じませんが、あなたの死に場所はこの暗くてジメジメとした地の底です。ここであなたはち果てて、そのお体はネズミにかじられて骨と化すのですよ」


 そう言うとアメーリアは素早く踏み込んで、手に持っていた短剣を一閃させる。

 目にも止まらぬ速度でひらめいた刃は、コンラッド王子の右手の人差指から小指まで4本の指を切断した。

 鮮血が噴き出し、コンラッド王子はその場にひっくり返る。

 そして血だらけの右手を左手で抱え込んで痛みに金切り声を上げた。


「ぎゃあああああっ! 痛いぃぃぃぃ!」


 そんなコンラッドをあざ笑うように薄笑みを浮かべながら、アメーリアは彼の前にしゃがみ込むと、切断されて床に落ちた彼の指を一本ずつ拾い上げては水路に投げ捨てる。


「簡単には殺さないわよ。王子様。あなたごときがワタクシのトバイアス様を暗殺するですって? 身の程を知るのはあなたのほうよ」


 憎々しげにそう言うとアメーリアはうずくまるコンラッドの後頭部を手でつかんだ。

 そしてゴン、ゴン、ゴンとコンラッドの頭を石の床に押し付ける。

 愛するトバイアスに対する狼藉ろうぜきを思うと、このコンラッドという男を簡単には許せなかった。

 苦しめて苦しめて苦しめ抜いてから殺してやろうとアメーリアは心に決めていた。


 だが……その時だった。

 後方のやみ彼方かなたから尋常じんじょうならざる速度で駆け寄って来る足音にアメーリアは動きを止めた。

 そして振り返る。


「……なに?」


 やみを見つめる視線の先に銀色の糸がひらめいたような気がした。

 次の瞬間、1人の女が猛烈な勢いで飛び込んできたのだ。

 銀色の髪をひるがえすその女は、稲妻のような勢いで剣の切っ先をアメーリアののど目がけて突き出して来た。


「くっ!」


 本当に紙一重かみひとえのギリギリのところでアメーリアは短剣を振るってこの切っ先を弾き返す。

 ほんのわずかでもこの反応が遅れていたら、間違いなく自分はのどを貫かれて死んでいただろう。

 それはアメーリアが生まれてから二度目に感じた死の予感だった。

 一度目は幼き頃におもりをつけられて海に沈められた時だ。

 砂漠島でダニアの女たちと戦った時もここまでの危機感はなかった。


「チッ!」


 アメーリアは舌打ちをしつつコンラッドのそばから素早く後退して距離を取った。

 銀色の髪を振り乱したその女は、コンラッドを守る様に立ちはだかる。 

 アメーリアはその女の姿に目を見開いた。


「あなたは……」


 何者だと問うまでもなかった。

 松明たいまつの炎を受けてかがやくような銀色の髪と、すさまじい剣技。

 アメーリアは初対面となるの女の名を口にした。

 

「……ダニア分家の女王、クローディアね」

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