第114話 迫る女

「……静かに。声を出すなよ」


 ジリアンはボルドの口を右手でふさいだまま低く抑えた声でささやくようにそう言った。

 そしてそのまま息を潜めるようにして左手でボルドの肩をつかんでその場に押さえ込む。

 ボルドは動こうとするが、ジリアンはダニアの女らしく屈強くっきょうな肉体の持ち主だ。

 ボルドの力では振りほどくことは到底不可能だった。

 しばらくそうしていると、遺跡から聞こえてきていた男女の声はいつの間にか消えていた。


「終わったみたいだな。さすが速攻のリビーだ」


 そう言ってジリアンはクックとのどを鳴らすが、その目は笑っておらず、ボルドをめるように見つめている。


「騒ぐなよ? まずはワタシの話を聞け。声を上げないとちかうなら、この右手を放してやる」


 ボルドはジリアンの言葉を聞き、彼女が分家の人間なのではないかと感じた。

 バーサに捕らえられた時に分かったことだが、本家と分家とではわずかだが言葉を発する時の発音が異なる。

 ともあれこの状況ではボルドはうなづくほかなかった。

 ジリアンは慎重にゆっくりとボルドの口から手を放す。

 そしてボルドが声を発さないのを確認すると、彼女は口を開いた。


「ボールドウィン。話は簡単だ。さっきあそこでヤッてた2人みたいに、おまえもワタシの相手になれ」

「えっ……」


 その単刀直入な物言いにボルドは絶句する。

 だがジリアンは構わずにボルドに迫った。


夜伽よとぎのお誘いってやつだよ。ワタシがおまえのことをずっと見ていたのは気付いていただろ。おまえがここに来た時から気になっていたんだ」


 少し照れくさそうにそう言うと、ジリアンは熱のこもった視線をボルドに送る。

 その目はわずかに血走っていた。


「ここは娯楽が足りない。ここにいる女は全員ダニアだが、皆それなりに相手を見つけてよろしくやってるんだ。けどワタシ好みの男がここにはいなくてな。おまえみたいに線が細くて華奢きゃしゃな男を探していたんだ」


 そう言うとジリアンはグイッとボルドに体を近付けた。


「おまえだって楽しみたいだろう? ワタシならおまえを楽しませてやれる。ワタシの男になれよ。退屈させないぜ。いっぱい可愛がってやるから」

「わ、私はそんなつもりはありません。離れて下さいジリアンさん」


 必死に言葉をしぼり出すボルドだが、すでに鼻息の荒いジリアンは引かない。


「そんなツレないこと言うなよ。強引に力ずくってのは好きじゃないんだ」


 そう言うとジリアンは勢いよく衣服を脱いで上半身を惜しげもなくさらした。

 ガッシリと筋肉のついた褐色かっしょく肌の体と、引き締まった腰や形の良い乳房ちぶさが月光を浴びてつややかにかがやく。

 ボルドは思わず顔をそむけた。


「こ、困ります」

「何だよ。女を知らないわけじゃないんだろ? せっかく楽しめるんだから、楽しまないと損だぜ」


 そう言うとジリアンはボルドのほほに口づけしようとした。

 だがボルドは精一杯の力で顔をのけぞらせて抵抗する。


「お、お願いですから、やめて下さい」


 それを見たジリアンはいぶかしげな表情を浮かべた。


「おまえ……もしかして男色か? いや、そうは見えねえな。ワタシはそういうのは鼻が利くんだ。女を相手にできるんだろ? 来いよ」


 そう言うとジリアンは強引にボルドを胸元に引き寄せて抱きしめる。

 顔に押し当てられる柔らかな双丘の感触と、ほのかな汗のにおいに、ボルドは必死で抵抗する。


「わ、私には……心に決めた人がいるんです」


 それは意図いとせず咄嗟とっさに出た言葉だった。

 その言葉に、ボルドを押さえ込んでいたジリアンの腕の力が弱まる。

 彼女はボルドを見下ろすと、複雑そうな表情を浮かべた。

 

「……その女にみさおを立ててるってわけか」


 今さらそんなことをしても何の意味もないことはボルドも分かっている。

 もう自分は彼女の前に姿を見せることは叶わないのだから。

 それでもボルドはどうしても他の女と交わりたいとは思わなかった。

 彼も男だからこうして女性の裸身を目の前にすれば、性的な衝動がき上がること自体は抑えられない。

 

 だがそれでも胸の中にはブリジット以外の女性と交わることへの強い忌避きひ感が渦巻うずまいていた。

 ボルドにとってそれは至極しごく当然の心理現象だったのだ。

 彼は真剣な面持おももちでジリアンの目を見つめて言う。


「どうかご容赦ようしゃを。ジリアンさん。私はどうしても彼女以外の女性とは関係を持ちたくないんです。お気にさわったのならば、私をなぐる蹴るしていただいて構いません」 


 そう言って必死の眼差まなざしを向けてくるボルドに、ジリアンは口を引き結んでしばしだまり込む。

 そして大きくため息をつくと体を引いて、興ががれたような顔で衣服を拾い上げた。


「何だよ。せっかくその気になっていたのに。つまんねえの」


 衣服にそでを通しながら不貞腐ふてくされてそう言うジリアンに、ボルドはだまって頭を下げる。

 そんなボルドを見てジリアンは不思議ふしぎそうに言った。

  

「で、おまえはその女と離れてこんなとこで何やってんだ。さっさとその女のところへ帰ればいいだろ」


 その言葉にボルドはズキンと胸が痛むのを感じながら、静かにつぶやくのだった。


「……もう帰れないんです。彼女と二度と会うことは許されません」

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