第156話 漆黒の兵士

 クローディアによってとりでの屋上まで引き上げられたベリンダは大きく息をついた。


「ふうっ。助かりましたわ。だけどワタシのむちを素手でつかんだりして手は大丈夫ですの?」

「どうってことないわ」


 クローディアはさやに巻き付いたむちを解くと、抜き身の剣をさやに叩き込んで振り返る。

 周囲では王国軍の兵士たちが呆気あっけに取られて2人を見ていた。


「我こそは分家のクローディア! 助太刀すけだちに参った!」


 りんと響くその声に、兵士たちの間からはじかれたような大歓声が上がる。

 クローディアを直接見たことのある兵士はおそらくこの中にはいないだろうが、そのかがやくような美しい銀髪と人間離れした身体能力を見て、それが天下無双の最強女王かと疑う者はいない。

 窮地きゅうちに戦の女神が駆け付けてくれた。

 そう感じて兵たちはふるい上がった。


「下の連中は我らが同胞が蹴散らすから安心しなさい!」


 そう言うとクローディアはすぐ近くにいた将校とおぼしき男にたずねる。


「コンラッド王子はどこにいらっしゃるの?」

「王子は脱出の準備を整えています。このとりでの地下にある水路から、数里先の大河に抜けられる道がありますので」

「そんな道が? それならなぜサッサと王子を脱出させなかったの」

「それが……ここのところの長雨で水路に地下水が流れ込んで増水し、通れる状況ではなかったのです」


 公国兵にとりでを囲まれてすでに2日目。

 ようやく水路の水が標準の水位に戻りつつあるので、水路内部の通路を使えるようになったという。

 コンラッド王子は数名の近衛兵このえへいを従えて、今まさに脱出するところだった。

 その話を聞いてベリンダは拍子抜けしたように肩をすくめる。


「それなら安心ですわね」

「いや……水路の先に敵が待ち構えていないとは限らないわ。油断は禁物よ。ベリンダ」


 クローディアがそう言ったその時、前方で悲鳴が上がった。

 はじかれたように2人がそちらを見ると、そこには漆黒しっこく全身鎧プレート・アーマーに身を包んだ兵士が立っていて、その手に持った剣で王国軍の若い兵士の腹を貫いていた。 

 先ほどまで壁をい上っていた黒い兵士のうち1人が、とうとう壁を登り切ってとりでの屋上へと足を踏み入れたのだ。

 クローディアはその将校にたずねた。


「あの黒い全身鎧プレート・アーマーの兵士は一体何なの?」

「それは……分かりません。今日になって急に現れた奇妙な敵兵でして、とりでの四方八方から壁をい上って来ます」


 全身、肌も見えぬほど隙間すきまなく金属でおおわれたそのよろいは、腕や足の部分に何十本もの鋭いとげが付属していて、それを壁面に食い込ませて登ってきたのだと分かった。

 全身を金属でガチガチに固めたその姿は実に窮屈きゅうくつそうだが、その漆黒しっこくの兵士は予想を超える動きを見せた。

 すばやい身のこなしで周囲にいる兵士を次々とはじき飛ばすと、彼らの持っていた短槍たんそうを奪ってそれを手に周囲の者を攻撃し始めた。 

 

「あの兵士。あんな格好で随分ずいぶんと動きますわね。クローディア。ここはワタシが」


 そう言うとベリンダはむちを手に歩を進める。

 そんな彼女の背にクローディアは声をかけた。


「気を付けなさい。あの姿で壁を登ってきた奴よ。相当な体の強さを持っているはず」


 そう言いつつクローディアは何か違和感を覚えていた。

 漆黒しっこく兵士のよろいは、壁を登っている際に上から落とされた岩石を受けたせいで背中の装甲の真ん中がへこんでいる。

 さらに熱した油を浴びたせいでよろいの一部が変色していた。


(おかしい。あんな攻撃を受けたら、いくら完全防備でも肉体には相当な衝撃とダメージがあるはず。下手をすれば死んでいてもおかしくないわ。それなのにまだあんなに動けるなんて……)


 警戒するクローディアの前方ではベリンダがむちを手に王国兵らをかき分けていく。


「ダニアのベリンダ。参ります。王国兵の皆さまはおどきなさい。ワタシのむちの巻き添えになりたくなければね」


 クローディアの従姉妹いとこの三姉妹については王国兵らも知らぬ者はいない。

 漆黒しっこくの兵士と斬り結んでいた兵たちが後退してベリンダに道をゆずる。

 その合間をってベリンダは激しくむちを打ち鳴らしながら漆黒しっこくの兵士へと向かっていった。

 その鋭いむちの音に王国兵らは思わず息を飲むが、漆黒しっこくの兵士はまるでひるむことなく短槍を掲げてベリンダに襲いかかった。

 その動きは速かったが、それでもベリンダの目は敵を完全に捕捉している。


「死になさい!」


 ベリンダのむちが一閃し、漆黒しっこく兵士の胴をぎ払う。

 ベコッとよろいの胴部分がへこむ音がして漆黒しっこく兵士は倒れ込んだ。

 むちの一撃とは思えないほど重い攻撃に、見ていた王国兵から大きなどよめきが上がる。

 だが……漆黒しっこく兵士はすぐに平然と起き上がると短槍を手に再びベリンダへ向かってきた。


「……気に入らないですわね」


 今度はベリンダが連続でむちを振るって漆黒しっこく兵士をメッタ打ちにする。

 よろいがあちこちへこみ、けずられて漆黒しっこく兵士はさすがによろめいた。

 そしてベリンダの最後の一撃がかぶとを弾き飛ばすと漆黒しっこく兵士はついに耐え切れず倒れ込んだ。

 だが……。


「グググ……」


 漆黒しっこく兵士はそれでも立ち上がる。

 ベリンダはさすがにまゆを潜めた。

 普通ならば立ち上がれないほどの手傷を追ったはずだ。

 だというのに漆黒しっこく兵士はまるで何かに突き動かされるように槍を拾い上げる。


 そしてかぶとが取れてあらわになったその男の顔に、周囲の王国兵たちからざわめきがれる。

 男の顔はその肌がドス黒く変色しており、さらに目は真っ赤に充血していた。

 だらしなく開いた口からのぞく歯は黒くボロボロで、灰色に変色した舌がダラリとれさがっている。

 

「ば、化け物だ……」

「普通じゃないぞ……」


 漆黒しっこく兵士の常軌じょうきいっした異様な風体ふうていに、王国兵らは口々におびえた声をらす。

 舌打ちをしてベリンダはむちを握り直すが、そんな彼女の肩にクローディアの手が置かれた。


「クローディア?」

「化け物かどうか、ワタシが試してやるわ」


 そう言うやいなやクローディアが目にも止まらぬ速度で漆黒しっこく兵士のふところに飛び込んだ。

 次の瞬間、クローディアがさやから抜き放った剣がひらめき、漆黒しっこく兵士の首が宙に舞った。

 首から上を失った胴体は血を噴き出しながらドシャッと倒れ込み、斬られた首は床に転がり動かなくなる。

 その様子を見下ろしてクローディアは剣を振るって刃の血を払うと、切っ先を天に向けて颯爽さっそうと仁王立ちしてみせた。


「首を斬られて死ぬなら、そいつはバケモノなんかじゃないわ。異様だろうが何だろうがワタシたちと同じ人間よ。恐れることはないわ!」


 りんと響くクローディアの言葉が一瞬で空気を変えた。

 だまりこくっていた王国兵たちがはじかれたように大歓声を上げ始める。

 堂々たる女王の威厳いげん華麗かれいな剣技が、漆黒しっこく兵士の出現によって蔓延まんえんする鬱々うつうつたる雰囲気ふんいきを吹き飛ばしてしまった。

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