第109話 荒れ狂う女王

「ぬぅぅぅぅっ! ハアッ!」


 ブリジットは馬を駆りながら次々と矢を射放つ。

 彼女の放つ矢はあまりにも速く、敵の常識をはるかに超えていた。

 避けることも出来ずに1人また1人と高速の矢に射抜かれて死んでいく。

 主を失ったイワトビレイヨウは散り散りに逃げていった。


 そして敵がブリジットに向けて射放ってくる毒矢は、ベラが長槍で、ソニアが槍斧ハルバードという長柄の武器で次々と叩き落とす。

 ブリジットと自分を守るため防御に徹した彼女たちに、毒矢はまったく当たらなくなった。

 この状況では全滅するのは自分たちだと悟ったのか、敵はイワトビレイヨウを操って岩山の向こう側へ逃げ去っていく。


「あっ! コラッ! 逃げんな臆病者!」

「ブリジット! どうする?」

 

 怒声を上げるベラの横でソニアがそうたずねると、ブリジットは馬の脚を止めて馬首をめぐらせた。


「深追いはするな。そろそろ騎馬隊の奴らが来る。おそらく今の奴らは騎馬隊の露払いだろう。アタシらを見つけて本隊に連絡をする役目を負っていたようだな」


 ブリジットらはそう言うと前方に目を向ける。

 公国軍の騎馬隊はすでにその姿が見えていた。

 向こうもこちらを認識しているだろう。

 ブリジットは周囲を見回し、現在の地形と方角を即座に頭の中で整理する。

 そしてソニアに馬を寄せた。


「ソニア。槍斧ハルバードを貸してくれ」

「……? 構わないがどうするつもりだ?」


 突然のブリジットの申し出にまゆを潜めつつソニアは手にした槍斧ハルバードをブリジットに手渡す。

 それを握ったブリジットは泰然とした顔で答えた。

 

「公国軍の奴らにダニアの怖さを教えてやる」


 その言葉にソニアだけでなくベラも顔色を変えた。


「お、おいおい。あれに突っ込むつもりか? どう見ても千騎くらいいるぞ」


 ベラの指差す先、1キロくらい先のところに公国軍の先頭集団が迫っている。


「別に千騎全てを相手にするわけじゃないさ。先頭集団はせいぜい数十騎だ」


 そう言うとブリジットは2人から十分に馬を離し、馬上で鋭く槍斧ハルバードを振り回した。

 そのあまりにも鮮やかで速い武器さばきにソニアは見惚れたように見入る。

 同じ武器を扱ってもブリジットが使うと普通の武器がまるで神器のように見えた。


「ダニアの女に手を出すとどういうことになるのか、公国の男どもの目にしっかりと焼きつけてやらねば、この先もつけ込まれる。一度、ほほをピシャリと張り飛ばして分からせてやる必要があるな」


 そう言うブリジットの目に鋭い眼光が宿る。

 湿しめった空気を風が運び、雨がポツポツと降り始めた。

 

「ベラ。ソニア。アタシの後ろにつけ。縦に3列になるんだ。離されるなよ」


 そう言うとブリジットは馬を走らせた。

 ベラとソニアは顔を見合わせ、あわてて馬にむちを入れてその後を追う。 

 前方からは砂煙を盛大に立たせて騎馬兵の集団が向かって来た。

 ブリジットらはたった3騎でその集団に真っ向から突っ込んで行く。

 はたから見れば無謀な自殺行為だ。

 

 降り出した雨はどんどんその勢いを強めて、ブリジットらの顔を打つ。

 だがブリジットはその雨音すらかき消す雷鳴のような声で、前方100メートルまで迫った騎馬兵の集団に向かってえた。


「我こそはダニアのブリジット! 我が刃でしかばねと化したくば、向かってくるがいい!」


 そう言うとブリジットは槍斧ハルバードを振り回して目の前の騎馬兵を次々と切り裂いていった。

 その勢いはあらしのようであり、兵と騎馬を問わずに斬り殺されていく。

 あちこちで悲鳴が上がり、落馬する者が続出した。


 公国軍の騎馬兵たちは戦慄せんりつした。

 たった3騎……いや、正確には先頭の1騎によって仲間の兵士たちが蹴散らされていく。

 女3人を叩き殺そうと多くの騎馬兵が群がるが、ブリジットに斬られた者たちの手足や馬の首までもが飛んできてぶつかり、後方から近寄ろうとする敵兵をまるで寄せ付けない。


 夕立ちの雨に濡れる大地に赤い血がにじんでいく。

 ブリジットの後方を進むベラやソニアもそれぞれに武器を振るって敵をほうむったが、ほとんどの敵をブリジットが倒してしまうので2人は彼女が取りこぼした相手を無難に殺していくだけだった。

 ベラもソニアも旧友の荒れ狂う姿に閉口するほかなかった。

 

「うおおおおおっ!」


 ブリジットは全身に敵の返り血を浴びながら鬼の形相ぎょうそうで武器を振るい続ける。

 ダニアの一族のために先頭に立って戦うブリジットの背中を、ベラもソニアもいつも誇らしく思っていた。

 だが今はまるで苛立いらだちを全て敵にぶつけるような彼女の戦いぶりを見て、ベラもソニアも一抹の悲しみを覚えた。

 ボルドを失って以来、ブリジットが時折見せる自暴自棄のような一面。

 幼き頃から共にあったベラもソニアも彼女の悲しみをやすことは出来ない。

 こうして彼女を信じ、その背中を追い続けることしか出来ないのだ。 


「ベラ! ソニア! 来いっ!」


 やがてブリジットは敵の陣形にほころびが出ると声を張り上げ、急激に左側へ進路を変えた。

 その方角に林が見えたからだ。

 ブリジットはこの辺りの西側の地形を完全に把握していた。

 この先には林が続き、大群で敵を追うのは難しい。

 あせった公国軍から声が上がる。


「に、逃がすな! 追えっ!」


 だがブリジットは振り返って矢を放ち、追いすがる敵兵をことごどく打ち倒す。

 ついには追手を振り切って3騎の女たちは林の中へと姿を消していった。

 夕立の激しい雨が上がった荒野には50名近い公国兵の死者とその倍に上る負傷者が残されることとなったのだった。

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