第110話 分家の苦境

「今回はいくら何でも長すぎねえか?」


 ブライズは苛立いらだたしげに指で机をトントンと叩きながら妹のベリンダに目を向ける。

 ベリンダは姉の苛立いらだちなどどこ吹く風とばかりにテーブルの上に置かれたカップを手に取り、十分に冷ました紅茶を口にふくんだ。


「クローディアがいなくなってからもう3ヶ月だぞ。どうなってんだ一体」

「ブライズ姉さん。そんなにカリカリなさらないで。せっかくのお茶の時間が台無しよ」


 そう言ってカップをテーブルに置き、ガラスの器に盛られた果物に手を伸ばす妹をブライズはジロリとにらみつけた。


「茶なんか飲んでる場合か。我らが女王様は玉座を3ヶ月も空席にしたままなんだぞ。考えられるか? ありえねえだろ」

「まあまあ。来月は王国から第4王子様がいらっしゃいますから、さすがにクローディアもそれを忘れて遊びほうけてけているわけにはいかないのでは? じきに戻っていらっしゃいますよ」


 そう言うベリンダの口調はどこまでも他人事のようだった。

 まったく人を食ったような妹だとブライズは内心で溜息ためいきをつく。

 第4王子などとえて呼ぶのも彼女の性格ならではだ。

 王国の第4王子はコンラッドという人物だったが、彼がクローディアの将来の夫候補だった。


 先代クローディアが王のめかけに収まり、王国との結び付きを強めるダニア分家。

 先代の娘である当代のクローディアにも王族の1人が将来の夫としてあてがわれようとしている。

 政略結婚の手駒として扱われるコンラッドたが、その相手が蛮族ばんぞくダニアの分家の女王というのも、いかにも厄介やっかい払いの感があった。

 第4王子の王位継承順位は低い。

 要するに王族にあっても重要な位置にいる人物ではないのだ。


 第4王子には蛮族ばんぞく女王でもあてがっておけばいいだろう。

 ダニア分家の女王相手には第4王子で十分だろう。

 そんな思惑が交錯して持ち上がった縁談だった。

 これをベリンダは揶揄やゆしてコンラッドを第4王子などとかげで呼んでいるのだ。

 しかも第4王子とはいえ年齢は16歳のクローディアより20も上だ。


「まあ、あの老いてえない王子が相手ではクローディアもやっていられないのでは?」

「ベリンダおまえ。いつか失言で縛り首にされるぞ」


 あきれるブライズだが、クローディアの心情には同情を禁じ得なかった。

 母である先代が決断したこととはいえ、ダニア分家は王国の子飼いなどと揶揄やゆされる状況にある。

 そのため今のクローディアは若干16歳にして王国にひざを着くことを強いられていた。

 望まぬ縁談を跳ね付けることも許されない。

 もちろん先代の決断があったからこそ、分家は王国からの攻撃を受けずにその庇護下ひごかにあるわけだが。


「ベリンダ。ワタシらだって他人事じゃないんだぞ。いつ王国の何某なにがし王子にとつがされるか分からないんだからな」


 そう言うブライズにベリンダは声を上げて笑った。


「ワタシたちはないわよ。ブライズ姉さん。クローディアでさえ第4王子なのよ? ワタシたちには一体、第何王子が回ってくるのかしら? それとも大臣の息子とか?」


 そう言うベリンダにブライズはフンッと鼻を鳴らす。

 王国がどこまでダニア分家を取り込もうとするかは疑問だった。

 しょせんは蛮族ばんぞく

 尖兵せんぺいとして使われることはあっても、王国内の中核にまでは踏み込ませないはずだ。


 先代クローディアが王のめかけになったことも、王国内では少なからず反発があったと聞く。

 それを王が押さえ込んでの先代の輿入こしいれだったが、ダニアが王国内で大きな立場を得ることは今後もないだろう。

 流浪るろうの暮らしを続ける本家ほどではないが、分家の立場とて決して安泰あんたいではないのだ。


 ブライズは亡き姉を思った。

 姉のバーサならばこの局面で一族をどのように導くべくクローディアに働きかけていただろうか。

 このままでは分家は王国に使い捨てられ、クローディアの血は王国に強力な兵隊を作り出すためだけに利用されることとなる。

 物事が悪い方向へと転がって行きそうな気配がするのに、それを打開するための明確な道筋が見えない。 


 全てが足りなかった。

 現状を打開するための時間も人手も財力も。

 そして何より一族の覚悟と知恵が足りていない。

 目の前の安寧あんねい享受きょうじゅしているうちに分家の力は王国に吸収されてしまう。


「くっ……早く戻ってきてくれ。クローディア」


 ブライズはくちびるみしめる。

 クローディアが行方ゆくえ知れずとなっている間、どのようなことをしているのかは分からない。

 幾度か質問したことはあったが、決してクローディアはそれに答えなかった。

 誰も知らないのだ。


「男でもあさりに行ってるんじゃないかしら?」


 皿の上の果物に手を伸ばしながらそんなことを言う妹のその手をピシャリとブライズは打った。


ばち当たりなこと言うなよ。そんなことになったらコンラッド王子との縁談が……」


 そこまで言ってブライズは思わずだまり込む。


(そうだ……クローディアはあの男を連れて行っちまったんだ。まさか今頃……)


 嫌な胸騒ぎを覚えるブライズだが、その男のことはベリンダには知らせていない。

 これ以上、このかしましい妹に軽口を叩く材料を与えてやることはない。


「もう。痛いわねぇ……」


 打たれた手の甲をさすりながらくちびるとがらせてベリンダは言う。


「別におかしなことじゃないでしょ。クローディアはもう16歳よ。男に興味あるに決まってるじゃない。姉さん。ワタシたちが16歳の時どうだったか忘れたなんて言わないでしょうね」


 本家のブリジットと同じく分家のクローディアもおきてにより18歳になるまで情夫を持つことは許されていない。


「きっと男の味が知りたくて、どこかで好みの男でも見つけて押し倒してるんだわ。クローディアに目をつけられたら並大抵の男なんて一捻ひとひねりですもの」


 そう言って今度こそ果物をつまんで口に放り込むベリンダをよそに、ブライズは頭の中の懸念を顔に出さぬよう努めた。


(あの優男やさおとこ……いやいや、さすがにねえだろ。だってあいつはブリジットの……)


 しかしブライズの頭からそうした心配事が消えることはなかった。

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