第116話 女王の帰還

「クローディア! ようやくのご帰還か。もうワタシらのことは忘れちまったのかと思ったぞ。覚えているか? この従姉妹いとこの顔を」


 ダニアの街。

 ようやくこの街の主が帰還した知らせを聞いて、クローディアの私邸していを訪れたブライズは、3ヶ月ぶりに見る従姉妹いとこの顔を見てこらえ切れずに声を荒げた。

 そんな彼女の様子にクローディアは肩をすくめる。 


「悪かったわよ。ブライズ。あなたのそのこめかみの青すじとかぐわしいけものの香りは3ヶ月くらいじゃ忘れられないわ」


 言葉とは裏腹に悪びれることなくそう言うクローディアに、ブライズはガックリと肩を落とす。

 そんな彼女の肩に妹のベリンダの手が置かれた。


「口が過ぎますわよ。姉さん。従姉妹いとことはいえ、我らが奔放ほんぽうな女王様に対して無礼です。おかえりなさいませ。クローディア。男あさりの旅は楽しゅうございましたか?」


 口調こそ丁寧ていねいだが自分よりもよほど辛辣しんらつな妹の言葉にブライズが顔を引きつらせると、クローディアは思わず吹き出して笑う。


「プッ。アハハッ。あなたたちだけよ。私の私邸していまで押しかけて毒づいてくれるのは。持つべきは従姉妹いとこね。バーサも生きていれば良かったのだけれど」


 ここはあくまでも私邸していであり、足を踏み入れていいのは使用人以外では親族の者だけだった。


「十血会には週に数度、伝書鳩で指示を送っておいたわ。オーレリアならそれでうまくまつりごとを回してくれるはずよ」


 十血会。

 それはダニア分家の始まりとなった古い血筋の子孫たちからなる、分家の評議会だった。

 その長を務めるのが十血長オーレリアだ。

 クローディアが不在の間、街に大きな混乱がなかったのは、ひとえにオーレリアの手腕のおかげだった。


「来月はコンラッド王子が遊びにいらっしゃいます。今後しばらくお出かけはお控え下さいな」


 ベリンダの言葉にクローディアはウンザリした顔を見せる。


「あの人。香水がくさくてたまらないのよね。話もつまらないし」

「それならクローディアがお好きな香水を差し上げては? 使って下さいなって。それにお話がつまらない男なんて掃いて捨てるほどいますわ。クローディアの方から話を盛り上げて差し上げてはいかが?」


 ベリンダの口ぶりにクローディアは嘆息たんそくする。

  

「オーレリアみたいなこと言わないでよ。ベリンダ。あなただったら彼を夫にしたいと思うの?」

「死んでもゴメンですわね」


 軽口を叩くベリンダをよそに、ブライズはクローディアに目配せをした。

 自分が拾ったブリジットの情夫ボルドをどこに連れて行ったのかと聞いておきたかったのだ。

 だがそれにはこの場にいる妹が邪魔じゃまだった。

 ベリンダにはボルドの一件を伝えていないのだから。

 だがその目論見もくろみもろくもくずれた。

 ベリンダが事も無げに言ったのだ。


「で、クローディア。情夫の坊やとは存分にお楽しみだったのですか?」

「なにっ?」


 唐突なベリンダの問いにおどろきの声を上げたのはクローディアではなくブライズだった。

 そんな姉を見上げてベリンダはニヤリと笑った。


「姉さん。ワタシに隠し通せるとお思いかしら?」


 そう言うとベリンダはクローディアに目を向けた。

 

「あの小屋は引き払われたようですが、もう彼に飽きたのですか? クローディア。初めての男の味はいかがでしたか?」 

「……何か勘違いをしているようだけど、ワタシは彼に手出しはしていないわ」


 ベリンダを軽くにらみながらそう言うクローディアだが、ベリンダはさらに食い下がる。


「3ヶ月も2人だけで暮らしていて何もないってことですか? いやぁ。ワタシなら我慢できないですわねぇ。レジーナは実に我慢強い」


 幼名を呼ばれてクローディアは軽く口をとがらせる。


「信じてないわね。ワタシはおきては守るつもりよ。クローディアとしての矜持きょうじにかけてね」


 18歳になるまでは男と交わらない。

 クローディアはそれをかたくなに守ってきた。

 彼女にも女王として代々受け継がれてきた伝統を守る心がある。

 だがクローディアがそれを守るのはそのことだけが理由ではなかった。


 彼女は男を好きになったことがない。

 恋いがれるという感覚を人生で一度も感じたことがないのだ。

 もちろんクローディアとして18歳を迎えた時につつがなく情夫を迎え入れ、とぎが出来るよう訓練は行われている。

 具体的には選ばれた部下の女たちが男を抱く様子を間近で見学するというものだ。


 それゆえ男女の交わりを見て扇情せんじょう的な気持ちを抱くことはあっても、特定の男を抱いてみたいという気持ちがまったく理解できなかった。

 彼女はまだ恋を知らないのだ。


「彼はある場所でワタシの仕事を手伝っているわ」


 そう言うクローディアにブライズとベリンダは顔を見合わせる。


「それは彼にしか出来ない仕事ですか?」


 ベリンダの言葉にクローディアは首を横に振る。

 それを見たベリンダはわずかにまゆを潜めた。


「彼はブリジットの情夫ボルドですよ。彼が生きていることを知ればブリジットは彼を取り戻しに動くのでは? ならばしっかりとこの街に囲い、彼を人質にしてブリジットから有利な条件を引き出したほうがよろしいかと」


 妹の言葉はもっともだとブライズは思った。

 そもそもブライズもボルドを拾った時には、そうしたねらいが頭の中にあった。

 本家と分家の統合。

 それもブリジットを排斥はいせきし本家を吸収、クローディアを頂点とした分家主体の統一ダニアを誕生させる。

 それは亡き姉バーサの悲願だった。

 だがクローディアはきっぱりと首を横に降る。


「ボールドウィンの件はワタシに一任してもらうわ。これはあなたたちが何と言おうともクローディアとして譲れないの。ただ……2人は事情を知っているから、近いうちにワタシの考えを話すわ。ともあれ今は彼の件は他言無用で」


 その女王然とした言葉にさすがにベリンダも口を閉じる。

 何か彼女に考えがあることは分かったので、今日のところはこれ以上の追求は避けることにした。

 ブライズも同様だった。


 幼き頃から知るクローディア……いや、レジーナは有言実行の女だった。

 近いうちに話すと彼女が言った以上、必ずそれは実行されるだろう。

 ならば自分たちに出来るのは待つことだけだ。

 ブライズとベリンダはボルドのことを他言しないことをちかい、その話を切り上げた。

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