第115話 前に進む

「……もう帰れないんです。彼女と二度と会うことは許されません」


 ボルドのその言葉にジリアンはわずかに動揺の色を見せた。

 その表情が明らかにくもっている。


「許されない? 捨てられたってことか?」


 捨てられた。

 そうだったらどれほど気が楽かとボルドは思った。

 自分が選んだ道は、ブリジットに自分を殺させないために命を自分で断つことだった。

 あの時はそうする以外に道はなかったのだ。


 だが、ブリジットはきっと心を痛めているだろう。

 そう思うとボルドは自らがしたことが正しい道だったかどうか自信を持てずにいた。

 暗く沈んだ表情を見せるボルドにジリアンはたずねる。


「なあ。さっきから気になってたんだが、おまえってもしかして貴族か何かだったのか? しゃべり方が貴族っぽいんだが」


 今のボルドのしゃべり方は、ブリジットの情夫として小姓こしょうたちから受けた徹底指導の賜物たまものだった。

 奴隷どれいだった頃は口の利き方などロクに知らず、雇い主からひどくなぐられたことも数知れず。

 レジーナやここにいる人たちには、自分がかつて奴隷どれいだったことは告げていない。

 あまり自分のことを話して、ブリジットの情夫だった素姓すじょうを知られることは避けたい。


「いえ……。私自身は貴族ではありません。ただの農民の子です。ある貴族の御婦人にもらっていただき、そこで小間使いとしてお世話になっていたんです。作法もその時に教わりました」


 ボルドは心の中に浮かんだ言葉をゆっくりと口にした。

 話自体はうそだったが、少しの真実が混ざっていることで落ち着いて話せた。

 奴隷どれいになる前は農民の子だったこと。

 蛮族ばんぞくとはいえ高貴なる女王にもらわれたこと。

 それらは今のボルトという人間を形作るいつわりなき事実だった。


「なるほどな……おまえ、その貴婦人といい仲だったってわけか。けど農民の子じゃ正式に夫にはしてもらえないからな。2人の仲が貴婦人の親にでもバレて追い出されたってところか。だろ?」


 訳知り顔でそう言うジリアンに調子を合わせてボルドはうなづく。


「ええ……まあ」

「そうか……好きな奴に会えないのは辛いからな」


 そう言うジリアンの目に暗い影がにじむ。

 ボルドはその様子を見ておずおずとたずねた。 


「ジリアンさんにも好きな人がいるんですか?」

「……ワタシが好きだった男はもうこの世にいない。同僚を半殺しにしてまで想い抜いた男だったのに、病でアッサリっちまった」


 同僚を半殺しにしてというところが気になるが、もしかしたらジリアンは色恋沙汰ざたで問題を起こして分家から追い出されたのかもしれないとボルドは推測した。

 本家にいた頃に聞いたことがある。

 ダニアの女たちの間では時々、男の取り合いが殺し合いにまで及ぶことがあると。

 そうして仲間を傷つけた者は処罰されるし、相手の体が不自由になるようなケガを負わせた者は一族から追放され、同胞を殺してしまった者は自らも処刑される。

 ジリアンがダニアを離れてここにいるのは、そうした理由だろうとボルドは理解した。


「……辛かったですね。その人が生きていれば、今も一緒にいられたのに」


 何だかボルドは他人事に思えず、そう言葉をかけた。

 ジリアンに迫られた時は怖くて逃げたかったが、こうして自身のことを話す彼女を見ていると不思議ふしぎとその怖さが薄れていく。

 それは彼女の雰囲気ふんいきがボルドにベラやソニアを思い出させるからかもしれない。

 ベラほど多弁でもソニアほど寡黙かもくでもないが、ダニアの女特有のぶっきらぼうな感じが、ボルドにはなつかしく感じられる。

 気遣きづかうように声をかけるボルドに、ジリアンはわずかにほほゆるませた。


「その男は……おまえに雰囲気ふんいきが似てたんだ」

「私では……その方の代わりにはなりません」

「分かってるさ。代わりなんていない。けど、好みってのは変わらないもんだからな。だからおまえに声をかけたんだ。ワタシは……前に進むと決めたから」


 ジリアンの言葉にボルドはハッとした。

 命をかけて愛した人を忘れることなんて一生できないだろう。

 それでも人生は続いていく。

 生きる理由がある限り、生きていかなければならない。

 だから新たに一歩踏み出すきっかけがあれば、それが何であれ踏み出すべきなのかもしれない。

 そんなことを考えるボルドにジリアンはりずに言った。


「けどおまえ、やっぱりワタシの男になっておいたほうがいいぞ」

「え? それはどういう……」

「さっき男とヤッてたリビーや他の女たち、皆おまえに目をつけてるぜ。あいつらからしたら、いい獲物が現れたって感じなんだろうよ。特にリビーは強引に男を押し倒してでもモノにしようとするから、おまえなんかあっという間に餌食えじきにされちまうぞ」


 思わず青ざめるボルドを見て、面白がるようにジリアンは付け加える。


「ワタシが言うのも何だが、ダニアの女は目をつけた男にはしつこいからな。しかもここにいる連中は皆、男がらみでダニアを追いだされたすねに傷のある女ばかりだ。だけどワタシの男になったって言ったら、さすがに連中も表立っておまえに手を出すことはしねえよ。男1人のためにモメてこの場所まで追い出されたら、もう野垂のたれ死ぬしかないからな」


 そう言うとジリアンは立ち上がった。


「あいつらには言っておくから。ボールドウィンはもうワタシの男になったから手を出すなって」

「ええっ? で、でもそれは……」


 それを止めようとするボルドの言葉をさえぎり、ジリアンは一度だけ振り返るとボルドに人差し指を差し向けて言った。


「本当にワタシの男になりたくなったらいつでも来い。大歓迎だ」


 そう言うとジリアンは悠然ゆうぜんと去って行った。

 1人取り残されたボルドは唖然あぜんとして立ち尽くし、大きくため息をつく。

 だが、ジリアンの言葉はボルドの耳に残った。

 前に進む。

 ボルドは自分にとってそれがどういうことであるのか、真剣に考えてみようと思った。


 ブリジットのことは忘れられないし、他の女性と関係を持つことなど考えられない。

 それでも自分は次の生き方を探さなければならないのだ。

 ここでそれが見つかるか分からないが、やってみようと思った。

 遠く離れたブリジットの幸せをいのりながら、ボルドは月夜の道を1人歩いて宿舎に戻るのだった。

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